東日本大震災で、たくさんの方が亡くなりました。
両親がなくなってしまった子も
お父さんかお母さんが亡くなってしまった子も
兄弟・姉妹が亡くなってしまった子も
おじいちゃん・おばあちゃんが亡くなってしまった子も
たくさんいます。
もし、ここに、お母さんを亡くしてしまった小さな子どもがいて、
「ママはどこに行ったの?いつ帰ってくるの?」
と聞かれたら、あなたは、なんと答えますか?
私なら・・・と思って、書き始めたのがこの物語です。
物語を聴いているのは、あおいちゃんとなつきちゃんという姉妹。
お話をしているのは、亡くなってしまったお母さん(ひかりさん)の妹 みどりさん。
寒い寒い避難所で、みどりさんが、姪のあおいちゃんとなつきちゃんに、寝かしつけのときに話したおとぎ話が、
『タラターナ国物語』 第一話 穂の姫と、秋の村のベール泥棒 になりました。
『タラターナ国物語』
第一話 穂の姫と、秋の村のベール泥棒
第一章 タラターナ国のカエル
第二章 子どもの仕事
第三章 呪文
第四章 仮装パーティ
第五章 穂の姫と、日の王子
第6章 秋の村のベールづくり
第7章 やさしいゆうれい
第8章 ベール泥棒
第9章 秋の山のいちばんてっぺんのその向こう
第10章 長い長いガラガラヘビの抜け殻
第11章 谷底へ
第12章 怪物の正体
第13章 ひねくれモグラ
第14章 本当の姿
第15章 思いがけない贈り物
第16章 またいつか
第一話 穂の姫と、秋の村のベール泥棒
第一章 タラターナ国のカエル
第二章 子どもの仕事
第三章 呪文
第四章 仮装パーティ
第五章 穂の姫と、日の王子
第6章 秋の村のベールづくり
第7章 やさしいゆうれい
第8章 ベール泥棒
第9章 秋の山のいちばんてっぺんのその向こう
第10章 長い長いガラガラヘビの抜け殻
第11章 谷底へ
第12章 怪物の正体
第13章 ひねくれモグラ
第14章 本当の姿
第15章 思いがけない贈り物
第16章 またいつか
あおいちゃん、なつきちゃん、そろそろおやすみの時間だよ。
寒いから、おばちゃんと一緒のお布団で寝ようね。
おばちゃんは、お肉がいっぱいついてるから、あったかいよ。
あらら、あおいちゃん、お腹のお肉を引っ張らないでください。痛いんですけど。
あ、笑ってるな。おばちゃんも、あおいちゃんのお腹、引っ張っちゃうぞ。コチョコチョコチョ。ついでに、なつきちゃんも、コチョコチョコチョ。
あ~、面白かったね。
それじゃあ、そろそろ目をつぶってください。あおいちゃんとなつきちゃんが眠るまで、おばちゃんが、トントンしてあげようね。
あらあら、なつきちゃん、どうしたの?ママがいい?ママがいいよね。
でもね、ママ、大事なお仕事があるんだって。あのね、え~っとね、タラターナ国のお仕事だよ。あおいちゃんもなつきちゃんも、タラターナ人に会ったことがあるでしょう?
あれ?おっかしいな~。まだ、会ったことないの?おばちゃんたちが小さいときは、こどもはみんな、タラターナ人とお友だちだったけどな~。
じゃあね、あおいちゃんとなつきちゃんが眠くなるまで、タラターナ国のお話をしてあげようね。
あおいちゃんとなつきちゃんのママ、ひかりちゃんが、はじめてタラターナ人に会ったのはね、ひかりちゃんが、もうすぐ小学校の2年生から3年生にあがりますよっていう、3月のことでした。
そういえば、あおいちゃんも、もうすぐ小学生だっけ。そっか、もうすぐ年長さんか。じゃあ、その次が小学生だね。それじゃあ、あおいちゃんも、もう少ししたら、タラターナ人に会えるかもしれないよ。
え?タラターナ国って、どんな国かって?それは、これからお話するからね。
寒いから、おばちゃんと一緒のお布団で寝ようね。
おばちゃんは、お肉がいっぱいついてるから、あったかいよ。
あらら、あおいちゃん、お腹のお肉を引っ張らないでください。痛いんですけど。
あ、笑ってるな。おばちゃんも、あおいちゃんのお腹、引っ張っちゃうぞ。コチョコチョコチョ。ついでに、なつきちゃんも、コチョコチョコチョ。
あ~、面白かったね。
それじゃあ、そろそろ目をつぶってください。あおいちゃんとなつきちゃんが眠るまで、おばちゃんが、トントンしてあげようね。
あらあら、なつきちゃん、どうしたの?ママがいい?ママがいいよね。
でもね、ママ、大事なお仕事があるんだって。あのね、え~っとね、タラターナ国のお仕事だよ。あおいちゃんもなつきちゃんも、タラターナ人に会ったことがあるでしょう?
あれ?おっかしいな~。まだ、会ったことないの?おばちゃんたちが小さいときは、こどもはみんな、タラターナ人とお友だちだったけどな~。
じゃあね、あおいちゃんとなつきちゃんが眠くなるまで、タラターナ国のお話をしてあげようね。
あおいちゃんとなつきちゃんのママ、ひかりちゃんが、はじめてタラターナ人に会ったのはね、ひかりちゃんが、もうすぐ小学校の2年生から3年生にあがりますよっていう、3月のことでした。
そういえば、あおいちゃんも、もうすぐ小学生だっけ。そっか、もうすぐ年長さんか。じゃあ、その次が小学生だね。それじゃあ、あおいちゃんも、もう少ししたら、タラターナ人に会えるかもしれないよ。
え?タラターナ国って、どんな国かって?それは、これからお話するからね。
第一章 タラターナ国のカエル
ひかりちゃんが、初めてタラターナ人を見たのは、学校の帰りでした。
といっても、最初から、それがタラターナ人だと、気づいたわけではありませんでした。最初はね、「あれ?子猫かな?」と思ったんだって。
どうしてかというと、帰り道の脇に、いっぱい生えている雑草のうち、いちば~ん背の高いねこじゃらしだけが、風もないのに、ヒョコヒョコと頭をふるように、動いていたからです。
その日は、風もなくて、とってもいいお天気で、だから他の雑草は、しずかに澄まして立っているだけだったのに、そのねこじゃらしだけが、踊っているみたいだったんだって。
それで、ひかりちゃんは、その下に子猫でもいるのかな、と思って、足音を立てないように、そ~っと近づいてみたそうです。
そしたらね、そこには、猫もねずみもへびもいなかったって。
そう、おばちゃんが小さい頃は、おばちゃんちのうちの近くには、のら猫だって、ねずみだって、へびだって、いっぱいいたんだよ。
それでね、風もないし、子猫もいないのに、そのねこじゃらしがヒョコヒョコって動いているものだから、おかしいな~、何だろうって思って、ひかりちゃんは、そこにしゃがみこんで、じーっと見てたんだって。
そしたらね、ちっちゃなちっちゃなエメラルド色のカエルが、ねこじゃらしに両手でぶら下がっているのに、気がついたんだって。
エメラルド色っていうのはね、もうすぐあったかくなるでしょう。そしたら、お庭や幼稚園の木から、なつきちゃんの耳たぶみたいに柔らかい黄緑色の葉っぱが出てくるでしょ。あの葉っぱの色が、エメラルド色だよ。
それでね、そのカエルは、何をしていたと思う?逆上がりの練習をしてたんだって。
へぇ、あおいちゃんも、もう逆上がりができるの?幼稚園で、鉄棒習うんだ。すごいね。
おばちゃんたちが子どものころは、逆上がりを習うのは、小学校の4年生になってからだったんだよ。だから、ひかりちゃんは、カエルが何をしてるかわからなかったんだね。そこで、こんなふうに大きな声で聞きました。
「ねぇ、何してるの?」
カエルはね、びくっとして、ねこじゃらしにぶら下がったまま、じーっと動かなくなったんだって。しょうがないから、ひかりちゃんも、そのまま、じーっと動かないで、カエルを見てたんだって。
そしたら、カエルの腕が、少しずつプルプルプルってふるえはじめて、とうとうポトンって地面の上に落っこちてしまいました。ひかりちゃんは、さっと手を伸ばして、カエルをつかまえようとしたんだけど、カエルはとってもすばしこくて、あっと思ったときには、もうどこかに逃げてしまっていたんだって。
ひかりちゃんは、おうちに帰ってからお母さん、熊本のおばあちゃんのことだよ、に、そのことを話しました。そしたら、ひかりちゃんのお母さんが、
「ああ、それはタラターナ人だね」
って、教えてくれたんだって。
タラターナ人はね、タラターナの国に住んでいます。タラターナの国はね、あおいちゃんやなつきちゃんが、いつもお外で遊んでいるでしょう。あの、地面の下にあります。
そして、あおいちゃんとなつきちゃんが、地面に足をつけているみたいに、タラターナ人も地面に足をつけています。だからね、あおいちゃんやなつきちゃんとタラターナ人は、地面をはさんで、靴の裏と靴の裏をくっつけあってるみたいな感じになっているんだって。
え?よくわからない?ちょっとそこの、そう、そのお絵かき帳を持ってきてごらん。こんな感じで立ってるんだよ。

そうね、逆立ちしてるみたいだね。でも、タラターナ人にとっては、サカサマなのがふつうだから、サカサマに落っこちたりはしないんだよ。
タラターナ国は、私たち人間の国によく似ています。タラターナ人も、人間によく似ています。違うところは、タラターナ人は、とってもとっても、小さいっていうこと。そうだね、大人でも、あおいちゃんやなつきちゃんのお母さん指くらいの大きさしかないんじゃないかな。
それとね、お空のかわりに、海があるんだって、頭の上には海があって、その中で太陽が輝いているんだって。とっても不思議だね。
タラターナ人は、ときどき用事があって、人間の国に来るときがあります。そんなときは、カエルとか、チョウチョとか、カタツムリとかに、姿を変えています。あおいちゃんやなつきちゃんも、二本足で立って急ぎ足で歩いているカマキリとか、ブロック塀の上で気持ちよさそうに日なたぼっこをしてるカタツムリを見たことがあるんじゃない?
そうそう、熊本のおばあちゃんちで、とっても仲良しの赤トンボを見たよね。あれも、たぶん、タラターナ人だったんじゃないかな。
タラターナ人が、ときどき人間の国にやってくるのは、人間の国にしかないモノを、ほんの少々拝借するためです。
拝借っていうのはね、え~っと、借りるっていうこと。
たとえばね、雨が降ったあとの道路に、水たまりができてるでしょ。そこに車の油が浮いて、虹色に光っているのを見たことがあるでしょう。あの虹色を、ちょいと袋に入れて持って帰って、タラターナの国で虹を作っているんだって。
そして、雨上がりにお日様の光がさっとさしたときに、人間の国の空に大きな虹をかけてあげるんだって。それがタラターナ人のお仕事で、借りたものを返すっていうことでもあるんだって。
他には、そうだね、おばあちゃんちの前の道、夜になると真っ暗になるけど、ところどころ電気がついていて、明るいところもあるでしょう。あの電気のことを外灯っていうんだけどね、あの外灯って、どういうわけだか、ときどきバチバチって火花が飛ぶときがあるんだよ。それは、タラターナ人のシワザ。
そのお仕事は、とっても危険だから、タラターナ人の中でも、勇敢な大人にしかできないんだって。だって、外灯の高い柱をヨイショヨイショって、いちばん上までのぼって、背中にかついできた細長い針金で電球をツンツンって突っついて、わざと火花を飛び散らせるんだから、勇気のある人にしかできないよね。タラターナ人は、あの火花を集めて持って帰って、稲妻を作っているんだよ。
人間の国に雨を降らせるのも、雪を降らせるのも、風がふくのも、春になったり、夏になったり、秋になったり、冬になったりするのも、全部タラターナ人の仕事なんだって。すごいよね。
ところが、あるとき、タラターナの国に、大変なことが起こりました。それはね・・・。
あれ、なつきちゃん、いつの間にか寝ちゃったね。あおいちゃんも、もう上のおめめと、下のおめめがくっつきそうだね。それじゃあ、続きは、明日お話しようね。
そうだね、明日、寒くならないように、タラターナ人にお願いしておきましょう。
「タラターナ人さん、明日寒くしないでください。雪を降らせないでください。お願いします。」
これで大丈夫だよ。ぐっすりおやすみなさい。また、明日。
ひかりちゃんが、初めてタラターナ人を見たのは、学校の帰りでした。
といっても、最初から、それがタラターナ人だと、気づいたわけではありませんでした。最初はね、「あれ?子猫かな?」と思ったんだって。
どうしてかというと、帰り道の脇に、いっぱい生えている雑草のうち、いちば~ん背の高いねこじゃらしだけが、風もないのに、ヒョコヒョコと頭をふるように、動いていたからです。
その日は、風もなくて、とってもいいお天気で、だから他の雑草は、しずかに澄まして立っているだけだったのに、そのねこじゃらしだけが、踊っているみたいだったんだって。
それで、ひかりちゃんは、その下に子猫でもいるのかな、と思って、足音を立てないように、そ~っと近づいてみたそうです。
そしたらね、そこには、猫もねずみもへびもいなかったって。
そう、おばちゃんが小さい頃は、おばちゃんちのうちの近くには、のら猫だって、ねずみだって、へびだって、いっぱいいたんだよ。
それでね、風もないし、子猫もいないのに、そのねこじゃらしがヒョコヒョコって動いているものだから、おかしいな~、何だろうって思って、ひかりちゃんは、そこにしゃがみこんで、じーっと見てたんだって。
そしたらね、ちっちゃなちっちゃなエメラルド色のカエルが、ねこじゃらしに両手でぶら下がっているのに、気がついたんだって。
エメラルド色っていうのはね、もうすぐあったかくなるでしょう。そしたら、お庭や幼稚園の木から、なつきちゃんの耳たぶみたいに柔らかい黄緑色の葉っぱが出てくるでしょ。あの葉っぱの色が、エメラルド色だよ。
それでね、そのカエルは、何をしていたと思う?逆上がりの練習をしてたんだって。
へぇ、あおいちゃんも、もう逆上がりができるの?幼稚園で、鉄棒習うんだ。すごいね。
おばちゃんたちが子どものころは、逆上がりを習うのは、小学校の4年生になってからだったんだよ。だから、ひかりちゃんは、カエルが何をしてるかわからなかったんだね。そこで、こんなふうに大きな声で聞きました。
「ねぇ、何してるの?」
カエルはね、びくっとして、ねこじゃらしにぶら下がったまま、じーっと動かなくなったんだって。しょうがないから、ひかりちゃんも、そのまま、じーっと動かないで、カエルを見てたんだって。
そしたら、カエルの腕が、少しずつプルプルプルってふるえはじめて、とうとうポトンって地面の上に落っこちてしまいました。ひかりちゃんは、さっと手を伸ばして、カエルをつかまえようとしたんだけど、カエルはとってもすばしこくて、あっと思ったときには、もうどこかに逃げてしまっていたんだって。
ひかりちゃんは、おうちに帰ってからお母さん、熊本のおばあちゃんのことだよ、に、そのことを話しました。そしたら、ひかりちゃんのお母さんが、
「ああ、それはタラターナ人だね」
って、教えてくれたんだって。
タラターナ人はね、タラターナの国に住んでいます。タラターナの国はね、あおいちゃんやなつきちゃんが、いつもお外で遊んでいるでしょう。あの、地面の下にあります。
そして、あおいちゃんとなつきちゃんが、地面に足をつけているみたいに、タラターナ人も地面に足をつけています。だからね、あおいちゃんやなつきちゃんとタラターナ人は、地面をはさんで、靴の裏と靴の裏をくっつけあってるみたいな感じになっているんだって。
え?よくわからない?ちょっとそこの、そう、そのお絵かき帳を持ってきてごらん。こんな感じで立ってるんだよ。

そうね、逆立ちしてるみたいだね。でも、タラターナ人にとっては、サカサマなのがふつうだから、サカサマに落っこちたりはしないんだよ。
タラターナ国は、私たち人間の国によく似ています。タラターナ人も、人間によく似ています。違うところは、タラターナ人は、とってもとっても、小さいっていうこと。そうだね、大人でも、あおいちゃんやなつきちゃんのお母さん指くらいの大きさしかないんじゃないかな。
それとね、お空のかわりに、海があるんだって、頭の上には海があって、その中で太陽が輝いているんだって。とっても不思議だね。
タラターナ人は、ときどき用事があって、人間の国に来るときがあります。そんなときは、カエルとか、チョウチョとか、カタツムリとかに、姿を変えています。あおいちゃんやなつきちゃんも、二本足で立って急ぎ足で歩いているカマキリとか、ブロック塀の上で気持ちよさそうに日なたぼっこをしてるカタツムリを見たことがあるんじゃない?
そうそう、熊本のおばあちゃんちで、とっても仲良しの赤トンボを見たよね。あれも、たぶん、タラターナ人だったんじゃないかな。
タラターナ人が、ときどき人間の国にやってくるのは、人間の国にしかないモノを、ほんの少々拝借するためです。
拝借っていうのはね、え~っと、借りるっていうこと。
たとえばね、雨が降ったあとの道路に、水たまりができてるでしょ。そこに車の油が浮いて、虹色に光っているのを見たことがあるでしょう。あの虹色を、ちょいと袋に入れて持って帰って、タラターナの国で虹を作っているんだって。
そして、雨上がりにお日様の光がさっとさしたときに、人間の国の空に大きな虹をかけてあげるんだって。それがタラターナ人のお仕事で、借りたものを返すっていうことでもあるんだって。
他には、そうだね、おばあちゃんちの前の道、夜になると真っ暗になるけど、ところどころ電気がついていて、明るいところもあるでしょう。あの電気のことを外灯っていうんだけどね、あの外灯って、どういうわけだか、ときどきバチバチって火花が飛ぶときがあるんだよ。それは、タラターナ人のシワザ。
そのお仕事は、とっても危険だから、タラターナ人の中でも、勇敢な大人にしかできないんだって。だって、外灯の高い柱をヨイショヨイショって、いちばん上までのぼって、背中にかついできた細長い針金で電球をツンツンって突っついて、わざと火花を飛び散らせるんだから、勇気のある人にしかできないよね。タラターナ人は、あの火花を集めて持って帰って、稲妻を作っているんだよ。
人間の国に雨を降らせるのも、雪を降らせるのも、風がふくのも、春になったり、夏になったり、秋になったり、冬になったりするのも、全部タラターナ人の仕事なんだって。すごいよね。
ところが、あるとき、タラターナの国に、大変なことが起こりました。それはね・・・。
あれ、なつきちゃん、いつの間にか寝ちゃったね。あおいちゃんも、もう上のおめめと、下のおめめがくっつきそうだね。それじゃあ、続きは、明日お話しようね。
そうだね、明日、寒くならないように、タラターナ人にお願いしておきましょう。
「タラターナ人さん、明日寒くしないでください。雪を降らせないでください。お願いします。」
これで大丈夫だよ。ぐっすりおやすみなさい。また、明日。
第二章 子どもの仕事
今日は、あおいちゃんがタラターナ人にお願いしてくれたおかげで、雪も降らなかったし、暖かくて、本当によかったね。
お隣のおじいちゃんや、向こうの赤ちゃんがいるお母さんも、みんな「あおいちゃんのおかげで助かった、助かった」って言ってたよ。あおいちゃん、お手柄だね。
え~っと、昨日は、どこまで話したっけ?そうそう、「あるとき、タラターナの国に、大変なことが起こりました。」っていうところまでだったね。よく覚えてるね~。
それじゃあ、今日は、その続きをお話ししようね。
あらあら、なつきちゃん、また悲しくなっちゃったの。お布団に入ると、ママを思い出して、さびしくなっちゃうんだね。よしよし。今日は、なつきちゃんのママが、冒険に出かけるお話だよ。はじまり、はじまり。
タラターナの国に、大変なことが起こったということに、初めて気づいたのは、ひかりちゃん・・・あおいちゃんとなつきちゃんのママでした。
どうして気がついたかっていうとね、頭の中で「助けて、助けて」っていう声が聞こえたんだって。あおいちゃんも、お腹がすいたとき、頭の中で「ごはんまだかな~」っていう声が聞こえたり、おうちの中で退屈してるときに、頭の中で「お外に遊びに行きたいよ~」っていう声が聞こえることがあるでしょう?あんな感じでね、誰かの声が聞こえてきたんだって。
最初は、気のせいかなって思ってたんだけど、あんまり何度も聞こえるものだから、ひかりちゃんは、ひかりちゃんのお母さん(そうだね、熊本のおばあちゃんだね)に、
「誰かが、頭の中で、助けて、助けてって言ってるよ」
って、教えにいったんだって。
そしたらね、椅子に座ってモヤシのヒゲをとっていたひかりちゃんのお母さんが、ぱっと立ちあがって、
「まあ!ひかりがこんなに早く、こどもの仕事をすることになるなんて!」
って、目をキラキラさせたんだって。そして、
「ちょっと待っててね」
って、ひかりちゃんに言うと、いつもは使っていない奥の物置部屋に行って、しばらくゴトゴトしてたんだって。そしてね、ひかりちゃんが、「まったく、遅いなあ、まだかなあ」と思ったころに、
「あった、あった」
って、何かを手に持って、戻ってきたそうです。
ひかりちゃんのお母さんは、手に持っていたものを、うやうやしく、ひかりちゃんに着せました。うやうやしくっていうのは、お姫さまに着せるみたいにってことだよ。
それは、オレンジ色と黒のテントウ虫模様のレインコートでした。背中には羽がついていて、フードをかぶると、頭から二本の触覚がツンツンと飛び出していて、ひかりちゃんは、どこから見てもテントウ虫みたいに見えたそうです。
ひかりちゃんのお母さんは、満足そうに、テントウ虫になったひかりちゃんを眺めると、ひかりちゃんの肩に手を置いて、真面目な顔をしながら、こんなことを言いました。
「ひかり、タラターナの国で、誰かがとても困っているみたいだから、助けにいかなきゃいけないよ」
ひかりちゃんは、よく意味がわからなかったけど、お母さんと一緒に行くならいいやと思って、
「わかった」
って答えました。
そしたら、お母さんが、
「タラターナの国の人を助けられるのは、こどもだけだから、これはこどもの仕事だよ」
って言いました。ひかりちゃんのお母さんが言うには、タラターナの国の人の声はこどもにしか聞こえないし、タラターナの国には、こどもしか入れないのだそうです。
「でもね」
ひかりちゃんのお母さんは、ひかりちゃんのおでこをツンとつついて言いました。
「誰でも、タラターナの国に行けるわけではないんだよ。特別に元気があって、特別に勇気がある子しか行けないんだよ。ひかり、すごいね!」
ひかりちゃんのお母さんは、そう言って、にっこり笑いました。だけど、ひかりちゃんは、笑いませんでした。せっかくお母さんが着せてくれたレインコートを、ぱっと脱ぐと、
「ひかり、お母さんと一緒じゃないなら行かない!」
と言って、テレビをつけました。ひかりちゃんのお母さんが、
「ひかり、でも、タラターナの国の人が、助けてって言ってるんでしょ」
って困った声で言ったけど、聞こえないフリをしました。
あおいちゃんだったら、どうする?そっか~、あおいちゃんもママと一緒じゃなきゃ行かないか。なつきちゃんは?なつきちゃんも、ママと一緒じゃなきゃイヤだよね~。
でもね、ひかりちゃんは、結局、たったひとりで、タラターナの国に行くことになったのです。もちろん、最初からそのつもりではなかったんだけどね。
次の日は、日曜日で、学校がお休みでした。朝、ひかりちゃんが目を覚ましたときには、霧のような雨が降っていました。ひかりちゃんが、縁側に出てみると、お外は白いもやがかかったみたいになっていて、なんだか別の世界にいるような気がしたそうです。
それで、お外を散歩したくなって、お気に入りの赤い長靴を出しに靴箱に行ったら、長靴の上に、昨日のテントウ虫のレインコートが、きれいに畳んで置いてありました。
昨日見たときは、気がつかなかったけど、レインコートの表面には、金や銀の小さな砂粒がまぶしてあって、宝石みたいにキラキラ光っていたそうです。
それを見たら、もう一度着てみたくなって、ひかりちゃんは、レインコートを手に取りました。そして、自分で上手に着て、ボタンも自分でとめました。ひかりちゃんの手にも、金や銀の砂粒がついて、キラキラ光りました。靴箱の横にある大きな鏡に自分の姿をうつしたら、本当に特別に元気があって、特別に勇気がある子みたいに見えました。
ひかりちゃんは、テントウ虫のレインコートを着て、赤い長靴を履いて、静かに縁側からお庭に出ようとしました。そのとき、お母さんが気がついて、
「あら、ひかり」
って言いながら、台所から出てきました。ひかりちゃんは、なぜだかドキンとして、目を伏せてしまいました。
お母さんは、ひかりちゃんのそばまで来ると、黙ってレインコートのいちばん上のボタンをとめてくれました。そこだけ、どうしても自分でとめられなかったのです。
そして、ひかりちゃんの両方の肩にそっと手をおくと、
「ひかりは、これからテントウ虫になります。人間の子どもではありません」
と言いました。そして、ひかりちゃんが、「えっ?」という顔をすると、
「タラターナの国ではね、人間はとっても怖がられているの。だから、人間だってわかると、誰もお話してくれないし、みんな逃げてしまうんだよ。だから、タラターナの国に行くときは、虫になりきらなきゃいけないんだよ」
って言いました。
「なりきる」っていうのはね、あおいちゃんがお姫さまごっこをしているときは、もうあおいちゃんじゃなくて、お姫さまになっているでしょう?お母さんごっこで赤ちゃん役をやってるときは、「バブバブブー」って、赤ちゃんになっているでしょう?あれと、おんなじ。だから、こどもにはすぐできるけど、大人には、それはとっても難しいことなんだよ。
ひかりちゃんは、タラターナの国に行く気なんかなかったけれど、お母さんがあんまり真剣な顔をして言うので、黙ってこっくりとうなずきました。そして、ミルク色のもやに包まれたお庭に、そっと足を下しました。お母さんは、心配そうな顔をすると、
「呪文は、ポケットに入れておいたからね。カタカナは、もう全部しっかり読めるよね」
って言いました。ひかりちゃんは、また黙って、こっくりとうなずきました。なんだか、ドキドキして、声が出なかったのです。
あおいちゃんは、まだカタカナは読めないよね?えっ、もう読めるの?幼稚園って、いっぱいお勉強するんだねえ。へぇ、ABCも読めるんだ。それは、すごいね。それじゃあ、明日は、おばちゃんが呪文を紙に書いておくから、あおいちゃんに読んでもらおうね。なつきちゃんが、もう眠い眠いって目をこすってるから、今日はここまでにしようね。おやすみなさい、なつきちゃん。おやすみなさい、あおいちゃん。
今日は、あおいちゃんがタラターナ人にお願いしてくれたおかげで、雪も降らなかったし、暖かくて、本当によかったね。
お隣のおじいちゃんや、向こうの赤ちゃんがいるお母さんも、みんな「あおいちゃんのおかげで助かった、助かった」って言ってたよ。あおいちゃん、お手柄だね。
え~っと、昨日は、どこまで話したっけ?そうそう、「あるとき、タラターナの国に、大変なことが起こりました。」っていうところまでだったね。よく覚えてるね~。
それじゃあ、今日は、その続きをお話ししようね。
あらあら、なつきちゃん、また悲しくなっちゃったの。お布団に入ると、ママを思い出して、さびしくなっちゃうんだね。よしよし。今日は、なつきちゃんのママが、冒険に出かけるお話だよ。はじまり、はじまり。
タラターナの国に、大変なことが起こったということに、初めて気づいたのは、ひかりちゃん・・・あおいちゃんとなつきちゃんのママでした。
どうして気がついたかっていうとね、頭の中で「助けて、助けて」っていう声が聞こえたんだって。あおいちゃんも、お腹がすいたとき、頭の中で「ごはんまだかな~」っていう声が聞こえたり、おうちの中で退屈してるときに、頭の中で「お外に遊びに行きたいよ~」っていう声が聞こえることがあるでしょう?あんな感じでね、誰かの声が聞こえてきたんだって。
最初は、気のせいかなって思ってたんだけど、あんまり何度も聞こえるものだから、ひかりちゃんは、ひかりちゃんのお母さん(そうだね、熊本のおばあちゃんだね)に、
「誰かが、頭の中で、助けて、助けてって言ってるよ」
って、教えにいったんだって。
そしたらね、椅子に座ってモヤシのヒゲをとっていたひかりちゃんのお母さんが、ぱっと立ちあがって、
「まあ!ひかりがこんなに早く、こどもの仕事をすることになるなんて!」
って、目をキラキラさせたんだって。そして、
「ちょっと待っててね」
って、ひかりちゃんに言うと、いつもは使っていない奥の物置部屋に行って、しばらくゴトゴトしてたんだって。そしてね、ひかりちゃんが、「まったく、遅いなあ、まだかなあ」と思ったころに、
「あった、あった」
って、何かを手に持って、戻ってきたそうです。
ひかりちゃんのお母さんは、手に持っていたものを、うやうやしく、ひかりちゃんに着せました。うやうやしくっていうのは、お姫さまに着せるみたいにってことだよ。
それは、オレンジ色と黒のテントウ虫模様のレインコートでした。背中には羽がついていて、フードをかぶると、頭から二本の触覚がツンツンと飛び出していて、ひかりちゃんは、どこから見てもテントウ虫みたいに見えたそうです。
ひかりちゃんのお母さんは、満足そうに、テントウ虫になったひかりちゃんを眺めると、ひかりちゃんの肩に手を置いて、真面目な顔をしながら、こんなことを言いました。
「ひかり、タラターナの国で、誰かがとても困っているみたいだから、助けにいかなきゃいけないよ」
ひかりちゃんは、よく意味がわからなかったけど、お母さんと一緒に行くならいいやと思って、
「わかった」
って答えました。
そしたら、お母さんが、
「タラターナの国の人を助けられるのは、こどもだけだから、これはこどもの仕事だよ」
って言いました。ひかりちゃんのお母さんが言うには、タラターナの国の人の声はこどもにしか聞こえないし、タラターナの国には、こどもしか入れないのだそうです。
「でもね」
ひかりちゃんのお母さんは、ひかりちゃんのおでこをツンとつついて言いました。
「誰でも、タラターナの国に行けるわけではないんだよ。特別に元気があって、特別に勇気がある子しか行けないんだよ。ひかり、すごいね!」
ひかりちゃんのお母さんは、そう言って、にっこり笑いました。だけど、ひかりちゃんは、笑いませんでした。せっかくお母さんが着せてくれたレインコートを、ぱっと脱ぐと、
「ひかり、お母さんと一緒じゃないなら行かない!」
と言って、テレビをつけました。ひかりちゃんのお母さんが、
「ひかり、でも、タラターナの国の人が、助けてって言ってるんでしょ」
って困った声で言ったけど、聞こえないフリをしました。
あおいちゃんだったら、どうする?そっか~、あおいちゃんもママと一緒じゃなきゃ行かないか。なつきちゃんは?なつきちゃんも、ママと一緒じゃなきゃイヤだよね~。
でもね、ひかりちゃんは、結局、たったひとりで、タラターナの国に行くことになったのです。もちろん、最初からそのつもりではなかったんだけどね。
次の日は、日曜日で、学校がお休みでした。朝、ひかりちゃんが目を覚ましたときには、霧のような雨が降っていました。ひかりちゃんが、縁側に出てみると、お外は白いもやがかかったみたいになっていて、なんだか別の世界にいるような気がしたそうです。
それで、お外を散歩したくなって、お気に入りの赤い長靴を出しに靴箱に行ったら、長靴の上に、昨日のテントウ虫のレインコートが、きれいに畳んで置いてありました。
昨日見たときは、気がつかなかったけど、レインコートの表面には、金や銀の小さな砂粒がまぶしてあって、宝石みたいにキラキラ光っていたそうです。

それを見たら、もう一度着てみたくなって、ひかりちゃんは、レインコートを手に取りました。そして、自分で上手に着て、ボタンも自分でとめました。ひかりちゃんの手にも、金や銀の砂粒がついて、キラキラ光りました。靴箱の横にある大きな鏡に自分の姿をうつしたら、本当に特別に元気があって、特別に勇気がある子みたいに見えました。
ひかりちゃんは、テントウ虫のレインコートを着て、赤い長靴を履いて、静かに縁側からお庭に出ようとしました。そのとき、お母さんが気がついて、
「あら、ひかり」
って言いながら、台所から出てきました。ひかりちゃんは、なぜだかドキンとして、目を伏せてしまいました。
お母さんは、ひかりちゃんのそばまで来ると、黙ってレインコートのいちばん上のボタンをとめてくれました。そこだけ、どうしても自分でとめられなかったのです。
そして、ひかりちゃんの両方の肩にそっと手をおくと、
「ひかりは、これからテントウ虫になります。人間の子どもではありません」
と言いました。そして、ひかりちゃんが、「えっ?」という顔をすると、
「タラターナの国ではね、人間はとっても怖がられているの。だから、人間だってわかると、誰もお話してくれないし、みんな逃げてしまうんだよ。だから、タラターナの国に行くときは、虫になりきらなきゃいけないんだよ」
って言いました。
「なりきる」っていうのはね、あおいちゃんがお姫さまごっこをしているときは、もうあおいちゃんじゃなくて、お姫さまになっているでしょう?お母さんごっこで赤ちゃん役をやってるときは、「バブバブブー」って、赤ちゃんになっているでしょう?あれと、おんなじ。だから、こどもにはすぐできるけど、大人には、それはとっても難しいことなんだよ。
ひかりちゃんは、タラターナの国に行く気なんかなかったけれど、お母さんがあんまり真剣な顔をして言うので、黙ってこっくりとうなずきました。そして、ミルク色のもやに包まれたお庭に、そっと足を下しました。お母さんは、心配そうな顔をすると、
「呪文は、ポケットに入れておいたからね。カタカナは、もう全部しっかり読めるよね」
って言いました。ひかりちゃんは、また黙って、こっくりとうなずきました。なんだか、ドキドキして、声が出なかったのです。
あおいちゃんは、まだカタカナは読めないよね?えっ、もう読めるの?幼稚園って、いっぱいお勉強するんだねえ。へぇ、ABCも読めるんだ。それは、すごいね。それじゃあ、明日は、おばちゃんが呪文を紙に書いておくから、あおいちゃんに読んでもらおうね。なつきちゃんが、もう眠い眠いって目をこすってるから、今日はここまでにしようね。おやすみなさい、なつきちゃん。おやすみなさい、あおいちゃん。
第三章 呪文
昨日寝る前に、タラターナ人さんにお願いするのを忘れちゃったから、今日は雪が降って寒かったね。お年寄りや赤ちゃんが、寒いよ~寒いよ~って言ってたから、今日は忘れないようにお願いしようね。なつきちゃんも、一緒にお願いする?そう、それはおばちゃん、とっても助かるなあ。
あれ?なつきちゃん、そういえば、今日はお布団に入っても、エ~ンエ~ンって泣かないんだね。そっか、もうおねえちゃんだもんね。えらいえらい。
昨日は、ひかりちゃんが、テントウ虫のレインコートを着て、赤い長靴を履いて、お庭に出たところまでお話したよね。ひかりちゃんが、お庭に出たらね、さっきまでも白いもやがかかっていたんだけど、それがもっともっと白くなって、牛乳みたいになって、熊本のおばあちゃんちのお庭のはじっこに、ミカンの木があるでしょ、あの木だって見えなくなっちゃったんだって。
ひかりちゃんは、転ばないように、そーっとそーっと一歩ずつ歩きました。ひかりちゃんが足を動かすと、白いもやがそこだけ小さく動いて、足元の芝生や、スミレの群れがぼんやりと見えました。
おばあちゃんちのお庭に、ところどころ大きな石が置いてあって、その周りにスミレがいっぱい咲いているのを知ってるでしょう。あのスミレは、みんなおばちゃんが植えたんだよ。おばちゃんが小さいときに植えて、その子どもスミレか孫スミレが、いまも咲いてるんだよ。
そしてね、ひかりちゃんやおばちゃん、おばちゃんは、あおいちゃんやなつきちゃんのママの妹だから、そのころはまだ幼稚園の年長さんで、みどりちゃんって呼ばれていたんだけどね、ひかりちゃんやみどりちゃんは、いっつもお庭でおままごとをして遊んでいたから、お庭のどこにどんな石があって、どんなお花が咲いているか、よ~く知っていました。
ひかりちゃんは、スミレの群れを踏んづけないように、少しだけ遠回りして、またゆっくりゆっくりと歩きました。ひかりちゃんは、ヨウシュヤマブドウの木のところに行こうとしていたのです。
ヨウシュヤマブドウって知ってる?紫色の実が葡萄みたいにいっぱいなっててね、それをコップに入れてつぶして、お水を足すと、本物のジュースみたいにきれいな葡萄色になるんだよ。ひかりちゃんは、ヨウシュヤマブドウの実に、お水のかわりに、お庭の白いもやを混ぜたら、葡萄のミルクセーキみたいにならないかなあって思って、採りに行ったんだって。ヨウシュヤマブドウの実は、本当は秋に紫色になるんだけど、その年はなぜか春にも紫色になって、お母さんが不思議がっていたのを、思い出したんだって。

ところが、スミレの群れのすぐ先にあるはずのヨウシュヤマブドウの木は、なかなか見つかりませんでした。頭の中で、また、「助けて、助けて」という声が聞こえました。
ひかりちゃんにまとわりついていた真っ白なもやは、いつの間にか、牛乳よりも濃いシチューみたいになって、ひかりちゃんは、とうとう自分の手の先も、足の先も見えなくなってしまいました。もう、どこが前でどこが後ろなのか、どこが上でどこが下なのかもわかりません。それでね、ひかりちゃんは、怖くなって、思わずしゃがみこんでしまったんだって
そのときです。どこからか何かが飛んできて、ひかりちゃんのお鼻にバシンとぶつかりました。ひかりちゃんはびっくりして、思わずしりもちをついてしまいました。ひかりちゃんのお鼻にぶつかったのは、ミチアンナイでした。

ミチアンナイって、知ってる?七色のシマシマ模様の羽でブーンって飛んで、どこでも行きたいところに案内してくれる虫なんだよ。
ミチアンナイは、ひかりちゃんの頭の周りを飛び回ると、ひかりちゃんに、こんなことを言いました。
「不格好で、ヤボなテントウ虫!呪文を知らないやつは、入れてやらないぞ。呪文を知らないやつは、人間の国で虫かごに入れられてしまえ!」
ねぇ、ずいぶんひどいミチアンナイだよね。ひかりちゃんも、そう思ったんだって。だからね、大きな声で、
「呪文、知ってるもん!」
って、言いました。
「へぇ、知ってるもんなら言ってみろ。知ってるもんなら言ってみろ」
ひかりちゃんは、ひかりちゃんのお母さんが、呪文のことを何か言っていたのを一生懸命思い出そうとしました。だけど、ミチアンナイがわぁわぁ騒ぐので、なかなか思い出すことができません。
あおいちゃんは、呪文のこと覚えてる?そうだね、ひかりちゃんのお母さんが、ポケットの中に入れておくよって言ったよね。それなのに、ひかりちゃんは忘れちゃったんだって。あおいちゃん、教えてあげてくれる?
うわっ、おっきな声だねえ。きっと、ひかりちゃんにも聞こえたんじゃないかな。ひかりちゃんは、急にお母さんが言ったことを思い出して、両方のポケットに手を入れてみました。そしたらね、右のポケットに、なんだかツルツルした緑色の紙が入っていました。そして、その紙には、こんな呪文が書いてありました。あおいちゃん、読んでみてくれる?
あはははは。あ~、笑った笑った。こんなに笑ったのは、久しぶりだよ。おばちゃん、笑いすぎて、涙が出てきちゃったよ。あおいちゃんには、ちょっと難しかったよね。明日、練習してみてね。今日は、おばちゃんが読むからね。
ポケットの中に入っていたツルツルの紙には、こんな呪文が書かれていました。
『カエルピョコピョコ、ミピョコピョコ。
あわせてピョコピョコ、ムピョコピョコ』
ずいぶん、難しい呪文だよね。ひかりちゃんも何度も言い間違えたんだって。そのたびに、ミチアンナイが大笑いするから悔しくて、何度も何度も言い直したんだって。
そして、十二回目に、やっと、ちゃんと言うことができました。
そしたらね、さっきまですっごく感じの悪かったミチアンナイが、急にしゃっきりして、ふかぶかとおじぎをすると、
「これはこれは、テントウ虫姫さま、大変失礼をいたしました。こちらがこの時間の入り口になっております。本日は、舞踏会にようこそいらっしゃいました」
って言うと、虹色の羽を広げて、ひかりちゃんの前をゆっくり飛び始めたんだって。
ひかりちゃんを包み込んでいた真っ白なもやは、少しずつシチューから牛乳に、牛乳からカルピスくらいの色に、そしてその次は、お米を研いだときの水くらいの薄い色に変わっていきました。
ひかりちゃんの前には、いつの間にか長い長いお花の道が続いていました。ミチアンナイはその道を少し飛んでは振り返って、ひかりちゃんが追いつくと、また少し飛んでっていうふうにして、ひかりちゃんを、お城の門のところまで、連れていってくれたんだって。
そうだよね。さっきまで、ひかりちゃんは、おうちのお庭にいたはずなのに、どうしてそんなところにいるんだろうね。不思議だね。
ミチアンンナイが案内してくれた門には、「タラターナ城 春の門」って書いてありました。

こんなふうにして、ひかりちゃんは、知らず知らずのうちに、タラターナの国に入っていったのです。タラターナの国がどんな国なのかは、明日またお話するね。今日は、ずいぶん冷えるから、そろそろ寝ようね。
そうそう、明日は暖かくなるように、タラターナ人さんにお願いしておくんだったね。
「タラターナ人さん、明日は晴れにしてください。明日は、暖かくしてください。よろしくお願いします。」
さあ、これで大丈夫。おやすみなさい。
昨日寝る前に、タラターナ人さんにお願いするのを忘れちゃったから、今日は雪が降って寒かったね。お年寄りや赤ちゃんが、寒いよ~寒いよ~って言ってたから、今日は忘れないようにお願いしようね。なつきちゃんも、一緒にお願いする?そう、それはおばちゃん、とっても助かるなあ。
あれ?なつきちゃん、そういえば、今日はお布団に入っても、エ~ンエ~ンって泣かないんだね。そっか、もうおねえちゃんだもんね。えらいえらい。
昨日は、ひかりちゃんが、テントウ虫のレインコートを着て、赤い長靴を履いて、お庭に出たところまでお話したよね。ひかりちゃんが、お庭に出たらね、さっきまでも白いもやがかかっていたんだけど、それがもっともっと白くなって、牛乳みたいになって、熊本のおばあちゃんちのお庭のはじっこに、ミカンの木があるでしょ、あの木だって見えなくなっちゃったんだって。
ひかりちゃんは、転ばないように、そーっとそーっと一歩ずつ歩きました。ひかりちゃんが足を動かすと、白いもやがそこだけ小さく動いて、足元の芝生や、スミレの群れがぼんやりと見えました。
おばあちゃんちのお庭に、ところどころ大きな石が置いてあって、その周りにスミレがいっぱい咲いているのを知ってるでしょう。あのスミレは、みんなおばちゃんが植えたんだよ。おばちゃんが小さいときに植えて、その子どもスミレか孫スミレが、いまも咲いてるんだよ。
そしてね、ひかりちゃんやおばちゃん、おばちゃんは、あおいちゃんやなつきちゃんのママの妹だから、そのころはまだ幼稚園の年長さんで、みどりちゃんって呼ばれていたんだけどね、ひかりちゃんやみどりちゃんは、いっつもお庭でおままごとをして遊んでいたから、お庭のどこにどんな石があって、どんなお花が咲いているか、よ~く知っていました。
ひかりちゃんは、スミレの群れを踏んづけないように、少しだけ遠回りして、またゆっくりゆっくりと歩きました。ひかりちゃんは、ヨウシュヤマブドウの木のところに行こうとしていたのです。
ヨウシュヤマブドウって知ってる?紫色の実が葡萄みたいにいっぱいなっててね、それをコップに入れてつぶして、お水を足すと、本物のジュースみたいにきれいな葡萄色になるんだよ。ひかりちゃんは、ヨウシュヤマブドウの実に、お水のかわりに、お庭の白いもやを混ぜたら、葡萄のミルクセーキみたいにならないかなあって思って、採りに行ったんだって。ヨウシュヤマブドウの実は、本当は秋に紫色になるんだけど、その年はなぜか春にも紫色になって、お母さんが不思議がっていたのを、思い出したんだって。

ところが、スミレの群れのすぐ先にあるはずのヨウシュヤマブドウの木は、なかなか見つかりませんでした。頭の中で、また、「助けて、助けて」という声が聞こえました。
ひかりちゃんにまとわりついていた真っ白なもやは、いつの間にか、牛乳よりも濃いシチューみたいになって、ひかりちゃんは、とうとう自分の手の先も、足の先も見えなくなってしまいました。もう、どこが前でどこが後ろなのか、どこが上でどこが下なのかもわかりません。それでね、ひかりちゃんは、怖くなって、思わずしゃがみこんでしまったんだって
そのときです。どこからか何かが飛んできて、ひかりちゃんのお鼻にバシンとぶつかりました。ひかりちゃんはびっくりして、思わずしりもちをついてしまいました。ひかりちゃんのお鼻にぶつかったのは、ミチアンナイでした。

ミチアンナイって、知ってる?七色のシマシマ模様の羽でブーンって飛んで、どこでも行きたいところに案内してくれる虫なんだよ。
ミチアンナイは、ひかりちゃんの頭の周りを飛び回ると、ひかりちゃんに、こんなことを言いました。
「不格好で、ヤボなテントウ虫!呪文を知らないやつは、入れてやらないぞ。呪文を知らないやつは、人間の国で虫かごに入れられてしまえ!」
ねぇ、ずいぶんひどいミチアンナイだよね。ひかりちゃんも、そう思ったんだって。だからね、大きな声で、
「呪文、知ってるもん!」
って、言いました。
「へぇ、知ってるもんなら言ってみろ。知ってるもんなら言ってみろ」
ひかりちゃんは、ひかりちゃんのお母さんが、呪文のことを何か言っていたのを一生懸命思い出そうとしました。だけど、ミチアンナイがわぁわぁ騒ぐので、なかなか思い出すことができません。
あおいちゃんは、呪文のこと覚えてる?そうだね、ひかりちゃんのお母さんが、ポケットの中に入れておくよって言ったよね。それなのに、ひかりちゃんは忘れちゃったんだって。あおいちゃん、教えてあげてくれる?
うわっ、おっきな声だねえ。きっと、ひかりちゃんにも聞こえたんじゃないかな。ひかりちゃんは、急にお母さんが言ったことを思い出して、両方のポケットに手を入れてみました。そしたらね、右のポケットに、なんだかツルツルした緑色の紙が入っていました。そして、その紙には、こんな呪文が書いてありました。あおいちゃん、読んでみてくれる?
あはははは。あ~、笑った笑った。こんなに笑ったのは、久しぶりだよ。おばちゃん、笑いすぎて、涙が出てきちゃったよ。あおいちゃんには、ちょっと難しかったよね。明日、練習してみてね。今日は、おばちゃんが読むからね。
ポケットの中に入っていたツルツルの紙には、こんな呪文が書かれていました。
『カエルピョコピョコ、ミピョコピョコ。
あわせてピョコピョコ、ムピョコピョコ』
ずいぶん、難しい呪文だよね。ひかりちゃんも何度も言い間違えたんだって。そのたびに、ミチアンナイが大笑いするから悔しくて、何度も何度も言い直したんだって。
そして、十二回目に、やっと、ちゃんと言うことができました。
そしたらね、さっきまですっごく感じの悪かったミチアンナイが、急にしゃっきりして、ふかぶかとおじぎをすると、
「これはこれは、テントウ虫姫さま、大変失礼をいたしました。こちらがこの時間の入り口になっております。本日は、舞踏会にようこそいらっしゃいました」
って言うと、虹色の羽を広げて、ひかりちゃんの前をゆっくり飛び始めたんだって。
ひかりちゃんを包み込んでいた真っ白なもやは、少しずつシチューから牛乳に、牛乳からカルピスくらいの色に、そしてその次は、お米を研いだときの水くらいの薄い色に変わっていきました。
ひかりちゃんの前には、いつの間にか長い長いお花の道が続いていました。ミチアンナイはその道を少し飛んでは振り返って、ひかりちゃんが追いつくと、また少し飛んでっていうふうにして、ひかりちゃんを、お城の門のところまで、連れていってくれたんだって。
そうだよね。さっきまで、ひかりちゃんは、おうちのお庭にいたはずなのに、どうしてそんなところにいるんだろうね。不思議だね。
ミチアンンナイが案内してくれた門には、「タラターナ城 春の門」って書いてありました。

こんなふうにして、ひかりちゃんは、知らず知らずのうちに、タラターナの国に入っていったのです。タラターナの国がどんな国なのかは、明日またお話するね。今日は、ずいぶん冷えるから、そろそろ寝ようね。
そうそう、明日は暖かくなるように、タラターナ人さんにお願いしておくんだったね。
「タラターナ人さん、明日は晴れにしてください。明日は、暖かくしてください。よろしくお願いします。」
さあ、これで大丈夫。おやすみなさい。
第四章 仮装パーティ
あおいちゃん、今日はずいぶん呪文を練習してたみたいだね。言えるようになった?ちょっと、おばちゃんと一緒に、言ってみようか。
『カエルピョコピョコ、ミピョコピョコ。
あわせてピョコピョコ、ムピョコピョコ』
ああ、上手だ。上手に言えるようになったね。
あのね、いつも汚れたお人形をおんぶしてる、ちょっと怖い顔をしたおばあちゃんがいるでしょう。あのおばあちゃんが、あおいちゃんが呪文の練習をしているのを見て笑ってたんだって。あのおばあちゃんが笑うなんて珍しいって、みんなびっくりしてたよ。あおいちゃんが、あんまり一生懸命だったから、きっと怖いおばあちゃんも、嬉しくなっちゃったんだね。
えっ、なつきちゃんも言えるようになったの?どれどれ、言ってごらん。
あはははは。上手、上手。おばちゃん、びっくりしたよ。これなら、ふたりとも、いつでもタラターナの国に行けるね。それじゃあ、お話の続きを始めましょう。
ミチアンナイは、それからまた少し飛んで、ひかりちゃんをお城の扉のところまで案内すると、ひかりちゃんの頭の上で、礼儀正しく3回まわって、どこかに飛んでいってしまいました。
お城の扉は、深緑色をした特別がんじょうな石でできていて、取っ手には金色のカエルがついていました。扉の両側には、ひかりちゃんと同じくらいの背丈のバッタが、紳士らしく帽子をかぶって立っていました。
紳士のバッタたちは、ひかりちゃんにふかぶかとおじぎをすると、声を合わせてこう言いました。
「これはこれは、テントウ虫姫さま、本日は、舞踏会にようこそ」
ひかりちゃんは、お姫様らしく上品に会釈をすると、扉を開けようとしました。すると、2人の紳士バッタが、手に持っていた長い剣を、両側からひかりちゃんの前にさっと差し出して、前に進めないようにしてしまったので、ひかりちゃんは、あやうく転んでしまいそうになりました。
2人の紳士バッタは、帽子のつばにさっと手をやると、声を合わせて、
「や、これは失礼しました」
と、言いました。
「しかし、今日は仮装パーティとご案内を差し上げていたはずですよ。それを、ご存じないとは・・・」
と、2人の紳士バッタが眉をひそめました。なんだか、ひかりちゃんのことを怪しんでいるようです。ひかりちゃんは、とっさに、手のひらを口元にもっていくと、
「おーっほっほ、まさか。知らないわけがないじゃございませんこと」
と笑いました。ひかりちゃんは、毎日のようにみどりちゃん(おばちゃんのことね)と、お姫様ごっこをしているので、お姫様の真似がとても上手なのです。
ひかりちゃんは、テントウ虫のレインコートを、ばっと脱ぎました。
「な、なんと」
「人間の仮装をするとは、大胆な」
2人の紳士バッタは、動揺のあまり、それぞれ勝手なことを口走ってしまいました。でも、すぐに気を取り直して、
「これはこれは、失礼いたしました。テントウ虫姫さま、さすがでございます。改めまして・・・タラターナ城主催、第189回、仮装パーティへようこそ!」
と声を合わせていうと、両側から、扉を大きく開いてくれました。
中から、どっと、ウキウキするようなオーケストラの音楽が流れてきました。
思い思いの格好、たとえば薔薇だとか、孔雀だとか、熱帯魚だとか、の仮装をした紳士淑女たちが、楽しそうにステップを踏ん
だり、くるくる回ったりしていました。
天井からは、白や黄色やピンクや水色の見たこともないような花びらが、ひらひら、ひらひらと降ってきていて、それはそれは美しかったそうです。
ホールで踊っていた人たちは、扉が開くと同時に、一斉に動きを止めて、ひかりちゃんのほうを見ました。
「人間だ」
「人間だ」
「人間だ」
「人間だ」
ひかりちゃんは、どうしていいかわからず、立ちすくんでしまいました。
そのとき、ふたつの「エッヘン」という咳払いが重なって聞こえました。
「レディースアンドジェントルメン、こちらにいらっしゃいますのは、テントウ虫姫であらせられますぞ。なんと、人間の娘の仮装をしてこられたのでございます」
2人の紳士バッタが、声も高らかに宣言すると、ホールにいた人たちは、
「なんとまあ」
「あまりにも仮装が上手で、本物かと思ってしまいましたよ」
「テントウ虫姫なら安心だ」
「テントウ虫姫なら安心ね」
と口々につぶやきながら、踊りに戻っていきました。
ひかりちゃんは、テントウ虫のレインコートを腕にかけると、お姫さまらしく、しずしずとお城の中に入っていきました。踊っている人たちが、みんな軽く会釈をして、道を開けてくれました。タラターナの国の人たちは、みんな小さいと聞いていたけれど、ここの人たちは、みんなひかりちゃんと同じか、もう少し背が高いくらいでした。踊っている人たちの周りには、ぐるりと銀のお皿が並んでいて、そこには美味しそうなお料理が湯気を上げて並んでいました。どんなものがあったと思う?
カレー?もちろん、ありました。ビーフカレーにチキンカレーにポークカレー。野菜カレーにフルーツカレーにシーフードカレー。それぞれに、辛口・中辛・甘口が用意されています。他には?
ハンバーグ?ハンバーグだって、もちろんあります。トマトソースをかけたのや、とろけるチーズをのせたのや、目玉焼きをのせたのや、大根おろしをのせた和風味のや、揚げたのや、そうそうお豆腐で作ったヘルシーなハンバーグだってありました。もう、あおいちゃんとなつきちゃんがお腹ぽんぽんになるくらい食べたって、全然なくならないくらい、たくさんの種類が並んでいたんだって。
ひかりちゃんが、お料理をながめたり、ちょっとつまみ食いをしたりしながら、歩いていると、どこからかまたあの声が、頭の中で聞こえてきました。
「助けて、助けて」
こんなに楽しそうなパーティなのに、一体誰が困っているというのでしょう。ひかりちゃんは、キョロキョロとあたりを見回しました。そして、みんなが踊っているホールの奥の、一段高くなったところに、カエルの姿をした王様とお妃様と王子様が座っているのを発見しました。
なぜ王様だとわかったかというと、とても大きな宝石で飾られた立派な王冠をかぶっていて、黄金色のマントを肩にかけていたからです。お妃様は、ホールの誰よりも豪華なドレスを着て、見るたびに色が変わる、うっとりするようなショールを羽織っていましたし、王子様は、王様のよりはひとまわり小さい、それでも十分に立派な王冠をかぶっていました。そして、ホール中が浮かれている中、この3人だけが、なんだか沈んでいるように見えました。

ひかりちゃんは、思いきって、王様のところに行ってみることにしました。王様が座っている椅子の前には、赤いじゅうたんが、長い道のように敷かれていました。ひかりちゃんは、お姫様らしく、ツンとあごをあげて、ゆっくりとじゅうたんの上を歩きました。
そして、王様の前までくると、スカートのすそをちょんとつまんで、とても優雅にお辞儀をしました。それはまるで、本物のお姫様のようだったんだって。
「王様、こんにちは。テントウ虫姫です。このたびは、お招きにあずかり、光栄でございます」
ひかりちゃんは、お姫様が出てくるマンガが好きなので、こんな難しいことだって言えるのです。
王様は、悲しい目をして、
「うむ」
とだけ返事をすると、そのままうつむいてしまいました。あれれ?ひかりちゃんに「助けて」って言ってたのは、この王様じゃないのかなあ。
次に、ひかりちゃんは、お妃様のほうを向いて、にっこり微笑みました。お妃様は、悲しそうに微笑むと、どこか遠くの方に目を向けてしまいました・
最後に、ひかりちゃんは、王子様のほうを向いて、その目をのぞきこみました。王子様は、びっくりしたように、パチパチパチと3回まばたきをしました。
ひかりちゃんは、「きっと、この王子様が、私を呼んだのに違いない」と思いました。あおいちゃんも、そう思う?どうだろうね。もう少し、お話を聞いていたらわかるよ。
それでね、ひかりちゃんは、王子様に向かって、もう一度優雅にお辞儀をすると、こんなことを言ったそうです。
「王子様、学習ドリルがようやく出来上がりましたので、こちらにお持ちしました」
「が・・・なんだって?」
王子様は、びっくりして、思わず聞き返しました。
「学習ドリルでございます」
と、ひかりちゃんは、すましていいました。
「算数の学習ドリルが出来上がったのですが、かけ算のやり方がお気に召すかどうかが、ちょっと心配なのでございます。そこで、王子様に一度試してもらいたいと思いまして、本日お城に持ってきたのです」
「な・・・なんで、算数ドリルなんか?」
王子様が、焦って言いました。ひかりちゃんは、足をドンと踏み鳴らすと、ちょっと怒ったように、こう言いました。
「なんでって、王子様、お忘れでございますか?私たちテントウ虫一族は、代々タラターナ国の算数大臣を仰せつかってまいりました、由緒正しい家系でございます。私たちには、王子様の算数教育に対する責任があるのでございますよ」
ひかりちゃんは、このとき、すっかりテントウ虫姫になりきっていました。あまりにもその演説が素晴らしかったので、思わず王様が拍手をしてしまったくらいです。お妃様も、大きくうなずいて、
「王子様、せっかくテントウ虫姫がこのように言ってくださっているのですから、知恵の部屋に行って、ドリルを試してごらんなさい」
と言いました。
王子様は、王様やお妃様に聞こえないくらいの小さな声で、「ちぇっ」と言うと、ひかりちゃんの前をズンズン歩いていきました。
ひかりちゃんは、ぺろっと舌を出しながら、その後ろを、小走りで追いかけていきました。
そうだね。カエルの王子様は、自分で「助けて、助けて」ってひかりちゃんを呼んだくせに、どうしてひかりちゃんのこと知らないふりしたんだろうね。その話は、明日してあげるね。今日は、ずいぶん長くお話ししちゃったから、もう寝ないとね。
あら、なつきちゃんったら、おっきなおめめをぱっちり開けて、今日は寝ないで最後まで聞いてたの。カレーのところが、面白かった?そりゃあ、よかったね。
そうそう、今日も、タラターナ人さんに祈りをして、寝なくちゃね。
「タラターナ人さん、今日は晴れにしてくれて、ありがとうございました。明日も、いいお天気にしてください。よろしくお願いします」
はい、これで大丈夫。ふたりとも、安心しておやすみなさい。
あおいちゃん、今日はずいぶん呪文を練習してたみたいだね。言えるようになった?ちょっと、おばちゃんと一緒に、言ってみようか。
『カエルピョコピョコ、ミピョコピョコ。
あわせてピョコピョコ、ムピョコピョコ』
ああ、上手だ。上手に言えるようになったね。
あのね、いつも汚れたお人形をおんぶしてる、ちょっと怖い顔をしたおばあちゃんがいるでしょう。あのおばあちゃんが、あおいちゃんが呪文の練習をしているのを見て笑ってたんだって。あのおばあちゃんが笑うなんて珍しいって、みんなびっくりしてたよ。あおいちゃんが、あんまり一生懸命だったから、きっと怖いおばあちゃんも、嬉しくなっちゃったんだね。
えっ、なつきちゃんも言えるようになったの?どれどれ、言ってごらん。
あはははは。上手、上手。おばちゃん、びっくりしたよ。これなら、ふたりとも、いつでもタラターナの国に行けるね。それじゃあ、お話の続きを始めましょう。
ミチアンナイは、それからまた少し飛んで、ひかりちゃんをお城の扉のところまで案内すると、ひかりちゃんの頭の上で、礼儀正しく3回まわって、どこかに飛んでいってしまいました。
お城の扉は、深緑色をした特別がんじょうな石でできていて、取っ手には金色のカエルがついていました。扉の両側には、ひかりちゃんと同じくらいの背丈のバッタが、紳士らしく帽子をかぶって立っていました。
紳士のバッタたちは、ひかりちゃんにふかぶかとおじぎをすると、声を合わせてこう言いました。
「これはこれは、テントウ虫姫さま、本日は、舞踏会にようこそ」
ひかりちゃんは、お姫様らしく上品に会釈をすると、扉を開けようとしました。すると、2人の紳士バッタが、手に持っていた長い剣を、両側からひかりちゃんの前にさっと差し出して、前に進めないようにしてしまったので、ひかりちゃんは、あやうく転んでしまいそうになりました。
2人の紳士バッタは、帽子のつばにさっと手をやると、声を合わせて、
「や、これは失礼しました」
と、言いました。
「しかし、今日は仮装パーティとご案内を差し上げていたはずですよ。それを、ご存じないとは・・・」
と、2人の紳士バッタが眉をひそめました。なんだか、ひかりちゃんのことを怪しんでいるようです。ひかりちゃんは、とっさに、手のひらを口元にもっていくと、
「おーっほっほ、まさか。知らないわけがないじゃございませんこと」
と笑いました。ひかりちゃんは、毎日のようにみどりちゃん(おばちゃんのことね)と、お姫様ごっこをしているので、お姫様の真似がとても上手なのです。
ひかりちゃんは、テントウ虫のレインコートを、ばっと脱ぎました。
「な、なんと」
「人間の仮装をするとは、大胆な」
2人の紳士バッタは、動揺のあまり、それぞれ勝手なことを口走ってしまいました。でも、すぐに気を取り直して、
「これはこれは、失礼いたしました。テントウ虫姫さま、さすがでございます。改めまして・・・タラターナ城主催、第189回、仮装パーティへようこそ!」
と声を合わせていうと、両側から、扉を大きく開いてくれました。
中から、どっと、ウキウキするようなオーケストラの音楽が流れてきました。
思い思いの格好、たとえば薔薇だとか、孔雀だとか、熱帯魚だとか、の仮装をした紳士淑女たちが、楽しそうにステップを踏ん
だり、くるくる回ったりしていました。
天井からは、白や黄色やピンクや水色の見たこともないような花びらが、ひらひら、ひらひらと降ってきていて、それはそれは美しかったそうです。
ホールで踊っていた人たちは、扉が開くと同時に、一斉に動きを止めて、ひかりちゃんのほうを見ました。
「人間だ」
「人間だ」
「人間だ」
「人間だ」
ひかりちゃんは、どうしていいかわからず、立ちすくんでしまいました。
そのとき、ふたつの「エッヘン」という咳払いが重なって聞こえました。
「レディースアンドジェントルメン、こちらにいらっしゃいますのは、テントウ虫姫であらせられますぞ。なんと、人間の娘の仮装をしてこられたのでございます」
2人の紳士バッタが、声も高らかに宣言すると、ホールにいた人たちは、
「なんとまあ」
「あまりにも仮装が上手で、本物かと思ってしまいましたよ」
「テントウ虫姫なら安心だ」
「テントウ虫姫なら安心ね」
と口々につぶやきながら、踊りに戻っていきました。
ひかりちゃんは、テントウ虫のレインコートを腕にかけると、お姫さまらしく、しずしずとお城の中に入っていきました。踊っている人たちが、みんな軽く会釈をして、道を開けてくれました。タラターナの国の人たちは、みんな小さいと聞いていたけれど、ここの人たちは、みんなひかりちゃんと同じか、もう少し背が高いくらいでした。踊っている人たちの周りには、ぐるりと銀のお皿が並んでいて、そこには美味しそうなお料理が湯気を上げて並んでいました。どんなものがあったと思う?
カレー?もちろん、ありました。ビーフカレーにチキンカレーにポークカレー。野菜カレーにフルーツカレーにシーフードカレー。それぞれに、辛口・中辛・甘口が用意されています。他には?
ハンバーグ?ハンバーグだって、もちろんあります。トマトソースをかけたのや、とろけるチーズをのせたのや、目玉焼きをのせたのや、大根おろしをのせた和風味のや、揚げたのや、そうそうお豆腐で作ったヘルシーなハンバーグだってありました。もう、あおいちゃんとなつきちゃんがお腹ぽんぽんになるくらい食べたって、全然なくならないくらい、たくさんの種類が並んでいたんだって。
ひかりちゃんが、お料理をながめたり、ちょっとつまみ食いをしたりしながら、歩いていると、どこからかまたあの声が、頭の中で聞こえてきました。
「助けて、助けて」
こんなに楽しそうなパーティなのに、一体誰が困っているというのでしょう。ひかりちゃんは、キョロキョロとあたりを見回しました。そして、みんなが踊っているホールの奥の、一段高くなったところに、カエルの姿をした王様とお妃様と王子様が座っているのを発見しました。
なぜ王様だとわかったかというと、とても大きな宝石で飾られた立派な王冠をかぶっていて、黄金色のマントを肩にかけていたからです。お妃様は、ホールの誰よりも豪華なドレスを着て、見るたびに色が変わる、うっとりするようなショールを羽織っていましたし、王子様は、王様のよりはひとまわり小さい、それでも十分に立派な王冠をかぶっていました。そして、ホール中が浮かれている中、この3人だけが、なんだか沈んでいるように見えました。

ひかりちゃんは、思いきって、王様のところに行ってみることにしました。王様が座っている椅子の前には、赤いじゅうたんが、長い道のように敷かれていました。ひかりちゃんは、お姫様らしく、ツンとあごをあげて、ゆっくりとじゅうたんの上を歩きました。
そして、王様の前までくると、スカートのすそをちょんとつまんで、とても優雅にお辞儀をしました。それはまるで、本物のお姫様のようだったんだって。
「王様、こんにちは。テントウ虫姫です。このたびは、お招きにあずかり、光栄でございます」
ひかりちゃんは、お姫様が出てくるマンガが好きなので、こんな難しいことだって言えるのです。
王様は、悲しい目をして、
「うむ」
とだけ返事をすると、そのままうつむいてしまいました。あれれ?ひかりちゃんに「助けて」って言ってたのは、この王様じゃないのかなあ。
次に、ひかりちゃんは、お妃様のほうを向いて、にっこり微笑みました。お妃様は、悲しそうに微笑むと、どこか遠くの方に目を向けてしまいました・
最後に、ひかりちゃんは、王子様のほうを向いて、その目をのぞきこみました。王子様は、びっくりしたように、パチパチパチと3回まばたきをしました。
ひかりちゃんは、「きっと、この王子様が、私を呼んだのに違いない」と思いました。あおいちゃんも、そう思う?どうだろうね。もう少し、お話を聞いていたらわかるよ。
それでね、ひかりちゃんは、王子様に向かって、もう一度優雅にお辞儀をすると、こんなことを言ったそうです。
「王子様、学習ドリルがようやく出来上がりましたので、こちらにお持ちしました」
「が・・・なんだって?」
王子様は、びっくりして、思わず聞き返しました。
「学習ドリルでございます」
と、ひかりちゃんは、すましていいました。
「算数の学習ドリルが出来上がったのですが、かけ算のやり方がお気に召すかどうかが、ちょっと心配なのでございます。そこで、王子様に一度試してもらいたいと思いまして、本日お城に持ってきたのです」
「な・・・なんで、算数ドリルなんか?」
王子様が、焦って言いました。ひかりちゃんは、足をドンと踏み鳴らすと、ちょっと怒ったように、こう言いました。
「なんでって、王子様、お忘れでございますか?私たちテントウ虫一族は、代々タラターナ国の算数大臣を仰せつかってまいりました、由緒正しい家系でございます。私たちには、王子様の算数教育に対する責任があるのでございますよ」
ひかりちゃんは、このとき、すっかりテントウ虫姫になりきっていました。あまりにもその演説が素晴らしかったので、思わず王様が拍手をしてしまったくらいです。お妃様も、大きくうなずいて、
「王子様、せっかくテントウ虫姫がこのように言ってくださっているのですから、知恵の部屋に行って、ドリルを試してごらんなさい」
と言いました。
王子様は、王様やお妃様に聞こえないくらいの小さな声で、「ちぇっ」と言うと、ひかりちゃんの前をズンズン歩いていきました。
ひかりちゃんは、ぺろっと舌を出しながら、その後ろを、小走りで追いかけていきました。
そうだね。カエルの王子様は、自分で「助けて、助けて」ってひかりちゃんを呼んだくせに、どうしてひかりちゃんのこと知らないふりしたんだろうね。その話は、明日してあげるね。今日は、ずいぶん長くお話ししちゃったから、もう寝ないとね。
あら、なつきちゃんったら、おっきなおめめをぱっちり開けて、今日は寝ないで最後まで聞いてたの。カレーのところが、面白かった?そりゃあ、よかったね。
そうそう、今日も、タラターナ人さんに祈りをして、寝なくちゃね。
「タラターナ人さん、今日は晴れにしてくれて、ありがとうございました。明日も、いいお天気にしてください。よろしくお願いします」
はい、これで大丈夫。ふたりとも、安心しておやすみなさい。
第五章 穂の姫と、日の王子
なつきちゃん、真っ赤なお顔で、ふうふう言ってて、かわいそうだね。毎日寒かったから、とうとうお熱が出ちゃったんだね。あおいちゃんも、こんこんお咳が出ているね。今日はお話をやめて、早く寝ましょうか。
続きを、聞きたいの?じゃあ、ほら、もっとおばちゃんにくっついて。足も、おばちゃんにくっつけていいよ。ひゃあ、冷たい。あおいちゃんの足、こんなに冷えてたんだね。あおいちゃんのアンヨ、あったかくなれ、あったかくなれ。なつきちゃんのアンヨも、あったかくなれ、あったかくなれ。
それじゃあ、お話の続きを始めましょう。
カエルの王子様はね、桜色の扉を開けて知恵の部屋に入ると、顔と頭をすっぽり隠していたカエルのフードを脱いで、大股で歩きまわりながら、
「何だって、キミは、学習ドリルなんてわけのわからないことを言い出したんだ」
って怒ったんだって。
カエルのフードを脱いだ王子さまは、金色の、絹のような柔らかい髪をしていて、透きとおるようなブルーの目をしていて、ひかりちゃんは、思わずうっとりしてしまったそうです。
王子様は、そんなことには気づかずに、歩き回りながら、
「ドリルなんて、捨てるほどいっぱいあるんだ!もうたくさんだ!」
と、本棚を指さして言いました。
なるほど、たしかに、広い広い部屋の中には、壁いっぱいに大きな本棚が並んでいて、そこには教科書やドリルが、びっしりと背表紙をそろえて並べられていました。他にも、百科事典とか、外国語の辞書とか、不思議な生き物の図鑑とか、魔法使いのためのお料理の本とか、大昔の人が書いた読めない本などもありました。古びて茶色に変色した地球儀や、黒光りする望遠鏡もありました。そこは、まるで、図書館みたいだったんだって。

ひかりちゃんは、ちょっと肩をすくめると、
「だって、王子様が、私とふたりきりで話をしたいかと思ったんですもの」
って言いました。
王子様は、真っ赤な顔になって、
「な、なんで僕が、キミとふたりきりで話さなきゃいけないんだ!」
とわめきました。
ひかりちゃんは、目を丸くして、
「だって、助けてって言ってたの、王子様でしょ?」
と言いました。
王子様は、ますます真っ赤な顔になって、
「な、な、なんで僕が、キミに助けてなんて・・・」
と言いかけて、はっとした顔をしたそうです。
そして、ツカツカと、ひかりちゃんの目の前まで歩いてくると、
「ちょっと待て。誰かが、キミに助けてって言ったのか?どんな声だった?どこで聞いた?なんで、それを僕だと思ったんだ?」
と、聞きました。
王子様は、シンデレラの絵本に出てくる王子様みたいに素敵だったけど、あんまり怒りんぼで、次から次に質問をしてくるの
で、ひかりちゃんはだんだん腹が立ってきて、
「知らない。忘れた」
ってそっぽを向きました。そして、
「もう、帰る」
と言うと、ツンツンしながら、知恵の部屋を出ていこうとしました。
「ちょ、ちょっと待った」
と、王子様が、あわてて追いかけてきました。
「ごめんごめん、怒ったのなら、あやまるよ。でも、大事なことなんだ、教えてくれないか」
と、言いました。
ひかりちゃんは、ぐるりとお部屋を見回すと、
「う~ん、それじゃあ、お茶を出してくださったら、話してあげてもいいですことよ」
と、お上品に言いました。
知恵の部屋には、ひかりちゃんたちが入ってきた桜色の扉とは別に、あと3つ扉があって、その扉のうちのひとつ、雪のように真っ白な扉の脇の銀のワゴンに、お茶のセットが用意されているのを発見したからです。
王子様は、「ちぇっ」と言うと(そうだね、きっとこれが王子様のクセなんだね)、きれいなエメラルド色の指をパチンと鳴らしました。
すると、白い扉が開いて、メイドさんが二人、静かに部屋に入ってきました。
「お茶のしたくを」
と、王子様がいばって言うと、メイドさんたちは、
「かしこまりました」
と、かわいらしく声を揃えてお返事しました。
メイドさんたちは、大きな銀のお皿をそれぞれに持つと、王子様とひかりちゃんのところに、しずしずとやってきました。そしてね、メイドさんたちがお皿のふたをとると、ふたつのお皿には、色とりどりのケーキが、あふれそうなくらいに並んでいたんだって。
どんなケーキが並んでいたかって?え~っとね、イチゴのショートケーキでしょ、チーズケーキでしょ、シフォンケーキでしょ、オレンジケーキにバナナケーキに紅茶のケーキでしょ、リンゴのタルトに洋梨のタルトにクルミのタルトでしょ、ロールケーキでしょ、モンブランでしょ、ブラウニーでしょ、あと、何があったかなあ。あおいちゃん、わかる?
そうそう、シュークリームに、ドーナッツに、チョコエクレア。あおいちゃん、エクレアなんて知ってるんだね。
アイス?そっか~、なつきちゃんは、お熱だから、アイスが食べたいんだね。じゃあ、クッキー&クリーム味のアイスケーキだって、ありました。
じゃあ、なつきちゃんは、アイスケーキね。あおいちゃんは、どれがいい?
う~んと、う~んと・・・イチゴのショートケーキとシュークリームね。了解了解。
なつきちゃんも、もうひとつ食べるの?いいよ。どれがいい?
え~っと、え~っと・・・じゃあ、お姉ちゃんとおんなじで、イチゴのショートケーキね。
メイドさんは、赤いバラと金のツタの模様で縁取られた、とっても高級そうなお皿に、イチゴのショートケーキを2個と、アイスケーキと、あと何だっけ?そうそう、シュークリームを乗せてくれました。ちゃんと、銀のスプーンとフォークも添えてくれました。
そして、お皿とお揃いの模様のティーカップに、蜂蜜ティーをたっぷりと注いでくれました。
蜂蜜ティーっていうのはね、あったかいミルクに、金色の蜂蜜をとかして、紅茶でほんの少し香りづけをした、タラターナ国で人気の飲み物なんだって。全然にがくなくて、とっても甘いから、あおいちゃんだって、なつきちゃんだって、きっと大好きだよ。

メイドさんたちがお茶のしたくをして、静かに知恵の部屋を出ていくと、ひかりちゃんは、椅子に腰かけて、膝の上にナプキンを広げました。ひかりちゃんは、お姫様なので、とてもお行儀がいいのです。
そして、銀のフォークを上手に使って、ケーキを食べました。とけちゃわないように、アイスケーキから、順番に食べました。
え?王子様は、どのケーキを食べたかって?え~っとね、ふわふわのシフォンケーキと、生クリームたっぷりのロールケーキを食べました。
ひかりちゃんは、ケーキを食べながら、頭の中の声の話をしました。王子様は、その話を、きれいな金色の眉をひそめながら聞きました。
そして、こんなふうに言いました。
「穂の姫に、何かあったに違いない」
穂の姫っていうのはね、王子様と双子の妹なんだって。
そうだね。なつきちゃんは、あおいちゃんの妹だよね。
それでね、穂の姫は、稲穂の穂だから、お米の神様の「使い」なんだって。王子様のほうは、日の王子っていう名前で、太陽の神様の「使い」なんだって。「使い」っていうのはね、神様とお話できる人のことだよ。
それでね、どうして日の王子が「助けてって言ってるのは、穂の姫に違いない」って思ったかっていうとね、穂の姫は、3日前に「ちょっと行ってくる」って言ってお城を出たまま、今日になっても帰ってこないからなんだって。それで、王様もお妃様も王子様も、心配で心配で、暗い顔をしていたんだそうです。だけど、タラターナ国の人たちにそんなことを言ったら、みんな心配しちゃうでしょ?だから、このことは、3人だけの秘密にしているんだって。
穂の姫は、どこに行ったかっていうとね・・・あらあら、なつきちゃん、さっきまで元気だったのに、どうしたの?お熱があるから、悲しくなっちゃったね。真っ赤な顔で、え~んえ~んって泣いて、かわいそうだね。よしよし。今日は、このへんでおしまいにしようね。
なつきちゃんのお熱が、早く下がりますように。あおいちゃんのお咳が、早くとまりますように。
ふたりとも、寒くない?もっとおばちゃんにくっついて。そうそう。おやすみなさい。
なつきちゃん、真っ赤なお顔で、ふうふう言ってて、かわいそうだね。毎日寒かったから、とうとうお熱が出ちゃったんだね。あおいちゃんも、こんこんお咳が出ているね。今日はお話をやめて、早く寝ましょうか。
続きを、聞きたいの?じゃあ、ほら、もっとおばちゃんにくっついて。足も、おばちゃんにくっつけていいよ。ひゃあ、冷たい。あおいちゃんの足、こんなに冷えてたんだね。あおいちゃんのアンヨ、あったかくなれ、あったかくなれ。なつきちゃんのアンヨも、あったかくなれ、あったかくなれ。
それじゃあ、お話の続きを始めましょう。
カエルの王子様はね、桜色の扉を開けて知恵の部屋に入ると、顔と頭をすっぽり隠していたカエルのフードを脱いで、大股で歩きまわりながら、
「何だって、キミは、学習ドリルなんてわけのわからないことを言い出したんだ」
って怒ったんだって。
カエルのフードを脱いだ王子さまは、金色の、絹のような柔らかい髪をしていて、透きとおるようなブルーの目をしていて、ひかりちゃんは、思わずうっとりしてしまったそうです。
王子様は、そんなことには気づかずに、歩き回りながら、
「ドリルなんて、捨てるほどいっぱいあるんだ!もうたくさんだ!」
と、本棚を指さして言いました。
なるほど、たしかに、広い広い部屋の中には、壁いっぱいに大きな本棚が並んでいて、そこには教科書やドリルが、びっしりと背表紙をそろえて並べられていました。他にも、百科事典とか、外国語の辞書とか、不思議な生き物の図鑑とか、魔法使いのためのお料理の本とか、大昔の人が書いた読めない本などもありました。古びて茶色に変色した地球儀や、黒光りする望遠鏡もありました。そこは、まるで、図書館みたいだったんだって。

ひかりちゃんは、ちょっと肩をすくめると、
「だって、王子様が、私とふたりきりで話をしたいかと思ったんですもの」
って言いました。
王子様は、真っ赤な顔になって、
「な、なんで僕が、キミとふたりきりで話さなきゃいけないんだ!」
とわめきました。
ひかりちゃんは、目を丸くして、
「だって、助けてって言ってたの、王子様でしょ?」
と言いました。
王子様は、ますます真っ赤な顔になって、
「な、な、なんで僕が、キミに助けてなんて・・・」
と言いかけて、はっとした顔をしたそうです。
そして、ツカツカと、ひかりちゃんの目の前まで歩いてくると、
「ちょっと待て。誰かが、キミに助けてって言ったのか?どんな声だった?どこで聞いた?なんで、それを僕だと思ったんだ?」
と、聞きました。
王子様は、シンデレラの絵本に出てくる王子様みたいに素敵だったけど、あんまり怒りんぼで、次から次に質問をしてくるの
で、ひかりちゃんはだんだん腹が立ってきて、
「知らない。忘れた」
ってそっぽを向きました。そして、
「もう、帰る」
と言うと、ツンツンしながら、知恵の部屋を出ていこうとしました。
「ちょ、ちょっと待った」
と、王子様が、あわてて追いかけてきました。
「ごめんごめん、怒ったのなら、あやまるよ。でも、大事なことなんだ、教えてくれないか」
と、言いました。
ひかりちゃんは、ぐるりとお部屋を見回すと、
「う~ん、それじゃあ、お茶を出してくださったら、話してあげてもいいですことよ」
と、お上品に言いました。
知恵の部屋には、ひかりちゃんたちが入ってきた桜色の扉とは別に、あと3つ扉があって、その扉のうちのひとつ、雪のように真っ白な扉の脇の銀のワゴンに、お茶のセットが用意されているのを発見したからです。
王子様は、「ちぇっ」と言うと(そうだね、きっとこれが王子様のクセなんだね)、きれいなエメラルド色の指をパチンと鳴らしました。
すると、白い扉が開いて、メイドさんが二人、静かに部屋に入ってきました。
「お茶のしたくを」
と、王子様がいばって言うと、メイドさんたちは、
「かしこまりました」
と、かわいらしく声を揃えてお返事しました。
メイドさんたちは、大きな銀のお皿をそれぞれに持つと、王子様とひかりちゃんのところに、しずしずとやってきました。そしてね、メイドさんたちがお皿のふたをとると、ふたつのお皿には、色とりどりのケーキが、あふれそうなくらいに並んでいたんだって。
どんなケーキが並んでいたかって?え~っとね、イチゴのショートケーキでしょ、チーズケーキでしょ、シフォンケーキでしょ、オレンジケーキにバナナケーキに紅茶のケーキでしょ、リンゴのタルトに洋梨のタルトにクルミのタルトでしょ、ロールケーキでしょ、モンブランでしょ、ブラウニーでしょ、あと、何があったかなあ。あおいちゃん、わかる?
そうそう、シュークリームに、ドーナッツに、チョコエクレア。あおいちゃん、エクレアなんて知ってるんだね。
アイス?そっか~、なつきちゃんは、お熱だから、アイスが食べたいんだね。じゃあ、クッキー&クリーム味のアイスケーキだって、ありました。
じゃあ、なつきちゃんは、アイスケーキね。あおいちゃんは、どれがいい?
う~んと、う~んと・・・イチゴのショートケーキとシュークリームね。了解了解。
なつきちゃんも、もうひとつ食べるの?いいよ。どれがいい?
え~っと、え~っと・・・じゃあ、お姉ちゃんとおんなじで、イチゴのショートケーキね。
メイドさんは、赤いバラと金のツタの模様で縁取られた、とっても高級そうなお皿に、イチゴのショートケーキを2個と、アイスケーキと、あと何だっけ?そうそう、シュークリームを乗せてくれました。ちゃんと、銀のスプーンとフォークも添えてくれました。
そして、お皿とお揃いの模様のティーカップに、蜂蜜ティーをたっぷりと注いでくれました。
蜂蜜ティーっていうのはね、あったかいミルクに、金色の蜂蜜をとかして、紅茶でほんの少し香りづけをした、タラターナ国で人気の飲み物なんだって。全然にがくなくて、とっても甘いから、あおいちゃんだって、なつきちゃんだって、きっと大好きだよ。

メイドさんたちがお茶のしたくをして、静かに知恵の部屋を出ていくと、ひかりちゃんは、椅子に腰かけて、膝の上にナプキンを広げました。ひかりちゃんは、お姫様なので、とてもお行儀がいいのです。
そして、銀のフォークを上手に使って、ケーキを食べました。とけちゃわないように、アイスケーキから、順番に食べました。
え?王子様は、どのケーキを食べたかって?え~っとね、ふわふわのシフォンケーキと、生クリームたっぷりのロールケーキを食べました。
ひかりちゃんは、ケーキを食べながら、頭の中の声の話をしました。王子様は、その話を、きれいな金色の眉をひそめながら聞きました。
そして、こんなふうに言いました。
「穂の姫に、何かあったに違いない」
穂の姫っていうのはね、王子様と双子の妹なんだって。
そうだね。なつきちゃんは、あおいちゃんの妹だよね。
それでね、穂の姫は、稲穂の穂だから、お米の神様の「使い」なんだって。王子様のほうは、日の王子っていう名前で、太陽の神様の「使い」なんだって。「使い」っていうのはね、神様とお話できる人のことだよ。
それでね、どうして日の王子が「助けてって言ってるのは、穂の姫に違いない」って思ったかっていうとね、穂の姫は、3日前に「ちょっと行ってくる」って言ってお城を出たまま、今日になっても帰ってこないからなんだって。それで、王様もお妃様も王子様も、心配で心配で、暗い顔をしていたんだそうです。だけど、タラターナ国の人たちにそんなことを言ったら、みんな心配しちゃうでしょ?だから、このことは、3人だけの秘密にしているんだって。
穂の姫は、どこに行ったかっていうとね・・・あらあら、なつきちゃん、さっきまで元気だったのに、どうしたの?お熱があるから、悲しくなっちゃったね。真っ赤な顔で、え~んえ~んって泣いて、かわいそうだね。よしよし。今日は、このへんでおしまいにしようね。
なつきちゃんのお熱が、早く下がりますように。あおいちゃんのお咳が、早くとまりますように。
ふたりとも、寒くない?もっとおばちゃんにくっついて。そうそう。おやすみなさい。
第6章 秋の村のベールづくり
なつきちゃんのお熱、なかなか下がらないね。かわいそうに。あおいちゃんは、どう?コンコンってお咳が苦しいね。
でもね、病院は、いま、お怪我をした人や、あおいちゃんやなつきちゃんよりもっと重い病気の人で、満員なんだって。だから、お医者さんに行かないで、がんばって風邪を治そうね。だけど、あおいちゃんとなつきちゃんなら、大丈夫。強いから、きっとお風邪なんて、すぐにやっつけられるよ。
ううん、病気は、タラターナの国の人が持ってくるんじゃないよ。病気になったり、元気になったりするのはね、また別の国の人たちの係なんだよ。その国のお話も、タラターナの国のお話が終わったらしてあげようね。今日は、穂の姫を助けに行くお話の続きをしますよ。はじまり、はじまり。
穂の姫はね、「ちょっと行ってくる」って言って、どこに行ったかというとね、秋の村に行ったんだって。
どうしてかというと、その前の年の夏が、とってもとっても暑かったからです。夏が暑かった次の年には、お米がとれなくなっちゃうことが多いんだって。でもね、人間は、お米が大好きでしょ。
あら、あおいちゃんは、パンの方が好きなの?なつきちゃんは?そう、おにぎりが大好きなの。じゃあ、なつきちゃんが食べるおにぎりのお米がなくなっちゃうと困るでしょ。
だからね、穂の姫は、お米がいっぱいとれるようにするにはどうしたらいいか教えてもらうために、秋の村の長老に会いに行ったんだって。そして、そのまま、連絡がとれなくなってしまったんだって。
「きっと、悪い奴につかまったに違いない!助けに行かなくちゃ!」
と、日の王子は言いました。そして、
「テントウ虫姫は、もう帰ってよろしい」
って、いばって言いました。
でも、ひかりちゃんは、穂の姫を助けるために、タラターナ国に来たのですから、そういうわけにはいきません。
「王子様、私もおともいたします」
と言うと、王子様はむっとした顔をして、
「秋の村に行くのは、まだ早すぎる。キミは、まだほんの子どもじゃないか」
と言いました。
そうだよね、王子様だって、まだ子どもなのにね。
ひかりちゃんは、ぷっと頬をふくらませると、
「まあ、王子様、それは失礼じゃありませんか。秋の村に行ったら、穂の姫を助けるために、きっと私の力が必要になるはずです。それに、第一、穂の姫の声は、私にしか聞こえないのですよ。どうやって、日の王子ひとりで、助けにいくんですか?」
と、言いました。
王子様は、ひかりちゃんを、上から下までじろじろ見ると、
「それはそうだけど、でも、足手まといになりそうだからなあ」
と、つぶやきました。ひかりちゃんは、きーっと怒って、
「連れていかないなら、王様とお妃様に、このことを言いつけますからね!」
と、言いました。
「ちょっと待って。それはダメだよ。母上は、穂の姫を心配するあまり、熱を出してしまったし、父上は、そんな母上を心配して、これまた熱を出しているんだ。これ以上、心配をかけるわけにはいかないよ!」
と、王子様が言いました。
そうだね、お熱、なつきちゃんと一緒だね。
「じゃあ、私も一緒に連れていってくれますね?」
と、ひかりちゃんがにっこり笑って言うと、王子様は、
「ちぇっ、ちぇっ、しょうがないな」
と、言いました。そして、四つの扉のうちの、桜色の扉の向かい側、茜色の扉の方にどんどん歩いていきました。
茜色っていうのはね、果物の柿、食べたことある?ないか。じゃあね、そうだ、夕焼けの色が、茜色だよ。
それでね、茜色の扉を開けたらね、扉の向こうは、王子様たちの寝室でした。どうして寝室だってわかったかというと、ふわふわでふかふかの大きな雲が四つ浮かんでいたからです。そして、その上には、1つの雲に1つずつ、軽くて暖かそうな、カエルの柄の羽毛布団が畳んで置かれていたからです。もちろん、お布団と同じ柄の羽毛枕も、セットで置いてあったそうですよ。

日の王子は、お行儀悪く、ポンポンポンとその雲の上を飛んでいきました。ひかりちゃんは、いつも「お布団の上で遊んではいけません」ってお母さんに叱られていたので、どうしようかなあと思ったけど、ここで王子様とはぐれてしまっては困るので、慌てて、ポンポンポンと雲を飛んで、王子様についていきました。
4つめの雲を飛んだところに、お城に入ってきたときと同じ、深緑色をした特別がんじょうな石の扉がありました。その扉を開けると、そこはもうお外でした。お日様がぽかぽかとふたりを照らしました。王子様が「う~ん」と気持ちよさそうに、伸びをしました。ひかりちゃんも、真似をして、「う~ん」って伸びをしました。
あおいちゃんも、やってごらん。せーの、「う~ん」。あらあら、お咳が出ちゃったね。ごめんごめん。お水を飲んで。もう、大丈夫?
扉の前には、紳士のバッタ・・・じゃなくて、こちらには紳士のコオロギが2人立っていて、突然王子様が出てきたものだから、びっくりして、羽をすりあわせて、「ヒロロロロ」「ヒロロロロ」って鳴いたんだって。
王子様は、そんなことには構わずに、ピーッと指笛を鳴らしました。すると、どこからか、あのミチアンナイが飛んできて、王子様の足元に、さっと降り立ちました。
「はっ、日の王子、何か御用でございますか」
「秋の村の長老のところに、案内せよ」
こういうとき、おこりんぼの王子様は、いかにも位の高い人のように見えました。
ミチアンナイは、「はっ」とおじぎをすると、王子様の頭の上を高く高く飛び上がりました。
そして、何かを探すように、お城の上を大きく3回まわると、また王子様の足元に戻ってきました。そして、
「日の王子、こちらへどうぞ」
と言うと、少し飛んで、王子様とひかりちゃんを振り返りました。
こうして、王子様とひかりちゃんは、「タラターナ城 秋の門」を出て、秋の村に向かい始めたのです。
秋の村は、大きな湖をぐるりと回ったところにありました。日の王子とひかりちゃんは、湖のほとりを、てくてくと歩いていきました。湖の上では、たくさんの赤とんぼが、透き通った羽をお日様にキラキラ光らせながら、群れになって飛んでいました。

歩きながら、王子様は、ちょっとばかにするように、こんなことを言いました。
「テントウ虫姫は、まだ小さいから、秋の村のベールづくりのことなんて知らないだろうな」
ひかりちゃんは、本当はベールづくりのことなんて全然知らなかったけど、そう言うとますますばかにされそうで悔しかったので、
「あら、ベールづくりのことぐらい、ずっと前から知っていますわ」
と、うそをつきました。王子様は、
「へぇ」
と、からかうような顔をしました。ひかりちゃんは、赤い顔になりながら、
「ただ、ちょっと、算数の勉強が忙しくて、その・・・忘れてしまったのでございます。ちょっと話を聞けば、きっと、絶対に、思い出すと思うのですが・・・」
と、言いました。
王子様は、クスクス笑って、ベールづくりのことを教えてくれました。
あらそう、あおいちゃんも、ベールづくりのこと知らないの。
あのね、ベールづくりっていうのはね、秋の村のお仕事のひとつでね、赤とんぼの羽と、朝露で濡れた蜘蛛の巣と、山芋のネバネバと、人間の国から拝借してきた綿菓子のフワフワを編み込んで、大きな大きなベールを作ることなんだって。
「その、ベールは何に使うかというと」
と、言いながら、王子様は、お空を見上げました。
あおいちゃん、タラターナの国のお空は、人間の国と違ってたんだよね。覚えてる?そう、タラターナの国のお空には、海があるんだよね。よく覚えてたねえ。あおいちゃんは、かしこい、かしこい。
ひかりちゃんが、つられてお空を見上げると、そこには海がありました。海の中で、お日様が柔らかく輝いていました。海の中を泳ぐ、銀色の魚の群れも見えました。それよりもっと深いところには、はっきり見えないけれど、何か大きな大きなお魚が、ゆっくりと動いていくのも見えました。
「僕らの国では、お日様の光を直接あびないように、こうして海が守ってくれてるからいいけどさ、人間の国の空には、どういうわけか海がないものだから、僕らがベールを作って、お日様の光を和らげてあげなきゃいけなんだ」
と、日の王子は言いました。
「なんたって、お日様の光はさ、そのまま浴びたりしたら、タラターナの国も、人間の国も、いっぺんに燃やしちゃうくらい、すごいものなんだからさ」
そう言うとき、日の王子は、なんだかとても誇らしそうに見えました。
そうだね、日の王子は、お日様の「使い」だから、きっとお日様が大好きなんだね。
ひかりちゃんは、タラターナの国の人が作ったベールが、人間を、お日様の光から守ってくれているなんて全然知らなかったので、大変驚きました。そして、心の中で「お家に帰ったら、お母さんに教えてあげよう」と思いました。
やがて、道の向こうに、赤い屋根のかわいらしい建物が見えてきました。少し前を飛んでいたミチアンナイが、ブーンと戻ってきて、
「王子様、あれに見えますのが、秋の村の小さな小さな郵便局にございます」
と、言いました。
小さな小さな郵便局の前では、小さな小さな郵便局長さんが、にこにこしながら、ふたりを待っていました。ころころとよく太っていて、ズボンを吊るしている紐が、いまにもはじけ飛んでしまいそうに見えました。真っ白いふさふさ眉毛に、真っ白いふさふさおひげの、とてもやさしそうな郵便局長さんです。
「やあやあ、日の王子、よくいらっしゃいました」
そう言うと、郵便局長さんは、王子様をまぶしそうに見上げました。
「ずいぶん、大きくなって。立派な若者になって」
郵便局長さんは、ちょっと涙ぐんでいるみたいでした。
「郵便局長さん、お久しぶりです。ベールの配達が大変だと聞いています。いつも、人間の国のためにありがとうございます」
と、日の王子は、礼儀正しくお辞儀をしました。ひかりちゃんも、心の中で「ありがとうございます」と、言いました。
「まったくなあ、年寄からこどもまで、村中総出でベールを編んでも、間に合いませんのじゃ」
と、郵便局長さんは、真っ白な眉毛を、悲しそうにひそめました。そして・・・。
あらあら、おばちゃん、今日はずいぶん長くしゃべっちゃったね。眠かったでしょう。ごめんごめん。
もっと続きが、聞きたいの?でも、今日はもう遅いから、寝ようね。明日また、いっぱいお話してあげるからね。明日は、ふたりとも、お風邪が治って、元気になりますように。あおいちゃん、なつきちゃん、おやすみなさい。
なつきちゃんのお熱、なかなか下がらないね。かわいそうに。あおいちゃんは、どう?コンコンってお咳が苦しいね。
でもね、病院は、いま、お怪我をした人や、あおいちゃんやなつきちゃんよりもっと重い病気の人で、満員なんだって。だから、お医者さんに行かないで、がんばって風邪を治そうね。だけど、あおいちゃんとなつきちゃんなら、大丈夫。強いから、きっとお風邪なんて、すぐにやっつけられるよ。
ううん、病気は、タラターナの国の人が持ってくるんじゃないよ。病気になったり、元気になったりするのはね、また別の国の人たちの係なんだよ。その国のお話も、タラターナの国のお話が終わったらしてあげようね。今日は、穂の姫を助けに行くお話の続きをしますよ。はじまり、はじまり。
穂の姫はね、「ちょっと行ってくる」って言って、どこに行ったかというとね、秋の村に行ったんだって。
どうしてかというと、その前の年の夏が、とってもとっても暑かったからです。夏が暑かった次の年には、お米がとれなくなっちゃうことが多いんだって。でもね、人間は、お米が大好きでしょ。
あら、あおいちゃんは、パンの方が好きなの?なつきちゃんは?そう、おにぎりが大好きなの。じゃあ、なつきちゃんが食べるおにぎりのお米がなくなっちゃうと困るでしょ。
だからね、穂の姫は、お米がいっぱいとれるようにするにはどうしたらいいか教えてもらうために、秋の村の長老に会いに行ったんだって。そして、そのまま、連絡がとれなくなってしまったんだって。
「きっと、悪い奴につかまったに違いない!助けに行かなくちゃ!」
と、日の王子は言いました。そして、
「テントウ虫姫は、もう帰ってよろしい」
って、いばって言いました。
でも、ひかりちゃんは、穂の姫を助けるために、タラターナ国に来たのですから、そういうわけにはいきません。
「王子様、私もおともいたします」
と言うと、王子様はむっとした顔をして、
「秋の村に行くのは、まだ早すぎる。キミは、まだほんの子どもじゃないか」
と言いました。
そうだよね、王子様だって、まだ子どもなのにね。
ひかりちゃんは、ぷっと頬をふくらませると、
「まあ、王子様、それは失礼じゃありませんか。秋の村に行ったら、穂の姫を助けるために、きっと私の力が必要になるはずです。それに、第一、穂の姫の声は、私にしか聞こえないのですよ。どうやって、日の王子ひとりで、助けにいくんですか?」
と、言いました。
王子様は、ひかりちゃんを、上から下までじろじろ見ると、
「それはそうだけど、でも、足手まといになりそうだからなあ」
と、つぶやきました。ひかりちゃんは、きーっと怒って、
「連れていかないなら、王様とお妃様に、このことを言いつけますからね!」
と、言いました。
「ちょっと待って。それはダメだよ。母上は、穂の姫を心配するあまり、熱を出してしまったし、父上は、そんな母上を心配して、これまた熱を出しているんだ。これ以上、心配をかけるわけにはいかないよ!」
と、王子様が言いました。
そうだね、お熱、なつきちゃんと一緒だね。
「じゃあ、私も一緒に連れていってくれますね?」
と、ひかりちゃんがにっこり笑って言うと、王子様は、
「ちぇっ、ちぇっ、しょうがないな」
と、言いました。そして、四つの扉のうちの、桜色の扉の向かい側、茜色の扉の方にどんどん歩いていきました。
茜色っていうのはね、果物の柿、食べたことある?ないか。じゃあね、そうだ、夕焼けの色が、茜色だよ。
それでね、茜色の扉を開けたらね、扉の向こうは、王子様たちの寝室でした。どうして寝室だってわかったかというと、ふわふわでふかふかの大きな雲が四つ浮かんでいたからです。そして、その上には、1つの雲に1つずつ、軽くて暖かそうな、カエルの柄の羽毛布団が畳んで置かれていたからです。もちろん、お布団と同じ柄の羽毛枕も、セットで置いてあったそうですよ。

日の王子は、お行儀悪く、ポンポンポンとその雲の上を飛んでいきました。ひかりちゃんは、いつも「お布団の上で遊んではいけません」ってお母さんに叱られていたので、どうしようかなあと思ったけど、ここで王子様とはぐれてしまっては困るので、慌てて、ポンポンポンと雲を飛んで、王子様についていきました。
4つめの雲を飛んだところに、お城に入ってきたときと同じ、深緑色をした特別がんじょうな石の扉がありました。その扉を開けると、そこはもうお外でした。お日様がぽかぽかとふたりを照らしました。王子様が「う~ん」と気持ちよさそうに、伸びをしました。ひかりちゃんも、真似をして、「う~ん」って伸びをしました。
あおいちゃんも、やってごらん。せーの、「う~ん」。あらあら、お咳が出ちゃったね。ごめんごめん。お水を飲んで。もう、大丈夫?
扉の前には、紳士のバッタ・・・じゃなくて、こちらには紳士のコオロギが2人立っていて、突然王子様が出てきたものだから、びっくりして、羽をすりあわせて、「ヒロロロロ」「ヒロロロロ」って鳴いたんだって。
王子様は、そんなことには構わずに、ピーッと指笛を鳴らしました。すると、どこからか、あのミチアンナイが飛んできて、王子様の足元に、さっと降り立ちました。
「はっ、日の王子、何か御用でございますか」
「秋の村の長老のところに、案内せよ」
こういうとき、おこりんぼの王子様は、いかにも位の高い人のように見えました。
ミチアンナイは、「はっ」とおじぎをすると、王子様の頭の上を高く高く飛び上がりました。
そして、何かを探すように、お城の上を大きく3回まわると、また王子様の足元に戻ってきました。そして、
「日の王子、こちらへどうぞ」
と言うと、少し飛んで、王子様とひかりちゃんを振り返りました。
こうして、王子様とひかりちゃんは、「タラターナ城 秋の門」を出て、秋の村に向かい始めたのです。
秋の村は、大きな湖をぐるりと回ったところにありました。日の王子とひかりちゃんは、湖のほとりを、てくてくと歩いていきました。湖の上では、たくさんの赤とんぼが、透き通った羽をお日様にキラキラ光らせながら、群れになって飛んでいました。

歩きながら、王子様は、ちょっとばかにするように、こんなことを言いました。
「テントウ虫姫は、まだ小さいから、秋の村のベールづくりのことなんて知らないだろうな」
ひかりちゃんは、本当はベールづくりのことなんて全然知らなかったけど、そう言うとますますばかにされそうで悔しかったので、
「あら、ベールづくりのことぐらい、ずっと前から知っていますわ」
と、うそをつきました。王子様は、
「へぇ」
と、からかうような顔をしました。ひかりちゃんは、赤い顔になりながら、
「ただ、ちょっと、算数の勉強が忙しくて、その・・・忘れてしまったのでございます。ちょっと話を聞けば、きっと、絶対に、思い出すと思うのですが・・・」
と、言いました。
王子様は、クスクス笑って、ベールづくりのことを教えてくれました。
あらそう、あおいちゃんも、ベールづくりのこと知らないの。
あのね、ベールづくりっていうのはね、秋の村のお仕事のひとつでね、赤とんぼの羽と、朝露で濡れた蜘蛛の巣と、山芋のネバネバと、人間の国から拝借してきた綿菓子のフワフワを編み込んで、大きな大きなベールを作ることなんだって。
「その、ベールは何に使うかというと」
と、言いながら、王子様は、お空を見上げました。
あおいちゃん、タラターナの国のお空は、人間の国と違ってたんだよね。覚えてる?そう、タラターナの国のお空には、海があるんだよね。よく覚えてたねえ。あおいちゃんは、かしこい、かしこい。
ひかりちゃんが、つられてお空を見上げると、そこには海がありました。海の中で、お日様が柔らかく輝いていました。海の中を泳ぐ、銀色の魚の群れも見えました。それよりもっと深いところには、はっきり見えないけれど、何か大きな大きなお魚が、ゆっくりと動いていくのも見えました。
「僕らの国では、お日様の光を直接あびないように、こうして海が守ってくれてるからいいけどさ、人間の国の空には、どういうわけか海がないものだから、僕らがベールを作って、お日様の光を和らげてあげなきゃいけなんだ」
と、日の王子は言いました。
「なんたって、お日様の光はさ、そのまま浴びたりしたら、タラターナの国も、人間の国も、いっぺんに燃やしちゃうくらい、すごいものなんだからさ」
そう言うとき、日の王子は、なんだかとても誇らしそうに見えました。
そうだね、日の王子は、お日様の「使い」だから、きっとお日様が大好きなんだね。
ひかりちゃんは、タラターナの国の人が作ったベールが、人間を、お日様の光から守ってくれているなんて全然知らなかったので、大変驚きました。そして、心の中で「お家に帰ったら、お母さんに教えてあげよう」と思いました。
やがて、道の向こうに、赤い屋根のかわいらしい建物が見えてきました。少し前を飛んでいたミチアンナイが、ブーンと戻ってきて、
「王子様、あれに見えますのが、秋の村の小さな小さな郵便局にございます」
と、言いました。
小さな小さな郵便局の前では、小さな小さな郵便局長さんが、にこにこしながら、ふたりを待っていました。ころころとよく太っていて、ズボンを吊るしている紐が、いまにもはじけ飛んでしまいそうに見えました。真っ白いふさふさ眉毛に、真っ白いふさふさおひげの、とてもやさしそうな郵便局長さんです。
「やあやあ、日の王子、よくいらっしゃいました」
そう言うと、郵便局長さんは、王子様をまぶしそうに見上げました。
「ずいぶん、大きくなって。立派な若者になって」
郵便局長さんは、ちょっと涙ぐんでいるみたいでした。
「郵便局長さん、お久しぶりです。ベールの配達が大変だと聞いています。いつも、人間の国のためにありがとうございます」
と、日の王子は、礼儀正しくお辞儀をしました。ひかりちゃんも、心の中で「ありがとうございます」と、言いました。
「まったくなあ、年寄からこどもまで、村中総出でベールを編んでも、間に合いませんのじゃ」
と、郵便局長さんは、真っ白な眉毛を、悲しそうにひそめました。そして・・・。
あらあら、おばちゃん、今日はずいぶん長くしゃべっちゃったね。眠かったでしょう。ごめんごめん。
もっと続きが、聞きたいの?でも、今日はもう遅いから、寝ようね。明日また、いっぱいお話してあげるからね。明日は、ふたりとも、お風邪が治って、元気になりますように。あおいちゃん、なつきちゃん、おやすみなさい。
あおいちゃん、なつきちゃん、今日はおばちゃんがご用で出かけてる間に、お外で遊んでたんだって?もう、お風邪は、大丈夫なの?
え?なんで知ってるかって?だってね、ふふふ、向かいのおばあちゃんがね、あおいちゃんとなつきちゃんが、お姫様になって「おーっほほほ」って笑ったり、ポンポンポンって雲の上を飛ぶみたいにして遊んだりしてたよ、って教えてくれたの。楽しかった?そう、よかったね。
どれ、なつきちゃん、おばちゃんとおでこをごっつんこ。うん、昨日よりは、少しお熱が下がったみたいだね。あおいちゃんは、大きなお口を、あーんって開けてみて。うんうん、喉のハレもだいぶおさまってきたみたいだね。ふたりがいい子だから、風邪菌マンが、どっかに行っちゃったのかな?明日か、明日の明日には、きっと元気になると思うから、それまでは、あんまり長い時間は、お外で遊ばないようにしようね。それじゃあ、お話の続きを始めましょう。
昨日は、日の王子とひかりちゃんが、秋の村の小さな小さな郵便局長さんに会ったところまでだったよね。
それでね、郵便局長さんは、日の王子とひかりちゃんの顔を見比べながら
「今日は、どちらへ?」
と、聞きました。
「実は、長老にお会いしたいのですが」
と、王子様が答えると、郵便局長さんは、びっくりした顔をして、
「なにか、急用でも?」
って聞きました。
どうしてかっていうとね、長老はあんまりお年寄りすぎて、もう誰にも何歳なのかわからないくらいお年寄りだったので、めったなことでは人に会わないからです。
「え~っと、たしか今日あたり、長老のお誕生日だったと思ったので、お祝に」
と、王子様はとっさにウソをつきました。だって、穂の姫がいなくなっていることは、ナイショでしょ。
すると、郵便局長さんは、
「おや、たしか少し前にも、穂の姫が同じことを言って、訪ねてきたような・・・」
と、そのときのことを思い出すように、小さなおでこに、小さな手を当てました。
「あ、あら、郵便局長さん、それはきっと勘違いですわ。だって、穂の姫は方向音痴ですから、こんなところまで、ひとりでは来れませんもの」
と、ひかりちゃんも、とっさにウソをつきました。
方向音痴っていうのはね、え~っと、行きたいところに行けなくて、すぐに迷子になっちゃう人のこと。実は、おばちゃんもそうなんだよ。
するとね、郵便局長さんは、はじめてひかりちゃんがいることに気がついたみたいに、ひかりちゃんのことをじーっと見ました。そして、
「おや、この子は、なんだか人間のにおいがするような・・・」
と、鼻をくんくんさせながら、ひかりちゃんに近づいてきました。
「な、何をおっしゃるんです、郵便局長さん。仮装パーティで人間の娘になるために、人間用のオーデコロンをつけているだけですわ。オホホ」
と、ひかりちゃんは言うと、急いでテントウ虫のレインコートを着こみました。
「これはこれは、テントウ虫姫でしたか、失礼しました」
郵便局長さんは、ひかりちゃんに、きちんとあやまると、
「最近、ぶっそうなことが続いているので、ついつい疑い深くなってしまいましてな」
と言って、また、真っ白な眉毛を、悲しそうにひそめました。
「ぶっそうなこととは、何だ?お城では、そんな報告は受けていないぞ」
と、王子様が尋ねました。
でもね、郵便局長さんは、
「いえいえ、大したことじゃありませんのじゃ。王子様もどうぞ気をつけて」
というと、背中を丸くして、郵便局の中に入っていってしまいました。
いつの間にか、秋の村に夜が近づいていました。お日様は、最後の光を、湖に投げかけているところでした。日の王子とひかりちゃんの影が、長く長く伸びました。
「日が暮れぬうちに行きましょう。日が暮れぬうちに行きましょう」
ミチアンナイが、せっかちに日の王子とひかりちゃんの頭の上を飛び回りました。
長老の家は、秋の山のふもとにありました。20段の階段を五回上ったところに、ありました。階段を上がり始めたころには、お日様はすっかり隠れてしまい、あたりは薄暗くなっていました。階段の両側は森になっていて、真っ暗だったので、ひかりちゃんは、なるべくそっちの方を見ないようにしました。森の中から、何かが黄色い目を光らせて、ひかりちゃんを見ているような気がしたからです。
森の向こうに目をやると、秋の村の小さな家々が見えました。どの家の窓からも、暖かいオレンジ色の光が漏れていました。煙突からは煙が立ちのぼっていて、どこからか野菜が煮えるにおいや、魚を焼くにおいが流れてきました。
ひかりちゃんは、急におうちのことを思い出して、お母さんに会いたくなって、泣きそうになりました。でも、穂の姫を助けるという大事なお仕事があることを思い出して、うんとがんばって涙をひっこめました。
うんうん、そうだよね。あおいちゃんもなつきちゃんも、ママに会えなくてもがんばってるんだよね。ひかりちゃんと、一緒だね。ひかりちゃんに、がんばれーって言おうか?せーの、フレッフレッ、ひかりちゃん、フレッフレッ、ひかりちゃん。
それでね、20段の階段を五回上ったところにある、丸太を組み合わせて作った、長老の家の窓からも、暖かいオレンジ色の光がこぼれていました。煙突からは煙が立ちのぼっていて、何かを煮ているいいにおいもしてきたので、ひかりちゃんは、とってもほっとしたんだって。
そしてね、日の王子が礼儀正しく、コンコンとノックをすると、丸太を組み合わせて作られた扉が、ぎぎぎって内側に開いたんだって。
お部屋の中には、大きな暖炉があって、暖かそうな火が燃えていました。そして、暖炉の前には、大きな木のテーブルがあって、テーブルの上には、焼き立てのパンと、自家製のバターと木苺のジャム、それに、アツアツのポトフのお皿が4つ並んでいたんだって。
ポトフっていうのはね、お野菜とベーコンをとろとろになるまで煮込んだ、とっても身体があたたまるお料理だよ。今度、あおいちゃんとなつきちゃんにも作ってあげようね。
それでね、暖炉にいちばん近い席には、車椅子に座ったとってもお年寄のおじいさんがいました。その人が、長老のようでした。おじいさんは、膝の上に何枚も何枚も毛布を重ねていたので、毛布におぼれてしまいそうになっていました。
夜になって少しは肌寒くなったといっても、これはやりすぎだろうって、ひかりちゃんは思ったけど、「お年寄りになると、身体があたたまるのに、うんとうんと時間がかかるんだよ」って、日の王子が教えてくれました。
そうだね、だからあおいちゃんのおともだちのおじいちゃんやおばあちゃんにも、毛布をいっぱいかけてあげなくちゃね。
それでね、日の王子とひかりちゃんが部屋に入ると、車椅子のおじいさんが、よぼよぼの手をぶるぶる震わせながら、ちょっとだけ動かしました。そしたらね、椅子がふたつ、「さあ、ここに座ってください」っていうように、さっとひかれたんだって。
日の王子とひかりちゃんが、その椅子に座ると、空のコップになみなみと牛乳が注がれました。車椅子のおじいさんのコップには、赤ワインがほんの少し注がれました。
ひかりちゃんは、誰がやってるんだろうと思って、キョロキョロしたけど、部屋には車椅子のおじいさんと日の王子とひかりちゃんの3人しかいなかったそうです。そしてね、
「あの・・・」
と、日の王子が言いかけたらね、どこからともなく、
「あたたかいうちに食べなさい、話はそれからじゃ。・・・と、長老が言っております」
という声が聞こえてきました。
王子様は、
「わかりました。それでは、長老、いただきます」
と丁寧にあいさつをすると、とても上手にバターナイフを使って、パンにバターを塗り始めました。
でも、ひかりちゃんは、どこから声が聞こえてくるのかが気になって、相変わらず、あたりをキョロキョロと見回していました。すると、
「食べなさいったら、食べなさい」
と言う声がまた聞こえてきて、テーブルの上の木のスプーンが勝手に浮き上がりました。そして、目を丸くしているひかりちゃんの目の前で、ポトフのお皿からアツアツのじゃがいもをひとつ取り出すと、無理やりひかりちゃんの口に入れようとしました。
「アッチッチッチチ。わかったわかった、食べます食べます、自分で食べます!」
ひかりちゃんは、あわててそう言うと、しょうがなく自分で食事を始めました。
ひかりちゃんの目の前では、もう1つのスプーンがひとりでに浮き上がると、ポトフのスープをやさしくすくって、さますように空中でしばらく時間をおいたあと、そっと車椅子のおじいさんの口に、スープを運んでいるところでした。
ゆうれい?そうだね、あおいちゃん、よくわかったね。
その見えない声は、長老がこどもだった頃から、ずっとお世話係をしていた人の、ゆうれいの声だったんだって。
ずっと長老のお世話係をしていたのに、長老より先に死んじゃったものだから、長老のことが心配で、ゆうれいになって毎日出てきて、長老のお世話をしているんだって。とっても、やさしいゆうれいだね。
それでね、やさしいゆうれいはね、ひかりちゃんたちの食事が終わると、あたたかいスコーンと蜂蜜ティーをデザートに出してくれました。そして、やっと、
「長老にお話しがあるのですね。私がお伝えしましょう。長老は耳も遠いし、声ももう出せないので、私が通訳する必要があるのです」
と言いました。
そして、日の王子が、「穂の姫が、秋の国の長老に会いに行くと言って出ていったあと、連絡がとれなくなった」という話をすると、さっそく長老に伝えてくれたようでした。なぜ、わかったかというと、さっきまでにこにこしていた車椅子のおじいさんの顔が、悲しそうにくもったからです。
どうして、長老は悲しい顔をしたんだろうね。そのお話は、明日にしようね。今日も、寒くなりそうだから、車椅子のおじいさんと同じくらい、ポカポカにして寝ようね。早く、春が来るといいのにねえ。タラターナ人さん、早く春を運んできてください。あおいちゃんとなつきちゃんが住んでいるところを、もっともっと暖かくしてください。
それじゃあ、おやすみなさい。また、明日。
え?なんで知ってるかって?だってね、ふふふ、向かいのおばあちゃんがね、あおいちゃんとなつきちゃんが、お姫様になって「おーっほほほ」って笑ったり、ポンポンポンって雲の上を飛ぶみたいにして遊んだりしてたよ、って教えてくれたの。楽しかった?そう、よかったね。
どれ、なつきちゃん、おばちゃんとおでこをごっつんこ。うん、昨日よりは、少しお熱が下がったみたいだね。あおいちゃんは、大きなお口を、あーんって開けてみて。うんうん、喉のハレもだいぶおさまってきたみたいだね。ふたりがいい子だから、風邪菌マンが、どっかに行っちゃったのかな?明日か、明日の明日には、きっと元気になると思うから、それまでは、あんまり長い時間は、お外で遊ばないようにしようね。それじゃあ、お話の続きを始めましょう。
昨日は、日の王子とひかりちゃんが、秋の村の小さな小さな郵便局長さんに会ったところまでだったよね。
それでね、郵便局長さんは、日の王子とひかりちゃんの顔を見比べながら
「今日は、どちらへ?」
と、聞きました。
「実は、長老にお会いしたいのですが」
と、王子様が答えると、郵便局長さんは、びっくりした顔をして、
「なにか、急用でも?」
って聞きました。
どうしてかっていうとね、長老はあんまりお年寄りすぎて、もう誰にも何歳なのかわからないくらいお年寄りだったので、めったなことでは人に会わないからです。
「え~っと、たしか今日あたり、長老のお誕生日だったと思ったので、お祝に」
と、王子様はとっさにウソをつきました。だって、穂の姫がいなくなっていることは、ナイショでしょ。
すると、郵便局長さんは、
「おや、たしか少し前にも、穂の姫が同じことを言って、訪ねてきたような・・・」
と、そのときのことを思い出すように、小さなおでこに、小さな手を当てました。
「あ、あら、郵便局長さん、それはきっと勘違いですわ。だって、穂の姫は方向音痴ですから、こんなところまで、ひとりでは来れませんもの」
と、ひかりちゃんも、とっさにウソをつきました。
方向音痴っていうのはね、え~っと、行きたいところに行けなくて、すぐに迷子になっちゃう人のこと。実は、おばちゃんもそうなんだよ。
するとね、郵便局長さんは、はじめてひかりちゃんがいることに気がついたみたいに、ひかりちゃんのことをじーっと見ました。そして、
「おや、この子は、なんだか人間のにおいがするような・・・」
と、鼻をくんくんさせながら、ひかりちゃんに近づいてきました。
「な、何をおっしゃるんです、郵便局長さん。仮装パーティで人間の娘になるために、人間用のオーデコロンをつけているだけですわ。オホホ」
と、ひかりちゃんは言うと、急いでテントウ虫のレインコートを着こみました。
「これはこれは、テントウ虫姫でしたか、失礼しました」
郵便局長さんは、ひかりちゃんに、きちんとあやまると、
「最近、ぶっそうなことが続いているので、ついつい疑い深くなってしまいましてな」
と言って、また、真っ白な眉毛を、悲しそうにひそめました。
「ぶっそうなこととは、何だ?お城では、そんな報告は受けていないぞ」
と、王子様が尋ねました。
でもね、郵便局長さんは、
「いえいえ、大したことじゃありませんのじゃ。王子様もどうぞ気をつけて」
というと、背中を丸くして、郵便局の中に入っていってしまいました。
いつの間にか、秋の村に夜が近づいていました。お日様は、最後の光を、湖に投げかけているところでした。日の王子とひかりちゃんの影が、長く長く伸びました。
「日が暮れぬうちに行きましょう。日が暮れぬうちに行きましょう」
ミチアンナイが、せっかちに日の王子とひかりちゃんの頭の上を飛び回りました。
長老の家は、秋の山のふもとにありました。20段の階段を五回上ったところに、ありました。階段を上がり始めたころには、お日様はすっかり隠れてしまい、あたりは薄暗くなっていました。階段の両側は森になっていて、真っ暗だったので、ひかりちゃんは、なるべくそっちの方を見ないようにしました。森の中から、何かが黄色い目を光らせて、ひかりちゃんを見ているような気がしたからです。
森の向こうに目をやると、秋の村の小さな家々が見えました。どの家の窓からも、暖かいオレンジ色の光が漏れていました。煙突からは煙が立ちのぼっていて、どこからか野菜が煮えるにおいや、魚を焼くにおいが流れてきました。
ひかりちゃんは、急におうちのことを思い出して、お母さんに会いたくなって、泣きそうになりました。でも、穂の姫を助けるという大事なお仕事があることを思い出して、うんとがんばって涙をひっこめました。
うんうん、そうだよね。あおいちゃんもなつきちゃんも、ママに会えなくてもがんばってるんだよね。ひかりちゃんと、一緒だね。ひかりちゃんに、がんばれーって言おうか?せーの、フレッフレッ、ひかりちゃん、フレッフレッ、ひかりちゃん。
それでね、20段の階段を五回上ったところにある、丸太を組み合わせて作った、長老の家の窓からも、暖かいオレンジ色の光がこぼれていました。煙突からは煙が立ちのぼっていて、何かを煮ているいいにおいもしてきたので、ひかりちゃんは、とってもほっとしたんだって。
そしてね、日の王子が礼儀正しく、コンコンとノックをすると、丸太を組み合わせて作られた扉が、ぎぎぎって内側に開いたんだって。
お部屋の中には、大きな暖炉があって、暖かそうな火が燃えていました。そして、暖炉の前には、大きな木のテーブルがあって、テーブルの上には、焼き立てのパンと、自家製のバターと木苺のジャム、それに、アツアツのポトフのお皿が4つ並んでいたんだって。
ポトフっていうのはね、お野菜とベーコンをとろとろになるまで煮込んだ、とっても身体があたたまるお料理だよ。今度、あおいちゃんとなつきちゃんにも作ってあげようね。
それでね、暖炉にいちばん近い席には、車椅子に座ったとってもお年寄のおじいさんがいました。その人が、長老のようでした。おじいさんは、膝の上に何枚も何枚も毛布を重ねていたので、毛布におぼれてしまいそうになっていました。
夜になって少しは肌寒くなったといっても、これはやりすぎだろうって、ひかりちゃんは思ったけど、「お年寄りになると、身体があたたまるのに、うんとうんと時間がかかるんだよ」って、日の王子が教えてくれました。
そうだね、だからあおいちゃんのおともだちのおじいちゃんやおばあちゃんにも、毛布をいっぱいかけてあげなくちゃね。
それでね、日の王子とひかりちゃんが部屋に入ると、車椅子のおじいさんが、よぼよぼの手をぶるぶる震わせながら、ちょっとだけ動かしました。そしたらね、椅子がふたつ、「さあ、ここに座ってください」っていうように、さっとひかれたんだって。
日の王子とひかりちゃんが、その椅子に座ると、空のコップになみなみと牛乳が注がれました。車椅子のおじいさんのコップには、赤ワインがほんの少し注がれました。
ひかりちゃんは、誰がやってるんだろうと思って、キョロキョロしたけど、部屋には車椅子のおじいさんと日の王子とひかりちゃんの3人しかいなかったそうです。そしてね、
「あの・・・」
と、日の王子が言いかけたらね、どこからともなく、
「あたたかいうちに食べなさい、話はそれからじゃ。・・・と、長老が言っております」
という声が聞こえてきました。
王子様は、
「わかりました。それでは、長老、いただきます」
と丁寧にあいさつをすると、とても上手にバターナイフを使って、パンにバターを塗り始めました。
でも、ひかりちゃんは、どこから声が聞こえてくるのかが気になって、相変わらず、あたりをキョロキョロと見回していました。すると、
「食べなさいったら、食べなさい」
と言う声がまた聞こえてきて、テーブルの上の木のスプーンが勝手に浮き上がりました。そして、目を丸くしているひかりちゃんの目の前で、ポトフのお皿からアツアツのじゃがいもをひとつ取り出すと、無理やりひかりちゃんの口に入れようとしました。
「アッチッチッチチ。わかったわかった、食べます食べます、自分で食べます!」
ひかりちゃんは、あわててそう言うと、しょうがなく自分で食事を始めました。
ひかりちゃんの目の前では、もう1つのスプーンがひとりでに浮き上がると、ポトフのスープをやさしくすくって、さますように空中でしばらく時間をおいたあと、そっと車椅子のおじいさんの口に、スープを運んでいるところでした。
ゆうれい?そうだね、あおいちゃん、よくわかったね。
その見えない声は、長老がこどもだった頃から、ずっとお世話係をしていた人の、ゆうれいの声だったんだって。
ずっと長老のお世話係をしていたのに、長老より先に死んじゃったものだから、長老のことが心配で、ゆうれいになって毎日出てきて、長老のお世話をしているんだって。とっても、やさしいゆうれいだね。
それでね、やさしいゆうれいはね、ひかりちゃんたちの食事が終わると、あたたかいスコーンと蜂蜜ティーをデザートに出してくれました。そして、やっと、
「長老にお話しがあるのですね。私がお伝えしましょう。長老は耳も遠いし、声ももう出せないので、私が通訳する必要があるのです」
と言いました。
そして、日の王子が、「穂の姫が、秋の国の長老に会いに行くと言って出ていったあと、連絡がとれなくなった」という話をすると、さっそく長老に伝えてくれたようでした。なぜ、わかったかというと、さっきまでにこにこしていた車椅子のおじいさんの顔が、悲しそうにくもったからです。
どうして、長老は悲しい顔をしたんだろうね。そのお話は、明日にしようね。今日も、寒くなりそうだから、車椅子のおじいさんと同じくらい、ポカポカにして寝ようね。早く、春が来るといいのにねえ。タラターナ人さん、早く春を運んできてください。あおいちゃんとなつきちゃんが住んでいるところを、もっともっと暖かくしてください。
それじゃあ、おやすみなさい。また、明日。
なつきちゃん、お熱が下がってよかったねえ。様子を見に来てくれた看護師さんも、なつきちゃんは、こんなに寒いのに風邪を治しちゃうなんて、強い子だって言ってたよ。
あおいちゃんも、はやくお咳が治るといいね。お咳のお薬、もう少しで届くそうだから、がんばろうね。そうだよね、ひかりちゃんだって、タラターナの国でがんばってるから、あおいちゃんだって、がんばるんだよね。あおいちゃんは、ほんとにえらいね。
え~っと、昨日はどこまで話したっけ。そうそう、ひかりちゃんが、長老の家でポトフの夕食と、スコーンのデザートをごちそうになったところまでだったね。
そのあと、やさしいゆうれいが通訳してくれた長老の話は、こんなふうでした。
3 日前、たしかに穂の姫は、長老のところにやってきました。そして、長老に、「お米がいっぱいとれるようにするには、どうしたらいいですか」って聞いたんだって。
そしたらね、長老は「どうすることもできない」って言ったんだって。そして、「これからは、ますます、お米がとれなくなるだろう」って言ったんだって。
お米がとれなくなったら、なつきちゃんが、大好きなおにぎりを食べられなくなって困るよね。あおいちゃんだって、大好きなおせんべいが食べられなくなっちゃうし、おばちゃんだって、大好きな日本酒が飲めなくなって、困っちゃうよ。
穂の姫も、そう思ったんだって。だからね、
「どうしてですか。どうして、これからは、ますますお米がとれなくなるんですか」
って聞いたんだって。
そしたらね、長老が、大変なことを教えてくれました。秋の村の人たちが一生懸命作っているベールが、何者かに盗まれているというのです。
赤とんぼの羽と、朝露で濡れた蜘蛛の巣と、山芋のネバネバと、人間の国から拝借してきた綿菓子のフワフワで作ったベールは、人間の国に持っていく前に、29日と半分の間、村の広場でしっかり風を当てて乾かさないと、くしゅくしゅに縮んで使い物にならなくなってしまうんだって。
ところが、ある月のない夜に、山の方からドシンドシンっていう、心が凍りつきそうなくらい恐ろしい足音が聞こえてきて、次の日に行ってみたら、広場いっぱいに広げて干してあったはずのベールが、なくなっていたんだそうです。そして、そのあとも、月のない夜になると、その恐ろしい足音が聞こえてきて、ベールが盗まれるようになってしまったんだって。
え?ベールを、どこか別のところに隠せばいいじゃないって?そうだよね。でもね、大きな大きなベールを広げて干せるような場所は、村の広場以外にはなかったのだそうです。
ベールを人間の国に届けることができなくなってしまったので、人間の国は、どんどん暑くなっていきました。このまま、ベールが届けられないと、もっともっと暑くなってしまうでしょう。
そしたら、お米だってどんどんとれなくなっていくし、あおいちゃんが大好きなパンを作る小麦だって、果物だって、お野菜だって、どんどんとれなくなってしまうよね。
だけど、あんまりドシンドシンっていう足音が怖いものだから、村の人たちは誰も、ベール泥棒をやっつけようとしなかったんだって。
ううん、一回だけ、村の勇敢な若者たちが、怪物をやっつけようと、広場の近くで待ち伏せをしたことがありました。だけど、山から下りてきた黒い影があまりにも大きくて、あまりにも不気味だったので、若者たちは、我先にと逃げ帰ってしまったそうです。そして、それからは誰も、怪物をやっつけようとは言わなくなったそうです。
「そんなことが、あったなんて・・・」
と、日の王子が、辛そうな声で言いました。
「どうして、国王に知らせてくれなかったのですか。わかっていれば、すぐにたくさんの兵士を連れて、助けに来たのに」
王子様は、とても悔しそうでした。
でもね、秋の村の人たちは、あんまりその怪物が恐ろしかったものだから、王様に知らせたりしたら、「告げ口したな」って怪物を怒らせてしまうかもしれない、そしたら、村をめちゃくちゃにされてしまうかもしれないと思って、言えなかったんだって。
その話を聞いた穂の姫は、静かに
「わかりました、私が怪物と会って、話をしてみます」
と言ったそうです。勇気があるよね。でも、とても危険なことだよね。だから、穂の姫が、心配で心配でたまらない日の王子は、
「そんな危険なこと・・・どうして止めてくださらなかったんですか」
って、思わず長老の肩をゆすぶってしまいました。
長老は、悲しそうな顔をして、肩をガクガクとゆすられるままになっていました。やさしいゆうれいが、見るに見かねて、王子様の手をそっととめました。そして、
「おやめください、王子様。私も、長老も、何度も何度も止めたのですよ。せめて、お兄様に相談してからにしなさいとも言ったのですよ。穂の姫も、最初はそうしますと言っていたのですが・・・」
と、言いました。
そのとき、壁にかけられたカレンダーが、風もないのに、かさりと揺れました。タラターナの国のカレンダーは、人間の国のカレンダーとは違っていて、月のない夜から、月が少しずつ大きくなって、満月になって、まただんだん小さくなって、とうとうまた真っ暗な夜になるまでを、1カ月と数えるようになっていました。ですから、人間の1か月は、大体30日か31日なんだけど、タラターナの国の1カ月は、29日と半分なんだって。
それでね、穂の姫が長老を訪ねた日が、ちょうど「新月」っていう、月がない夜に当たっていたんだって。もし、その日に怪物に会えないと、次に会えるのは、29日と半分を過ぎてからになるでしょう?「それだと、遅すぎる」って、穂の姫は思ったんだって。それで、その日のうちに、怪物に会うために、ひとりで出かけていったそうです。
「そんな・・・ひとりでなんて。どうして、一緒に行ってくれなかったんですか」
王子様は、こぶしをブルブル震わせながら言いました。
「本当に申し訳ありません。しかし、長老は、このとおりご高齢ですし、私はこんな姿ですから、何の役にも立ちませんし・・・」
と、やさしいゆうれいは、本当に申し訳なさそうな声で言いました。
王子様は、腹が立つやら心配やらで、床を蹴飛ばしながら、部屋の中を歩き回っています。ひかりちゃんは、「こんなときこそ、私が落ち着かなくちゃ」と思って、大きくひとつ深呼吸をすると、
「それで、穂の姫は、どこに行ったんですか?」
と、聞きました。
「それが、勢いよく飛び出して行ってしまったので、どこに行ったかわからないのです」
と、やさしいゆうれいが、しょんぼり答えました。
「わからないって」
と、また王子様が怒りそうになったとき、
「ただ・・・」
と、やさしいゆうれいが続けて言いました。
「ただ、穂の姫さまが出て行った日の夜から、不思議なことが起こるようになりました。どこからか、恐ろしい声が聞こえてくるようになったのです。ほら、いまも・・・」
ひかりちゃんと、日の王子は、耳を澄ませました。
あおいちゃんも、耳を澄ませて聞いてごらん、何か聞こえる?ウォーン、ウォーンって?ほんとう?怖いねぇ。怖いから、今日のお話しは、ここまでにしようか。え?あおいちゃんは、怖くないの?強いなあ。おばちゃんは、怖いよ。
お ばちゃん、怖い夢を見ないように、楽しいことを考えながら寝ようっと。何がいいかな?舞踏会のこと?そうだね、じゃあ、あおいちゃんだったら、どんなドレスで踊るか考えながら寝ようか。宝石がいっぱいついているドレスがいい?タラターナの国のお妃様のショールみたいに、見るたびに色が変わるドレスも素敵だねえ。髪には、ダイヤモンドのついたティアラをつけて、イヤリングと指輪とネックレスもつけて、ドレスによく合うハンドバッグを持って、夢の中の舞踏会に行ってらっしゃいませ、あおい姫様。なつき姫様も、行ってらっしゃいませ。おやすみなさい、また、明日。
あおいちゃんも、はやくお咳が治るといいね。お咳のお薬、もう少しで届くそうだから、がんばろうね。そうだよね、ひかりちゃんだって、タラターナの国でがんばってるから、あおいちゃんだって、がんばるんだよね。あおいちゃんは、ほんとにえらいね。
え~っと、昨日はどこまで話したっけ。そうそう、ひかりちゃんが、長老の家でポトフの夕食と、スコーンのデザートをごちそうになったところまでだったね。
そのあと、やさしいゆうれいが通訳してくれた長老の話は、こんなふうでした。
3 日前、たしかに穂の姫は、長老のところにやってきました。そして、長老に、「お米がいっぱいとれるようにするには、どうしたらいいですか」って聞いたんだって。
そしたらね、長老は「どうすることもできない」って言ったんだって。そして、「これからは、ますます、お米がとれなくなるだろう」って言ったんだって。
お米がとれなくなったら、なつきちゃんが、大好きなおにぎりを食べられなくなって困るよね。あおいちゃんだって、大好きなおせんべいが食べられなくなっちゃうし、おばちゃんだって、大好きな日本酒が飲めなくなって、困っちゃうよ。
穂の姫も、そう思ったんだって。だからね、
「どうしてですか。どうして、これからは、ますますお米がとれなくなるんですか」
って聞いたんだって。
そしたらね、長老が、大変なことを教えてくれました。秋の村の人たちが一生懸命作っているベールが、何者かに盗まれているというのです。
赤とんぼの羽と、朝露で濡れた蜘蛛の巣と、山芋のネバネバと、人間の国から拝借してきた綿菓子のフワフワで作ったベールは、人間の国に持っていく前に、29日と半分の間、村の広場でしっかり風を当てて乾かさないと、くしゅくしゅに縮んで使い物にならなくなってしまうんだって。
ところが、ある月のない夜に、山の方からドシンドシンっていう、心が凍りつきそうなくらい恐ろしい足音が聞こえてきて、次の日に行ってみたら、広場いっぱいに広げて干してあったはずのベールが、なくなっていたんだそうです。そして、そのあとも、月のない夜になると、その恐ろしい足音が聞こえてきて、ベールが盗まれるようになってしまったんだって。
え?ベールを、どこか別のところに隠せばいいじゃないって?そうだよね。でもね、大きな大きなベールを広げて干せるような場所は、村の広場以外にはなかったのだそうです。
ベールを人間の国に届けることができなくなってしまったので、人間の国は、どんどん暑くなっていきました。このまま、ベールが届けられないと、もっともっと暑くなってしまうでしょう。
そしたら、お米だってどんどんとれなくなっていくし、あおいちゃんが大好きなパンを作る小麦だって、果物だって、お野菜だって、どんどんとれなくなってしまうよね。
だけど、あんまりドシンドシンっていう足音が怖いものだから、村の人たちは誰も、ベール泥棒をやっつけようとしなかったんだって。
ううん、一回だけ、村の勇敢な若者たちが、怪物をやっつけようと、広場の近くで待ち伏せをしたことがありました。だけど、山から下りてきた黒い影があまりにも大きくて、あまりにも不気味だったので、若者たちは、我先にと逃げ帰ってしまったそうです。そして、それからは誰も、怪物をやっつけようとは言わなくなったそうです。
「そんなことが、あったなんて・・・」
と、日の王子が、辛そうな声で言いました。
「どうして、国王に知らせてくれなかったのですか。わかっていれば、すぐにたくさんの兵士を連れて、助けに来たのに」
王子様は、とても悔しそうでした。
でもね、秋の村の人たちは、あんまりその怪物が恐ろしかったものだから、王様に知らせたりしたら、「告げ口したな」って怪物を怒らせてしまうかもしれない、そしたら、村をめちゃくちゃにされてしまうかもしれないと思って、言えなかったんだって。
その話を聞いた穂の姫は、静かに
「わかりました、私が怪物と会って、話をしてみます」
と言ったそうです。勇気があるよね。でも、とても危険なことだよね。だから、穂の姫が、心配で心配でたまらない日の王子は、
「そんな危険なこと・・・どうして止めてくださらなかったんですか」
って、思わず長老の肩をゆすぶってしまいました。
長老は、悲しそうな顔をして、肩をガクガクとゆすられるままになっていました。やさしいゆうれいが、見るに見かねて、王子様の手をそっととめました。そして、
「おやめください、王子様。私も、長老も、何度も何度も止めたのですよ。せめて、お兄様に相談してからにしなさいとも言ったのですよ。穂の姫も、最初はそうしますと言っていたのですが・・・」
と、言いました。
そのとき、壁にかけられたカレンダーが、風もないのに、かさりと揺れました。タラターナの国のカレンダーは、人間の国のカレンダーとは違っていて、月のない夜から、月が少しずつ大きくなって、満月になって、まただんだん小さくなって、とうとうまた真っ暗な夜になるまでを、1カ月と数えるようになっていました。ですから、人間の1か月は、大体30日か31日なんだけど、タラターナの国の1カ月は、29日と半分なんだって。
それでね、穂の姫が長老を訪ねた日が、ちょうど「新月」っていう、月がない夜に当たっていたんだって。もし、その日に怪物に会えないと、次に会えるのは、29日と半分を過ぎてからになるでしょう?「それだと、遅すぎる」って、穂の姫は思ったんだって。それで、その日のうちに、怪物に会うために、ひとりで出かけていったそうです。
「そんな・・・ひとりでなんて。どうして、一緒に行ってくれなかったんですか」
王子様は、こぶしをブルブル震わせながら言いました。
「本当に申し訳ありません。しかし、長老は、このとおりご高齢ですし、私はこんな姿ですから、何の役にも立ちませんし・・・」
と、やさしいゆうれいは、本当に申し訳なさそうな声で言いました。
王子様は、腹が立つやら心配やらで、床を蹴飛ばしながら、部屋の中を歩き回っています。ひかりちゃんは、「こんなときこそ、私が落ち着かなくちゃ」と思って、大きくひとつ深呼吸をすると、
「それで、穂の姫は、どこに行ったんですか?」
と、聞きました。
「それが、勢いよく飛び出して行ってしまったので、どこに行ったかわからないのです」
と、やさしいゆうれいが、しょんぼり答えました。
「わからないって」
と、また王子様が怒りそうになったとき、
「ただ・・・」
と、やさしいゆうれいが続けて言いました。
「ただ、穂の姫さまが出て行った日の夜から、不思議なことが起こるようになりました。どこからか、恐ろしい声が聞こえてくるようになったのです。ほら、いまも・・・」
ひかりちゃんと、日の王子は、耳を澄ませました。
あおいちゃんも、耳を澄ませて聞いてごらん、何か聞こえる?ウォーン、ウォーンって?ほんとう?怖いねぇ。怖いから、今日のお話しは、ここまでにしようか。え?あおいちゃんは、怖くないの?強いなあ。おばちゃんは、怖いよ。
お ばちゃん、怖い夢を見ないように、楽しいことを考えながら寝ようっと。何がいいかな?舞踏会のこと?そうだね、じゃあ、あおいちゃんだったら、どんなドレスで踊るか考えながら寝ようか。宝石がいっぱいついているドレスがいい?タラターナの国のお妃様のショールみたいに、見るたびに色が変わるドレスも素敵だねえ。髪には、ダイヤモンドのついたティアラをつけて、イヤリングと指輪とネックレスもつけて、ドレスによく合うハンドバッグを持って、夢の中の舞踏会に行ってらっしゃいませ、あおい姫様。なつき姫様も、行ってらっしゃいませ。おやすみなさい、また、明日。
あおいちゃん、なつきちゃん、そろそろ寝る時間ですよ~。お絵かき帳と色鉛筆を片づけて、お布団に入ってくださいね~。
あら、あおいちゃんが描いた絵、見せてくれるの。どれどれ、あ、これは、あおい姫様ですか?違うの?穂の姫様ですか。穂の姫様の髪は、こんなふうにクルクルってしてるの?そう、おばちゃん知らなかったよ。ドレスも、上手に描けてるねえ。
あら、なつきちゃんも描いたの?あらまあ、上手だねえ。これは、なんですか?おにぎりかあ。なつきちゃんは、おにぎりが大好きなんだもんねえ。
じゃあ、なつきちゃんがいつでもお腹いっぱいおにぎりを食べられるように、ひかりちゃんにがんばって、ベール泥棒をつかまえてもらわなきゃいけないね。
それでは、お話しの続きを始めましょう。
ひかりちゃんと、日の王子が耳を澄ませると、どこか遠くから、ウォーン、ウォーンっていう声が聞こえてきました。
そうだね、昨日、あおいちゃんが聞いたのとおんなじだね。
それは、怒っているようにも、悲しんでいるようにも、聞こえる声でした。叫んでいるようにも、泣いているようにも聞こえました。地面をはうように聞こえたり、木の葉を震わせるように聞こえたりしました。胸が締めつけられるような声でした。
そしてね、怪物の声に混じって、あの「助けて、助けて」っていう頭の中の声も、聞こえてきました。
「あっ、穂の姫様は、怪物のところにいる!」
ひかりちゃんが、思わず言ったので、日の王子は、
「よしっ。いますぐ、穂の姫を助けに行くぞ」
って、立ち上がりました。だけど、夜に行くのは危険だからと、やさしいゆうれいが何度も止めたので、しぶしぶその日は長老の家に泊まっていくことにしました。
それでね、日の王子は、王様とお妃様が心配しないように、長老が飼っていたコウモリの足に、「すぐに穂の姫を連れて帰ってきます。心配しないで。王子より」っていう手紙をつけて、飛ばしたんだって。
そして、長老の家には、お客様用の二段ベッドがあったので、王子様とひかりちゃんは、そのベッドで眠ることにしました。どっちが上に寝るかで、ちょっともめたけど、ジャンケンをしてひかりちゃんが勝ったので、ひかりちゃんが上の段で寝ることになりました。
ベッドに横になると、丸太でできた屋根の隙間から、夜の海が見えました。ときどき、夜行性の魚が、青白く光って、星の瞬きのように見えました。
ひかりちゃんは、「とうとうタラターナの国に、泊まることになっちゃったなあ。ひかりちゃんのお父さんや、お母さんや、妹のみどりちゃんも心配してるだろうなあ」って思いました。
本当は、ひかりちゃんも、コウモリの足に「タラターナの国にいます。心配しないで。ひかりより」っていう手紙をつけて、人間の国に飛ばしたかったけど、王子様に人間の子どもだってばれちゃうし、お母さんは、ひかりちゃんがタラターナの国に行っていることを知っているはずなので、「きっと、お母さんがうまくやってくれてるから、大丈夫」って自分に言い聞かせながら、眠りました。
その頃、ひかりちゃんの家では、家族みんなで、朝ごはんを食べていました。そうだね、タラターナ国ではもう夜だけど、人間の国ではまだ朝だったんだね。不思議だね。
それでね、みどりちゃん、おばちゃんのことだよ、が
「お姉ちゃん、ごはん食べないの?」
と聞くと、お母さんが、
「お姉ちゃんは、先に食べて、ちょっとお使いに行ったのよ」
って、澄まして言いました。お父さんも、知らん顔して、新聞を読んでいました。
だからね、おばちゃんは、ひかりちゃんが、そのときタラターナ国に行ってたなんて、ちっとも知らなかったんだよ。
さて、秋の村に、朝がやってきました。ひかりちゃんは、屋根の隙間から射してくる朝の光で、目を覚ましました。
どこからか、ホットケーキの焼けるいいにおいがしてきました。ホットケーキは、ひかりちゃんの大好物なので、思わずがばっと起きて、
「朝ご飯だ!」
と、大きな声で言いました。
二段ベッドの下で、王子様が、眠そうに顔をしかめながら、
「ちぇっ、朝っぱらから、うるさいなあ」
と、文句を言いました。
ひかりちゃんは、無視して、トントントンとはしごをおりると、
「おはようございます!」
と元気にあいさつをして、暖炉の部屋に入っていきました。
その日は、春のような気持ちのよい陽気でしたが、暖炉はパチパチと勢いよく燃えていましたし、長老は昨日の夜からずっとそこにいたみたいに、山のような毛布に埋もれながら、車椅子に座っていました。
テーブルの上では、ホットケーキが、ちょうどフライパンからお皿にうつされようとしているところでした。ホットケーキは、黄金色でふかふかに焼けていて、いままでに食べたどのホットケーキよりも、おいしそうでした。
やさしいゆうれいの見えない手が、ホットケーキのまわりに、バター、ジャム、メープルシロップ、生クリームなどの小さなポットを並べていきました。どれをつけて食べてもいいようでした。
ひかりちゃんのお腹が、ぐ~っと大きく鳴りました。
やさしいゆうれいは、次に、スープ皿に、あたたかいクラムチャウダースープをついでくれました。クラムチャウダースープっていうのはね、ベーコンや玉ねぎや人参やじゃがいも、それにアサリを牛乳で煮込んだ、と~っても美味しいスープだよ。昨日の晩御飯は、ポトフだったから、きっとこのゆうれいは、スープ料理が得意なんだね。おばちゃんも得意だから、クラムチャウダースープも、今度作ってあげるね。
ひかりちゃんが、我慢できなくて、先に食べちゃおうと思ったときに、王子様が部屋に入ってきました。くしゃくしゃの頭をして、だらしない格好で寝ているときは、ひかりちゃんのクラスの男子と同じような、ごく普通の男の子に見えたのに、きれいに顔を洗って、髪もきちんと整えると、見違えるように王子様らしく見えました。
長老とひかりちゃんと王子様が、朝ご飯を食べている間に、やさしいゆうれいは、お弁当を用意してくれました。鮭のおにぎりと、卵焼きと、から揚げと、ブロッコリーと、ウサギリンゴでした。お母さんが作ってくれるお弁当にそっくりだったので、ひかりちゃんはうれしくなりました。
さあ、いよいよ出発です。ふたりは、長老とやさしいゆうれいにお礼を言って、丸太の家をあとにしました。
長老の家からふもとをみおろすと、秋の村全体を見渡すことができました。秋の村は、朝日を浴びて、キラキラ光っていました。
働き者の村人たちが、さっそく仕事を始めているのが、見えました。男たちは、稲を集めたり、束ねたり、たたいたりして、何か力作業をしているようでした。きっと、人間の国に届けるお米を作っているのでしょう。
女やこども、それから年寄は、日当たりのいいところに椅子を丸く並べて座り、黙々とベールを編んでいました。どの顔も、悲しみに沈んでいるように見えました。
王子様が、ピーッと指笛を鳴らしました。王子様の足元に、何かがブーンと飛んできました。そうです。今日も、ミチアンナイが来てくれたのです。
「ベール泥棒のところに、案内せよ」
と、王子様がいばって言いました。ミチアンナイは、「はっ」とおじぎをして、王子様の頭の上を、高く高く飛び上がりました。
そして、何かを探すように、大きく3回・・・いえ、15回くらいまわって、よろよろと王子様の足元に戻ってきました。どうやら、まわりすぎて、目を回してしまったようです。
よろよろのミチアンナイは、びくびくしながら、こんなことを言いました。
「お、おそれながら、日の王子様、ベール泥棒はどこにいるのでしょうか」
「なにっ、ミチアンナイのくせに、ベール泥棒のところに道案内できないというのか」
と、王子様は怒りました。ミチアンナイは、汗をふきふき、
「しかし、お、おそれながら、日の王子様、ミチアンナイは、見えないところには、案内できないのでございます」
と、言いました。
目が回りそうになるくらいまわっても、見えなかったのですから、ミチアンナイが言っていることは、ウソではないのでしょう。かわいそうになったひかりちゃんは、
「あのね、場所は、昨日の夜、ウォーン、ウォーンっていう声が聞こえてきたところだよ」
って、助け舟を出しました。すると、ミチアンナイは、悲しそうに、
「夜は、いつも7時には寝ることにしているもので・・・」
と、言いました。
「7時だって?4才の子どもじゃあるまいし!」
と、王子様は、またプリプリ怒りました。
そうだよね。あおいちゃんは、4才だけど、9時くらいに寝るよね。ミチアンナイは、ずいぶん早く寝るんだねえ。
それでね、ミチアンナイは、
「ミチアンナイは、誰よりも早寝早起きが自慢の一族で」
とか、
「場所さえわかれば、ご案内できるのですが」
とか、一生懸命説明しましたが、王子様が、
「お前は、もう行ってよし!」
と言ったので、しょんぼりして、どこかに飛んでいってしまいました。
「ミチアンナイが使えないなんて、一体どうしたらいいんだ」
王子様は、頭を抱えて座り込んでしまいました。
ひかりちゃんは、もう一度耳を澄ませてみました。そう、あの声を聞くためです。
「助けて、助けて」
もう一回、しっかりと聞くために、目を閉じて、耳に意識を集中させました。
「助けて、助けて」
声は、どうやら、秋の山の高いところから聞こえてくるようでした。
「王子様、私が案内します」
と、ひかりちゃんは言いました。
それなのに、王子様は、聞こえないふりをして、相変わらず「困った、困った」と頭を抱えています。ひかりちゃんが案内できるわけない、と思っているのでしょう。
ひかりちゃんは、「信用しないなんて、失礼しちゃうわ」と思って、王子様を置いて、さっさと歩き始めました。
「おい、一体どこに行くんだ」
「穂の姫の声が聞こえるほうへ、です」
「どこから聞こえるんだ」
「この山のいちばんてっぺんのその向こうからです」
「ほ、本当にそっちから聞こえるのか」
「信じないのなら、ついてこなければいいでしょ!」
ひかりちゃんが怒ってそう言ったので、王子様は、慌てて立ち上がって、お尻をパンパンとはたくと、ひかりちゃんをおいかけてきました。
ひかりちゃんと、王子様は、並んで秋の山を見上げました。長老の家までは、階段をあがってくればよかったけれど、ここから先は、階段も道もありませんでした。
色とりどりの葉をつけた秋の木が、思い思いに腕を伸ばしていました。地面には、ひかりちゃんの腰くらいまでの高さの雑草が、山の上のほうまでいっぱいに茂っていました。先のとがったナイフのような葉っぱを持つ草や、チクチクするトゲを持っている草や、イガイガの実をつけた草もありました。
でも、穂の姫様を助けるためですから、どうしても、ここを登っていかなければなりません。ひかりちゃんと王子様は、どちらからともなく、ぎゅっと手をつなぎ合いました。
あおいちゃんは、誰か男の子と手をつないだことある?そう、けんちゃんと、たくちゃんと、しょうくんともあるの。あおいちゃんは、モテモテだねぇ。春になって、幼稚園が始まって、早くみんなに会えるといいね。明日は、あおいちゃんのお友だちの絵を描いて、おばちゃんに見せてね。なつきちゃんも、明日また、おにぎりの絵を描いてね。お話しの続きは、また明日。おやすみなさい、あおいちゃん。おやすみなさい、なつきちゃん。
あら、あおいちゃんが描いた絵、見せてくれるの。どれどれ、あ、これは、あおい姫様ですか?違うの?穂の姫様ですか。穂の姫様の髪は、こんなふうにクルクルってしてるの?そう、おばちゃん知らなかったよ。ドレスも、上手に描けてるねえ。
あら、なつきちゃんも描いたの?あらまあ、上手だねえ。これは、なんですか?おにぎりかあ。なつきちゃんは、おにぎりが大好きなんだもんねえ。
じゃあ、なつきちゃんがいつでもお腹いっぱいおにぎりを食べられるように、ひかりちゃんにがんばって、ベール泥棒をつかまえてもらわなきゃいけないね。
それでは、お話しの続きを始めましょう。
ひかりちゃんと、日の王子が耳を澄ませると、どこか遠くから、ウォーン、ウォーンっていう声が聞こえてきました。
そうだね、昨日、あおいちゃんが聞いたのとおんなじだね。
それは、怒っているようにも、悲しんでいるようにも、聞こえる声でした。叫んでいるようにも、泣いているようにも聞こえました。地面をはうように聞こえたり、木の葉を震わせるように聞こえたりしました。胸が締めつけられるような声でした。
そしてね、怪物の声に混じって、あの「助けて、助けて」っていう頭の中の声も、聞こえてきました。
「あっ、穂の姫様は、怪物のところにいる!」
ひかりちゃんが、思わず言ったので、日の王子は、
「よしっ。いますぐ、穂の姫を助けに行くぞ」
って、立ち上がりました。だけど、夜に行くのは危険だからと、やさしいゆうれいが何度も止めたので、しぶしぶその日は長老の家に泊まっていくことにしました。
それでね、日の王子は、王様とお妃様が心配しないように、長老が飼っていたコウモリの足に、「すぐに穂の姫を連れて帰ってきます。心配しないで。王子より」っていう手紙をつけて、飛ばしたんだって。
そして、長老の家には、お客様用の二段ベッドがあったので、王子様とひかりちゃんは、そのベッドで眠ることにしました。どっちが上に寝るかで、ちょっともめたけど、ジャンケンをしてひかりちゃんが勝ったので、ひかりちゃんが上の段で寝ることになりました。
ベッドに横になると、丸太でできた屋根の隙間から、夜の海が見えました。ときどき、夜行性の魚が、青白く光って、星の瞬きのように見えました。
ひかりちゃんは、「とうとうタラターナの国に、泊まることになっちゃったなあ。ひかりちゃんのお父さんや、お母さんや、妹のみどりちゃんも心配してるだろうなあ」って思いました。
本当は、ひかりちゃんも、コウモリの足に「タラターナの国にいます。心配しないで。ひかりより」っていう手紙をつけて、人間の国に飛ばしたかったけど、王子様に人間の子どもだってばれちゃうし、お母さんは、ひかりちゃんがタラターナの国に行っていることを知っているはずなので、「きっと、お母さんがうまくやってくれてるから、大丈夫」って自分に言い聞かせながら、眠りました。
その頃、ひかりちゃんの家では、家族みんなで、朝ごはんを食べていました。そうだね、タラターナ国ではもう夜だけど、人間の国ではまだ朝だったんだね。不思議だね。
それでね、みどりちゃん、おばちゃんのことだよ、が
「お姉ちゃん、ごはん食べないの?」
と聞くと、お母さんが、
「お姉ちゃんは、先に食べて、ちょっとお使いに行ったのよ」
って、澄まして言いました。お父さんも、知らん顔して、新聞を読んでいました。
だからね、おばちゃんは、ひかりちゃんが、そのときタラターナ国に行ってたなんて、ちっとも知らなかったんだよ。
さて、秋の村に、朝がやってきました。ひかりちゃんは、屋根の隙間から射してくる朝の光で、目を覚ましました。
どこからか、ホットケーキの焼けるいいにおいがしてきました。ホットケーキは、ひかりちゃんの大好物なので、思わずがばっと起きて、
「朝ご飯だ!」
と、大きな声で言いました。
二段ベッドの下で、王子様が、眠そうに顔をしかめながら、
「ちぇっ、朝っぱらから、うるさいなあ」
と、文句を言いました。
ひかりちゃんは、無視して、トントントンとはしごをおりると、
「おはようございます!」
と元気にあいさつをして、暖炉の部屋に入っていきました。
その日は、春のような気持ちのよい陽気でしたが、暖炉はパチパチと勢いよく燃えていましたし、長老は昨日の夜からずっとそこにいたみたいに、山のような毛布に埋もれながら、車椅子に座っていました。
テーブルの上では、ホットケーキが、ちょうどフライパンからお皿にうつされようとしているところでした。ホットケーキは、黄金色でふかふかに焼けていて、いままでに食べたどのホットケーキよりも、おいしそうでした。
やさしいゆうれいの見えない手が、ホットケーキのまわりに、バター、ジャム、メープルシロップ、生クリームなどの小さなポットを並べていきました。どれをつけて食べてもいいようでした。
ひかりちゃんのお腹が、ぐ~っと大きく鳴りました。
やさしいゆうれいは、次に、スープ皿に、あたたかいクラムチャウダースープをついでくれました。クラムチャウダースープっていうのはね、ベーコンや玉ねぎや人参やじゃがいも、それにアサリを牛乳で煮込んだ、と~っても美味しいスープだよ。昨日の晩御飯は、ポトフだったから、きっとこのゆうれいは、スープ料理が得意なんだね。おばちゃんも得意だから、クラムチャウダースープも、今度作ってあげるね。
ひかりちゃんが、我慢できなくて、先に食べちゃおうと思ったときに、王子様が部屋に入ってきました。くしゃくしゃの頭をして、だらしない格好で寝ているときは、ひかりちゃんのクラスの男子と同じような、ごく普通の男の子に見えたのに、きれいに顔を洗って、髪もきちんと整えると、見違えるように王子様らしく見えました。
長老とひかりちゃんと王子様が、朝ご飯を食べている間に、やさしいゆうれいは、お弁当を用意してくれました。鮭のおにぎりと、卵焼きと、から揚げと、ブロッコリーと、ウサギリンゴでした。お母さんが作ってくれるお弁当にそっくりだったので、ひかりちゃんはうれしくなりました。
さあ、いよいよ出発です。ふたりは、長老とやさしいゆうれいにお礼を言って、丸太の家をあとにしました。
長老の家からふもとをみおろすと、秋の村全体を見渡すことができました。秋の村は、朝日を浴びて、キラキラ光っていました。
働き者の村人たちが、さっそく仕事を始めているのが、見えました。男たちは、稲を集めたり、束ねたり、たたいたりして、何か力作業をしているようでした。きっと、人間の国に届けるお米を作っているのでしょう。
女やこども、それから年寄は、日当たりのいいところに椅子を丸く並べて座り、黙々とベールを編んでいました。どの顔も、悲しみに沈んでいるように見えました。
王子様が、ピーッと指笛を鳴らしました。王子様の足元に、何かがブーンと飛んできました。そうです。今日も、ミチアンナイが来てくれたのです。
「ベール泥棒のところに、案内せよ」
と、王子様がいばって言いました。ミチアンナイは、「はっ」とおじぎをして、王子様の頭の上を、高く高く飛び上がりました。
そして、何かを探すように、大きく3回・・・いえ、15回くらいまわって、よろよろと王子様の足元に戻ってきました。どうやら、まわりすぎて、目を回してしまったようです。
よろよろのミチアンナイは、びくびくしながら、こんなことを言いました。
「お、おそれながら、日の王子様、ベール泥棒はどこにいるのでしょうか」
「なにっ、ミチアンナイのくせに、ベール泥棒のところに道案内できないというのか」
と、王子様は怒りました。ミチアンナイは、汗をふきふき、
「しかし、お、おそれながら、日の王子様、ミチアンナイは、見えないところには、案内できないのでございます」
と、言いました。
目が回りそうになるくらいまわっても、見えなかったのですから、ミチアンナイが言っていることは、ウソではないのでしょう。かわいそうになったひかりちゃんは、
「あのね、場所は、昨日の夜、ウォーン、ウォーンっていう声が聞こえてきたところだよ」
って、助け舟を出しました。すると、ミチアンナイは、悲しそうに、
「夜は、いつも7時には寝ることにしているもので・・・」
と、言いました。
「7時だって?4才の子どもじゃあるまいし!」
と、王子様は、またプリプリ怒りました。
そうだよね。あおいちゃんは、4才だけど、9時くらいに寝るよね。ミチアンナイは、ずいぶん早く寝るんだねえ。
それでね、ミチアンナイは、
「ミチアンナイは、誰よりも早寝早起きが自慢の一族で」
とか、
「場所さえわかれば、ご案内できるのですが」
とか、一生懸命説明しましたが、王子様が、
「お前は、もう行ってよし!」
と言ったので、しょんぼりして、どこかに飛んでいってしまいました。
「ミチアンナイが使えないなんて、一体どうしたらいいんだ」
王子様は、頭を抱えて座り込んでしまいました。
ひかりちゃんは、もう一度耳を澄ませてみました。そう、あの声を聞くためです。
「助けて、助けて」
もう一回、しっかりと聞くために、目を閉じて、耳に意識を集中させました。
「助けて、助けて」
声は、どうやら、秋の山の高いところから聞こえてくるようでした。
「王子様、私が案内します」
と、ひかりちゃんは言いました。
それなのに、王子様は、聞こえないふりをして、相変わらず「困った、困った」と頭を抱えています。ひかりちゃんが案内できるわけない、と思っているのでしょう。
ひかりちゃんは、「信用しないなんて、失礼しちゃうわ」と思って、王子様を置いて、さっさと歩き始めました。
「おい、一体どこに行くんだ」
「穂の姫の声が聞こえるほうへ、です」
「どこから聞こえるんだ」
「この山のいちばんてっぺんのその向こうからです」
「ほ、本当にそっちから聞こえるのか」
「信じないのなら、ついてこなければいいでしょ!」
ひかりちゃんが怒ってそう言ったので、王子様は、慌てて立ち上がって、お尻をパンパンとはたくと、ひかりちゃんをおいかけてきました。
ひかりちゃんと、王子様は、並んで秋の山を見上げました。長老の家までは、階段をあがってくればよかったけれど、ここから先は、階段も道もありませんでした。
色とりどりの葉をつけた秋の木が、思い思いに腕を伸ばしていました。地面には、ひかりちゃんの腰くらいまでの高さの雑草が、山の上のほうまでいっぱいに茂っていました。先のとがったナイフのような葉っぱを持つ草や、チクチクするトゲを持っている草や、イガイガの実をつけた草もありました。
でも、穂の姫様を助けるためですから、どうしても、ここを登っていかなければなりません。ひかりちゃんと王子様は、どちらからともなく、ぎゅっと手をつなぎ合いました。
あおいちゃんは、誰か男の子と手をつないだことある?そう、けんちゃんと、たくちゃんと、しょうくんともあるの。あおいちゃんは、モテモテだねぇ。春になって、幼稚園が始まって、早くみんなに会えるといいね。明日は、あおいちゃんのお友だちの絵を描いて、おばちゃんに見せてね。なつきちゃんも、明日また、おにぎりの絵を描いてね。お話しの続きは、また明日。おやすみなさい、あおいちゃん。おやすみなさい、なつきちゃん。
あおいちゃん、なつきちゃん、今日は、動けないおじいちゃんやおばあちゃんのお見舞いに、一緒に行ってくれてありがとうね。おじいちゃんもおばあちゃんも、歯のないお口を大きく開けて、とっても喜んでたね。
あおいちゃんやなつきちゃんみたいに小さい子は、そこにいるだけで、お年寄りを元気にする力があるんだよ。
そしてね、おじいちゃんやおばあちゃんが、あおいちゃんやなつきちゃんのちっちゃな手を、しわしわの両手で、そーっと包んでいたでしょう。あおいちゃんやなつきちゃんのちっちゃくて、ふわふわで、あったかい手に触るだけで、おじいちゃんやおばあちゃんは、心がぽかぽかにあったまるんだよ。だから、また一緒にお見舞いにいってくれる?ありがとう。あおいちゃんも、なつきちゃんも、やさしい子だね。
それじゃあ、お話しの続きを始めましょう。
ひかりちゃんと、日の王子はね、ぎゅっと手をつないだまま、秋の山を登り始めました。地面には、秋の落ち葉がいっぱいに敷き詰められていたので、ときどき、濡れた葉っぱに足をとられて、すべりそうになりました。するどい葉っぱで、腕を切ってしまったり、毒々しい色をした虫に刺されそうになりながら、一歩一歩山を登っていきました。
ひかりちゃんの頭の中の声は、ますます大きくなっていきました。
途中で、ちょろちょろと流れる小川とぶつかりました。小川に沿って、上へ上へと登っていくと、苔むした小さな祠がありました。
祠っていうのはね、神様やご先祖様をお祭りしてあるところだよ。
祠の前に、小さくて深い池があって、そこが川の源になっていました。青い透明な水が、こぽこぽと音を立てて湧き出していました。そばには、小さな水汲み用のバケツが置いてあって、ついさっき誰かが使ったみたいに、濡れていました。こんな山奥まで、水を汲みにくる人がいるのでしょうか。
山登りで疲れていたひかりちゃんと日の王子は、腹這いになって湧水をごくごく飲みました。甘くて美味しい水でした。
ひかりちゃんたちは、そこでひとやすみして、お弁当を食べることにしました。木と木の間から、お日様の光がぽかぽかと差し込んで、鮭のおにぎりと、卵焼きと、から揚げと、ブロッコリーと、ウサギリンゴのお弁当を食べていると、まるで遠足に来ているような気分になりました。
ひかりちゃんは、やさしいゆうれいが作ってくれたお弁当が、お母さんのお弁当とそっくりだっていう話をしたくてたまらなかったけれど、王子様に人間の子どもだということがばれてしまうといけないので、ぐっと我慢して黙っていました。
ふたりは、お弁当をごはん粒ひとつ残らずきれいに食べ終えると、また腹這いになって湧水をごくごく飲みました。
風が、さわさわと渡っていきました。王子様は、そばにあった木の枝から、まあるい葉っぱを1枚ちぎりとると、二本の指で唇に当てて、目を閉じました。すると、まあるい葉っぱから、不思議な音が流れてきました。王子様は、草笛を吹いているのです。楽しいような、懐かしいような、寂しいような不思議な曲でした。
「なんという曲ですか?」
と、ひかりちゃんが聞くと、王子様は、
「穂の姫の歌。いま、作った」
と言って、ごろりと横になりました。
ひかりちゃんも、ちょっとお行儀が悪いかなと思ったけど、真似してごろりと横になりました。空の海が、キラキラと光っていました。ときどき、イルカのきょうだいが楽しそうにジャンプしているのが見えました。
王子様は、寝転んで、また草笛を吹きました。
ひかりちゃんは、王子様を励ましたくなったので、元気になりそうな歌を歌うことにしました。
何を歌ったと思う?あのね、「かえるの合唱」を歌ったんだって。
「かえるのうたが きこえてくるよ
グァ、グァ、グァ、グァ、ゲゲゲゲゲゲゲゲ、グァ、グァ、グァ」
そしたら、王子様がびっくりした顔でひかりちゃんを見て、ゲラゲラ笑いだしました。笑いながら、「もう一回歌ってみろ」というので、ひかりちゃんは、仕方なくもう一回歌いました。はい、あおいちゃんもご一緒に、
「かえるのうたが きこえてくるよ
グァ、グァ、グァ、グァ、ゲゲゲゲゲゲゲゲ、グァ、グァ、グァ」
王子様は、「そんな鳴き声のカエルはなんて聞いたことがない」と、お腹を抱えて笑っています。タラターナの国のカエルは、なんて鳴くんでしょうね。ひかりちゃんにもわからなかったけれど、王子様が大笑いして元気になったみたいなので、まあいいかと思いました。王子様の笑い声を聞いているうちに、ひかりちゃんも楽しくなってきて、一緒にゲラゲラ笑いました。
ひとしきり笑うと、ひかりちゃんと日の王子は、どちらからともなく目を合わせて、にっこり微笑みました。さあ、そろそろ出発の時間です。
ところが、ここから先は、それまでの道よりも、もっと大変でした。いままでは、木の幹や木の枝をつかみながら進むことができたのに、だんだん木がなくなってきて、ごろごろとした岩ばかりになってきました。いくつかの岩は、とても不安定に地面に乗っかっていて、うっかりそれを踏もうものなら、ごろんと転がって、岩と一緒に山を転げ落ちていきそうになりました。
ごろごろ道を、転びそうになりながら歩いていくと、今度は、切り立った崖にぶつかってしまいました。ひかりちゃんは、その崖を見上げたとき、「いままでがんばって、なんとかここまで来たけど、この崖は、無理!」と思って、泣きそうになりました。
だってね、その崖は、まるでひかりちゃんの小学校の校舎くらいに高かったんだって。
そうだよ。あおいちゃんの幼稚園は、2階建てでしょ?でも、ひかりちゃんも小学校は、4階建てだったから、もっともっと高かったんだよ。
ところが、日の王子は、なんでもないみたいに、きれいなエメラルド色の両手両足を、崖のわずかなくぼみにかけて、ひょいひょいひょいと登っていきました。ひかりちゃんが、思わず、
「王子様、すごい!」
と言うと、王子様は、登りながら、照れたように、
「まあね、きたえてるからね」
と言いました。
ひかりちゃんは、「あっ!」と思って、
「王子様、きたえてるって、あの、もしかして、逆上がりの練習とかもしてるんですか?」
と、聞きました。でも、崖を登っている王子様には聞こえないようでした。
日の王子の姿が、だんだん高く小さくなってきました。ときどき、小さな石が、カラカラカラと落ちてきて、ひかりちゃんをハラハラさせました。ひかりちゃんは、今度ばかりは王子様についていく気にはなれず、崖の下から、王子様を見上げているだけでした。
やがて、日の王子は、崖の向こうに見えなくなりました。この高い高い崖を、とうとう登り切ったのです。ひかりちゃんは、どうすればいいのでしょう?まさか、王子様と同じようにして、登ってこいというのでしょうか。そんなの、いくらなんでも無理!ひかりちゃんが、また泣きそうになったとき、王子様の、
「見つけた!」
という声が小さく聞こえてきました。
そして、崖の上から、スルスルスルと、何か紐のようなものが降りてきました。よく見ると、それは、なんと、カラカラにひからびた、長い長いガラガラヘビの抜け殻でした。
「ひぃ~え~~~っ!」
ひかりちゃんは、思わず叫んで逃げ出しそうになりました。王子様は、崖の上から顔を出して、
「何をしてるんだ、早くそれにつかまって!」
と、どなりました。
「で、でも、こんな抜け殻、途中で切れちゃうんじゃ・・・」
「何を言ってるんだ、テントウ虫姫。タラターナ国のガラガラヘビの抜け殻は、空から船を吊るせるくらいに強いものだってことを、忘れたのか?テントウ虫姫だって、船旅のときに見て知っているだろう?」
と、王子様は不思議そうな声で言いました。
ひかりちゃんは、船旅とか船のことなんて全然知らなかったけれど、そう言うわけにもいかないので、仕方なく、ぎゅっと目をつぶって、ガラガラヘビの抜け殻を、両手で持ちました。
抜け殻は、ひんやりしていて、小さなウロコのようなものがいっぱいついていて、とても不気味だったので、ひかりちゃんは、思わず手をはなしそうになりました。でも、ここで王子様とはぐれてしまうわけにはいかないので、「これは、へびじゃない。これは、ただの綱だ。運動会の綱引きで引っ張った綱なんだ」と自分に言い聞かせました。
「しっかり、持ったか?よぉし、ひきあげるぞ。よいしょ、よいしょ」
王子様が、ひかりちゃんを引っ張り上げてくれました。ひかりちゃんは、目をぎゅっとつぶったまま、ガラガラヘビの抜け殻をしっかり握って、切り立った崖に足をかけて、一歩一歩のぼっていきました。そして、ひかりちゃんが、5回目に
「もうだめだ。手も痛いし、目もつぶっていられないし、足もすべるし、もういますぐにでも、ここから落っこちちゃうに違いない」
と思ったとき、王子様が、
「よぉし、到着だ」
と、ひかりちゃんを抱きかかえるようにして、崖の上に引っ張り上げてくれました。とうとう、崖を登りきることができたのです。
やったぁ!
ひかりちゃんが、ようやく目をあけると、王子様は、汗びっしょりの顔をして、両手にふうふうと息をふきかけているところでした。王子様の手は、皮がむけて、真っ赤にはれあがっていました。
「王子様、あの、引っ張ってくれて、ありがとうございました」
ひかりちゃんが、小さな声でお礼を言うと、日の王子は、
「ちぇっ」
と言いながら、向こうを向いてしまいました。そうだね。きっと、照れていたんだね。あおいちゃんは、そんなこともわかるの。おませさんだねえ。
それでね、王子様は、ガラガラヘビの抜け殻をくるくると巻いて、腕に掛けると、そのまま歩き出しました。ひかりちゃんも、急いで追いかけていきました。そこから、秋の山のてっぺんまでは、もうすぐそこでした。王子様は、だんだん急ぎ足になって、最後は走り出しました。穂の姫のことが、心配でたまらなかったからです。
秋の山のてっぺんには、赤や黄や橙色に色づいた葉をいっぱいに繁らせた、大きな大きな木が1本だけ立っていました。そこについたときには、お日様がもう傾き始めていました。風が強く吹いて、しっかり立っていないと倒されそうでした。てっぺんの木の葉たちが、一斉にざわざわざわと揺れました。
木の横に立って、あたりをぐるりと見渡した王子様は、ひとつ溜息をつくと、
「さて、秋の山のてっぺんに着いた」
と、言いました。
「それなのに、穂の姫はいない」
王子様は、悲しそうな顔で、ひかりちゃんをじっと見ました。
「で、でも、本当にこっちの方から声が聞こえたんです」
ひかりちゃんは、焦って言いました。
「でも、いないじゃないか!僕をだましたのか!」
王子様が、怒っていいました。また、日の王子の怒りんぼ虫が顔を出したのです。
「ち、違います。ちょっと待って」
ひかりちゃんは、だましたなんて言われて、泣きそうになりました。そして、もう一度、声がする方向をたしかめようと、目を閉じて、耳を澄ませました。声は、前よりも、もっともっと大きく、はっきりと聞こえるようになっていました。穂の姫のところに近づいているのは、間違いありません。
「あ、あっちです。あっちから、声が聞こえてきます」
ひかりちゃんは、秋の山のてっぺんのその向こうを指さしました。
そこは、深い深い谷になっていました。谷のほうからは、身体がぞくぞくするような冷たい風が、ひゅるるる、ひゅるるると吹き上げてきていました。森のにおいに混じって、なにやら獣のようなにおいがしました。谷は、遠くにうっすらと見える冬の山のところまで続いていました。冬の山に近いところには、雪が積もっているようでした。
「あっちだと?テントウ虫姫が指さしているのは、魔物が住んでいると言われている秋冬の谷ではないか。あんなところに降りて行ったら、命はないと・・・」
そのとき、秋冬の谷の黒々とした底の方で、何かがチカリと光りました。
王子様とひかりちゃんが、光った場所をじっと見つめていると、さっきとは違う場所で、また何かがチカリと光りました。
「何かが動いてる!穂の姫かもしれません!」
ひかりちゃんは、嬉しくなって、怖いのも忘れて、谷に降りていこうとしました。
「ま、待て。足を踏み外したら危険だ」
王子様は、そう言うと、秋の山のてっぺんの木に、ガラガラヘビの抜け殻の端を、しっかりと結びつけました。そして、
「まず、僕が行って様子を見てみるから、テントウ虫姫は、ここで待っていなさい」
と、いばって言うと、ガラガラヘビの抜け殻のもうひとつの端を、自分の身体に巻きつけました。ところが、王子様の結び方は、木に結んだほうも、王子様の身体に結んだほうも、蝶結びでした。これでは、すぐにほどけてしまって危険です。ひかりちゃんは、
「王子様、ちょっと待ってください」
と言うと、結び目をほどいて、帆船結びに結びなおしました。
帆船結びっていうのはね、船の帆を取り付けるときに使う、とってもほどけにくいロープの結び方だよ。ひかりちゃんはね、ひかりちゃんのお父さん、熊本のおじいちゃんだよ、と一緒に、しょっちゅうキャンプに行っていたから、ロープを結ぶのは得意なのでした。
王子様は、ひかりちゃんが器用に帆船結びをするのを見て、ちょっと見直したような顔で、ひかりちゃんを見ました。
あおいちゃんと、なつきちゃんは、キャンプに行ったことある?そっか、まだないか。あのね、キャンプに行ったらね、テントの中で寝るんだよ。そしてね、たき火を焚いて、はんごうっていうので、ごはんを炊くんだよ。半分くらいこげちゃったりするけど、そのおこげも美味しいんだよ。もっと暖かくなったら、一緒に行こうね。おばちゃんだって、小さいときは、熊本のおじいちゃんや、あなたたちのママと一緒にしょっちゅうキャンプに行ってたから、帆船結びだってできるよ。あおいちゃんにも、教えてあげるね。それじゃあ、今日のお話しはここまでね。おやすみなさい。
あおいちゃんやなつきちゃんみたいに小さい子は、そこにいるだけで、お年寄りを元気にする力があるんだよ。
そしてね、おじいちゃんやおばあちゃんが、あおいちゃんやなつきちゃんのちっちゃな手を、しわしわの両手で、そーっと包んでいたでしょう。あおいちゃんやなつきちゃんのちっちゃくて、ふわふわで、あったかい手に触るだけで、おじいちゃんやおばあちゃんは、心がぽかぽかにあったまるんだよ。だから、また一緒にお見舞いにいってくれる?ありがとう。あおいちゃんも、なつきちゃんも、やさしい子だね。
それじゃあ、お話しの続きを始めましょう。
ひかりちゃんと、日の王子はね、ぎゅっと手をつないだまま、秋の山を登り始めました。地面には、秋の落ち葉がいっぱいに敷き詰められていたので、ときどき、濡れた葉っぱに足をとられて、すべりそうになりました。するどい葉っぱで、腕を切ってしまったり、毒々しい色をした虫に刺されそうになりながら、一歩一歩山を登っていきました。
ひかりちゃんの頭の中の声は、ますます大きくなっていきました。
途中で、ちょろちょろと流れる小川とぶつかりました。小川に沿って、上へ上へと登っていくと、苔むした小さな祠がありました。
祠っていうのはね、神様やご先祖様をお祭りしてあるところだよ。
祠の前に、小さくて深い池があって、そこが川の源になっていました。青い透明な水が、こぽこぽと音を立てて湧き出していました。そばには、小さな水汲み用のバケツが置いてあって、ついさっき誰かが使ったみたいに、濡れていました。こんな山奥まで、水を汲みにくる人がいるのでしょうか。
山登りで疲れていたひかりちゃんと日の王子は、腹這いになって湧水をごくごく飲みました。甘くて美味しい水でした。
ひかりちゃんたちは、そこでひとやすみして、お弁当を食べることにしました。木と木の間から、お日様の光がぽかぽかと差し込んで、鮭のおにぎりと、卵焼きと、から揚げと、ブロッコリーと、ウサギリンゴのお弁当を食べていると、まるで遠足に来ているような気分になりました。
ひかりちゃんは、やさしいゆうれいが作ってくれたお弁当が、お母さんのお弁当とそっくりだっていう話をしたくてたまらなかったけれど、王子様に人間の子どもだということがばれてしまうといけないので、ぐっと我慢して黙っていました。
ふたりは、お弁当をごはん粒ひとつ残らずきれいに食べ終えると、また腹這いになって湧水をごくごく飲みました。
風が、さわさわと渡っていきました。王子様は、そばにあった木の枝から、まあるい葉っぱを1枚ちぎりとると、二本の指で唇に当てて、目を閉じました。すると、まあるい葉っぱから、不思議な音が流れてきました。王子様は、草笛を吹いているのです。楽しいような、懐かしいような、寂しいような不思議な曲でした。
「なんという曲ですか?」
と、ひかりちゃんが聞くと、王子様は、
「穂の姫の歌。いま、作った」
と言って、ごろりと横になりました。
ひかりちゃんも、ちょっとお行儀が悪いかなと思ったけど、真似してごろりと横になりました。空の海が、キラキラと光っていました。ときどき、イルカのきょうだいが楽しそうにジャンプしているのが見えました。
王子様は、寝転んで、また草笛を吹きました。
ひかりちゃんは、王子様を励ましたくなったので、元気になりそうな歌を歌うことにしました。
何を歌ったと思う?あのね、「かえるの合唱」を歌ったんだって。
「かえるのうたが きこえてくるよ
グァ、グァ、グァ、グァ、ゲゲゲゲゲゲゲゲ、グァ、グァ、グァ」
そしたら、王子様がびっくりした顔でひかりちゃんを見て、ゲラゲラ笑いだしました。笑いながら、「もう一回歌ってみろ」というので、ひかりちゃんは、仕方なくもう一回歌いました。はい、あおいちゃんもご一緒に、
「かえるのうたが きこえてくるよ
グァ、グァ、グァ、グァ、ゲゲゲゲゲゲゲゲ、グァ、グァ、グァ」
王子様は、「そんな鳴き声のカエルはなんて聞いたことがない」と、お腹を抱えて笑っています。タラターナの国のカエルは、なんて鳴くんでしょうね。ひかりちゃんにもわからなかったけれど、王子様が大笑いして元気になったみたいなので、まあいいかと思いました。王子様の笑い声を聞いているうちに、ひかりちゃんも楽しくなってきて、一緒にゲラゲラ笑いました。
ひとしきり笑うと、ひかりちゃんと日の王子は、どちらからともなく目を合わせて、にっこり微笑みました。さあ、そろそろ出発の時間です。
ところが、ここから先は、それまでの道よりも、もっと大変でした。いままでは、木の幹や木の枝をつかみながら進むことができたのに、だんだん木がなくなってきて、ごろごろとした岩ばかりになってきました。いくつかの岩は、とても不安定に地面に乗っかっていて、うっかりそれを踏もうものなら、ごろんと転がって、岩と一緒に山を転げ落ちていきそうになりました。
ごろごろ道を、転びそうになりながら歩いていくと、今度は、切り立った崖にぶつかってしまいました。ひかりちゃんは、その崖を見上げたとき、「いままでがんばって、なんとかここまで来たけど、この崖は、無理!」と思って、泣きそうになりました。
だってね、その崖は、まるでひかりちゃんの小学校の校舎くらいに高かったんだって。
そうだよ。あおいちゃんの幼稚園は、2階建てでしょ?でも、ひかりちゃんも小学校は、4階建てだったから、もっともっと高かったんだよ。
ところが、日の王子は、なんでもないみたいに、きれいなエメラルド色の両手両足を、崖のわずかなくぼみにかけて、ひょいひょいひょいと登っていきました。ひかりちゃんが、思わず、
「王子様、すごい!」
と言うと、王子様は、登りながら、照れたように、
「まあね、きたえてるからね」
と言いました。
ひかりちゃんは、「あっ!」と思って、
「王子様、きたえてるって、あの、もしかして、逆上がりの練習とかもしてるんですか?」
と、聞きました。でも、崖を登っている王子様には聞こえないようでした。
日の王子の姿が、だんだん高く小さくなってきました。ときどき、小さな石が、カラカラカラと落ちてきて、ひかりちゃんをハラハラさせました。ひかりちゃんは、今度ばかりは王子様についていく気にはなれず、崖の下から、王子様を見上げているだけでした。
やがて、日の王子は、崖の向こうに見えなくなりました。この高い高い崖を、とうとう登り切ったのです。ひかりちゃんは、どうすればいいのでしょう?まさか、王子様と同じようにして、登ってこいというのでしょうか。そんなの、いくらなんでも無理!ひかりちゃんが、また泣きそうになったとき、王子様の、
「見つけた!」
という声が小さく聞こえてきました。
そして、崖の上から、スルスルスルと、何か紐のようなものが降りてきました。よく見ると、それは、なんと、カラカラにひからびた、長い長いガラガラヘビの抜け殻でした。
「ひぃ~え~~~っ!」
ひかりちゃんは、思わず叫んで逃げ出しそうになりました。王子様は、崖の上から顔を出して、
「何をしてるんだ、早くそれにつかまって!」
と、どなりました。
「で、でも、こんな抜け殻、途中で切れちゃうんじゃ・・・」
「何を言ってるんだ、テントウ虫姫。タラターナ国のガラガラヘビの抜け殻は、空から船を吊るせるくらいに強いものだってことを、忘れたのか?テントウ虫姫だって、船旅のときに見て知っているだろう?」
と、王子様は不思議そうな声で言いました。
ひかりちゃんは、船旅とか船のことなんて全然知らなかったけれど、そう言うわけにもいかないので、仕方なく、ぎゅっと目をつぶって、ガラガラヘビの抜け殻を、両手で持ちました。
抜け殻は、ひんやりしていて、小さなウロコのようなものがいっぱいついていて、とても不気味だったので、ひかりちゃんは、思わず手をはなしそうになりました。でも、ここで王子様とはぐれてしまうわけにはいかないので、「これは、へびじゃない。これは、ただの綱だ。運動会の綱引きで引っ張った綱なんだ」と自分に言い聞かせました。
「しっかり、持ったか?よぉし、ひきあげるぞ。よいしょ、よいしょ」
王子様が、ひかりちゃんを引っ張り上げてくれました。ひかりちゃんは、目をぎゅっとつぶったまま、ガラガラヘビの抜け殻をしっかり握って、切り立った崖に足をかけて、一歩一歩のぼっていきました。そして、ひかりちゃんが、5回目に
「もうだめだ。手も痛いし、目もつぶっていられないし、足もすべるし、もういますぐにでも、ここから落っこちちゃうに違いない」
と思ったとき、王子様が、
「よぉし、到着だ」
と、ひかりちゃんを抱きかかえるようにして、崖の上に引っ張り上げてくれました。とうとう、崖を登りきることができたのです。
やったぁ!
ひかりちゃんが、ようやく目をあけると、王子様は、汗びっしょりの顔をして、両手にふうふうと息をふきかけているところでした。王子様の手は、皮がむけて、真っ赤にはれあがっていました。
「王子様、あの、引っ張ってくれて、ありがとうございました」
ひかりちゃんが、小さな声でお礼を言うと、日の王子は、
「ちぇっ」
と言いながら、向こうを向いてしまいました。そうだね。きっと、照れていたんだね。あおいちゃんは、そんなこともわかるの。おませさんだねえ。
それでね、王子様は、ガラガラヘビの抜け殻をくるくると巻いて、腕に掛けると、そのまま歩き出しました。ひかりちゃんも、急いで追いかけていきました。そこから、秋の山のてっぺんまでは、もうすぐそこでした。王子様は、だんだん急ぎ足になって、最後は走り出しました。穂の姫のことが、心配でたまらなかったからです。
秋の山のてっぺんには、赤や黄や橙色に色づいた葉をいっぱいに繁らせた、大きな大きな木が1本だけ立っていました。そこについたときには、お日様がもう傾き始めていました。風が強く吹いて、しっかり立っていないと倒されそうでした。てっぺんの木の葉たちが、一斉にざわざわざわと揺れました。
木の横に立って、あたりをぐるりと見渡した王子様は、ひとつ溜息をつくと、
「さて、秋の山のてっぺんに着いた」
と、言いました。
「それなのに、穂の姫はいない」
王子様は、悲しそうな顔で、ひかりちゃんをじっと見ました。
「で、でも、本当にこっちの方から声が聞こえたんです」
ひかりちゃんは、焦って言いました。
「でも、いないじゃないか!僕をだましたのか!」
王子様が、怒っていいました。また、日の王子の怒りんぼ虫が顔を出したのです。
「ち、違います。ちょっと待って」
ひかりちゃんは、だましたなんて言われて、泣きそうになりました。そして、もう一度、声がする方向をたしかめようと、目を閉じて、耳を澄ませました。声は、前よりも、もっともっと大きく、はっきりと聞こえるようになっていました。穂の姫のところに近づいているのは、間違いありません。
「あ、あっちです。あっちから、声が聞こえてきます」
ひかりちゃんは、秋の山のてっぺんのその向こうを指さしました。
そこは、深い深い谷になっていました。谷のほうからは、身体がぞくぞくするような冷たい風が、ひゅるるる、ひゅるるると吹き上げてきていました。森のにおいに混じって、なにやら獣のようなにおいがしました。谷は、遠くにうっすらと見える冬の山のところまで続いていました。冬の山に近いところには、雪が積もっているようでした。
「あっちだと?テントウ虫姫が指さしているのは、魔物が住んでいると言われている秋冬の谷ではないか。あんなところに降りて行ったら、命はないと・・・」
そのとき、秋冬の谷の黒々とした底の方で、何かがチカリと光りました。
王子様とひかりちゃんが、光った場所をじっと見つめていると、さっきとは違う場所で、また何かがチカリと光りました。
「何かが動いてる!穂の姫かもしれません!」
ひかりちゃんは、嬉しくなって、怖いのも忘れて、谷に降りていこうとしました。
「ま、待て。足を踏み外したら危険だ」
王子様は、そう言うと、秋の山のてっぺんの木に、ガラガラヘビの抜け殻の端を、しっかりと結びつけました。そして、
「まず、僕が行って様子を見てみるから、テントウ虫姫は、ここで待っていなさい」
と、いばって言うと、ガラガラヘビの抜け殻のもうひとつの端を、自分の身体に巻きつけました。ところが、王子様の結び方は、木に結んだほうも、王子様の身体に結んだほうも、蝶結びでした。これでは、すぐにほどけてしまって危険です。ひかりちゃんは、
「王子様、ちょっと待ってください」
と言うと、結び目をほどいて、帆船結びに結びなおしました。
帆船結びっていうのはね、船の帆を取り付けるときに使う、とってもほどけにくいロープの結び方だよ。ひかりちゃんはね、ひかりちゃんのお父さん、熊本のおじいちゃんだよ、と一緒に、しょっちゅうキャンプに行っていたから、ロープを結ぶのは得意なのでした。
王子様は、ひかりちゃんが器用に帆船結びをするのを見て、ちょっと見直したような顔で、ひかりちゃんを見ました。
あおいちゃんと、なつきちゃんは、キャンプに行ったことある?そっか、まだないか。あのね、キャンプに行ったらね、テントの中で寝るんだよ。そしてね、たき火を焚いて、はんごうっていうので、ごはんを炊くんだよ。半分くらいこげちゃったりするけど、そのおこげも美味しいんだよ。もっと暖かくなったら、一緒に行こうね。おばちゃんだって、小さいときは、熊本のおじいちゃんや、あなたたちのママと一緒にしょっちゅうキャンプに行ってたから、帆船結びだってできるよ。あおいちゃんにも、教えてあげるね。それじゃあ、今日のお話しはここまでね。おやすみなさい。
あおいちゃん、きょうはうれしいお知らせがあるよ。あのね。明日ね、みんなで温泉に行くことになったんだよ。バスに乗ってね、町の人たちみんなで行くんだよ。いっぱいあったまって、身体も頭もきれいにしてこようね。そう、なつきちゃんも、大きいお風呂、大好きなの。よかったね。楽しみだね。
それじゃあ、昨日のお話しの続きを始めましょう。
昨日は、魔物が住むという秋冬の谷に、王子様が降りていくところまでだったよね。
王子様は、ガラガラ蛇の抜け殻をしっかり握ると、秋冬の谷に向かって、急な角度で落ちていく斜面を、トーントンと蹴りながら、上手に底の方に降りて行きました。
ひかりちゃんは、秋の山のてっぺんから、一生懸命目をこらして、王子様の姿を追いかけていましたが、夕方のお日様は、谷の底の方までは届かなかったので、王子様の姿は、だんだん暗く小さくなって、とうとう見えなくなってしまいました。
ひとりぼっちになってみると、秋の山のてっぺんは、なんともさびしいところでした。てっぺんの木が1本ある以外は、ごろごろとした岩が転がっているだけでした。片側は、王子様とひかりちゃんが登ってきた、あの高い高い崖になっていましたし、もう片側は、秋冬の谷に続く、薄暗くて急な斜面になっていました。崖のほうを見下ろすと、ずっとずっと下の方に、長老の家の屋根が小さく見えました。煙突から、煙が流れていました。今日も、やさしいゆうれいが、何か美味しいスープ料理を作っているのでしょう。
ひかりちゃんは、こんなところまで来てしまったことを、急に後悔し始めました。ひかりちゃんのお母さんは、
「タラターナの国の人を助けられるのは、こどもだけだから、これはこどもの仕事だよ」
なんて言ったけど、穂の姫がどんなことで困っているにせよ、ひかりちゃんみたいな小さな子に、誰かを助けてあげることなんて、できるわけがないのです。
ひかりちゃんが、思わず「お母さん」と、泣きべそをかきそうになったとき、秋の山のてっぺんの木が、バサッバサッと揺れました。
ひかりちゃんは、びくっとして、そーっと、てっぺんの木を振り返りました。てっぺんの木が、また、大きくバサッバサッと揺れました。てっぺんの木に結ばれたガラガラヘビの抜け殻が、クイックイッと動きました。日の王子が、谷底から引っ張っているのです。「大丈夫だから、降りて来い」という合図です。
ひかりちゃんは、秋冬の谷をのぞきこみました。底の方は黒々としていて、何があるのか、まったく見えません。だけど、ここにひとりぼっちでいるよりマシだと思って、ガラガラヘビの抜け殻をじっと見つめました。この抜け殻を伝っていけば、王子様のところに行けるのです。
だけど、どうやって、谷底まで降りていけばいいのでしょう?王子様は、ガラガラヘビの抜け殻を、身体にしっかり巻きつけて、トーントンと斜面を蹴りながら、下まで降りていったけど、ひかりちゃんの目の前には、秋の山のてっぺんの木と、谷底にいる王子様をつないでいる、ピンと張った1本の棒みたいな、ガラガラヘビの抜け殻があるだけです。
それを見てるうちにね、ひかりちゃんは、「あれ?これは、学校の校庭にある、のぼり棒に似てるぞ」って、思ったんだって。のぼり棒っていうのはね、地面に長い棒が立ててあって、それを登ったり下りたりして遊ぶ道具だよ。ひかりちゃんは、とってもおてんばな子だったので、のぼり棒をいちばん上まで登ったり、勢いをつけて下まで降りていったりするのが、クラスの誰よりも上手だったんだって。
のぼり棒だとわかれば、こっちのものです。ひかりちゃんは、ピンと張った1本の棒みたいなガラガラヘビの抜け殻に、ぴょんと飛びつくと、お猿さんみたいに、しゅるしゅるしゅーっと下に滑り降りていきました。あおいちゃんも、やってみたい?じゃあ、今度、小学校の校庭に遊びに行ってみようね。
ひかりちゃんは、滑りながら、周りを見回しました。日の当たらない急な斜面には、なんだかじっとりと濡れたような葉があちこちに生えていて、その葉影には、何か邪悪な生き物が潜んでいるようでした。秋冬の谷の生き物は、赤い目を光らせてひかりちゃんをじっと見ていました。時には、奇妙な鳴き声を上げて、ひかりちゃんを脅かすこともありました。だけど、なにしろ、ひかりちゃんは、すごいスピードで下まで降りていったので、秋冬の谷の生き物が、どんな姿をしているかは、確かめることができませんでした。
下に降りていくにつれて、獣の臭いがどんどん強くなっていきました。
どこからか、グオォ、グオォ、といううなり声のようなものも聞こえました。
やがって、ひかりちゃんのお尻に、ガツンと固いものがぶつかりました。
「痛ってー!」
「痛ったーい!」
日の王子と、ひかりちゃんが、同時に叫びました。なんと、ひかりちゃんは、日の王子の頭の上に降りてきてしまったのです。日の王子の目と、ひかりちゃんのお尻の両方から、青白い星が飛び散りました。そのくらい激しい衝突でした。
「まったく、自分がやってることの結末を、少しは考えてみたらどうなんだ」
王子様が、頭を抱えながら、プリプリ怒っていいました。
「上から降りてくるのはわかってるんだから、少しはよけたらどうなんです」
ひかりちゃんも、お尻をさすりながら、プリプリ怒っていいました。
そのとき、谷底のどこかで、また、何かがチカリと光りました。
「シッ!」
ふたりは、光った方に目をこらしました。
チカリ。黒々とした大きな岩の向こうで、また何かが光りました。グオォ、グオォ。グオォ、グオォ。光が見えた方向から、また、あのうなり声が聞こえました。
ふたりは、顔を見合わせました。
「よ、よし、行ってみよう」
王子様が、震える声で言いました。ひかりちゃんと日の王子は、さっきまでケンカしていたのも忘れて、どちらからともなく手を握り合うと、そーっと足音を忍ばせて、何かが光った方に歩いていきました。
地面には、何かナメクジのようなものがいっぱいに歩き回っていて、ぬるぬる、ぬめぬめしていたので、ゆっくりゆっくりしか歩けませんでした。
一歩二歩三歩・・・ようやく少しずつ、大きな岩が近づいてきました。そして、あと十歩というところで、ふたりは息を合わせて駆け出すと、さっと岩の影に身体を隠しました。そして、しばらく息をころして、耳を澄ませていました。誰かに気づかれた様子は、ありません。
チカリ。何かが、また光りました。そっと岩影から顔を出した日の王子が、突然、
「穂の姫!」
と、叫んで走り出しました。大きなカゴを運んでいた穂の姫が、はっと顔を上げました。金色の髪の長さが肩まであるのをのぞけば、日の王子にそっくりな女の子でした。日の王子と同じく、カエルの格好をして、カエル頭のフードだけ外していました。身体の色は、日の王子とは違って、きれいなレモン色でした。
「お兄様!」
穂の姫が駆け寄ると、ふたりはしっかりと抱き合いました。そうだね、とっても仲良しなんだね。
「お兄様、来てくださったんですね!」
「うむ、この方が案内してくれたのだ」
日の王子は、ひかりちゃんを紹介してくれました。ひかりちゃんは、スカートのはじをちょんとつまんで、礼儀正しくお辞儀をしました。
穂の姫は、
「まあ、テントウ虫姫、あなたが!」
と言うと、今度は、ひかりちゃんのところに駆け寄ってきて、ひかりちゃんをぎゅっと抱きしめると、
「ありがとう」
って、言ってくれました。ひかりちゃんは、いままで大変だったことも忘れて、心の中が、お風呂に入ったみたいに、ぽかぽかに暖かくなりました。
そうだね、あおいちゃんとなつきちゃんも、明日大きいお風呂に行くんだよね。明日、元気にお出かけできるように、今日は早く寝ましょうか。風邪がぶりかえしたら、行けなくなっちゃうもんね。
明日は、いよいよベール泥棒の正体がわかるから、楽しみにしていてね。おやすみなさい、あおいちゃん。おやすみなさい、なつきちゃん。
それじゃあ、昨日のお話しの続きを始めましょう。
昨日は、魔物が住むという秋冬の谷に、王子様が降りていくところまでだったよね。
王子様は、ガラガラ蛇の抜け殻をしっかり握ると、秋冬の谷に向かって、急な角度で落ちていく斜面を、トーントンと蹴りながら、上手に底の方に降りて行きました。
ひかりちゃんは、秋の山のてっぺんから、一生懸命目をこらして、王子様の姿を追いかけていましたが、夕方のお日様は、谷の底の方までは届かなかったので、王子様の姿は、だんだん暗く小さくなって、とうとう見えなくなってしまいました。
ひとりぼっちになってみると、秋の山のてっぺんは、なんともさびしいところでした。てっぺんの木が1本ある以外は、ごろごろとした岩が転がっているだけでした。片側は、王子様とひかりちゃんが登ってきた、あの高い高い崖になっていましたし、もう片側は、秋冬の谷に続く、薄暗くて急な斜面になっていました。崖のほうを見下ろすと、ずっとずっと下の方に、長老の家の屋根が小さく見えました。煙突から、煙が流れていました。今日も、やさしいゆうれいが、何か美味しいスープ料理を作っているのでしょう。
ひかりちゃんは、こんなところまで来てしまったことを、急に後悔し始めました。ひかりちゃんのお母さんは、
「タラターナの国の人を助けられるのは、こどもだけだから、これはこどもの仕事だよ」
なんて言ったけど、穂の姫がどんなことで困っているにせよ、ひかりちゃんみたいな小さな子に、誰かを助けてあげることなんて、できるわけがないのです。
ひかりちゃんが、思わず「お母さん」と、泣きべそをかきそうになったとき、秋の山のてっぺんの木が、バサッバサッと揺れました。
ひかりちゃんは、びくっとして、そーっと、てっぺんの木を振り返りました。てっぺんの木が、また、大きくバサッバサッと揺れました。てっぺんの木に結ばれたガラガラヘビの抜け殻が、クイックイッと動きました。日の王子が、谷底から引っ張っているのです。「大丈夫だから、降りて来い」という合図です。
ひかりちゃんは、秋冬の谷をのぞきこみました。底の方は黒々としていて、何があるのか、まったく見えません。だけど、ここにひとりぼっちでいるよりマシだと思って、ガラガラヘビの抜け殻をじっと見つめました。この抜け殻を伝っていけば、王子様のところに行けるのです。
だけど、どうやって、谷底まで降りていけばいいのでしょう?王子様は、ガラガラヘビの抜け殻を、身体にしっかり巻きつけて、トーントンと斜面を蹴りながら、下まで降りていったけど、ひかりちゃんの目の前には、秋の山のてっぺんの木と、谷底にいる王子様をつないでいる、ピンと張った1本の棒みたいな、ガラガラヘビの抜け殻があるだけです。
それを見てるうちにね、ひかりちゃんは、「あれ?これは、学校の校庭にある、のぼり棒に似てるぞ」って、思ったんだって。のぼり棒っていうのはね、地面に長い棒が立ててあって、それを登ったり下りたりして遊ぶ道具だよ。ひかりちゃんは、とってもおてんばな子だったので、のぼり棒をいちばん上まで登ったり、勢いをつけて下まで降りていったりするのが、クラスの誰よりも上手だったんだって。
のぼり棒だとわかれば、こっちのものです。ひかりちゃんは、ピンと張った1本の棒みたいなガラガラヘビの抜け殻に、ぴょんと飛びつくと、お猿さんみたいに、しゅるしゅるしゅーっと下に滑り降りていきました。あおいちゃんも、やってみたい?じゃあ、今度、小学校の校庭に遊びに行ってみようね。
ひかりちゃんは、滑りながら、周りを見回しました。日の当たらない急な斜面には、なんだかじっとりと濡れたような葉があちこちに生えていて、その葉影には、何か邪悪な生き物が潜んでいるようでした。秋冬の谷の生き物は、赤い目を光らせてひかりちゃんをじっと見ていました。時には、奇妙な鳴き声を上げて、ひかりちゃんを脅かすこともありました。だけど、なにしろ、ひかりちゃんは、すごいスピードで下まで降りていったので、秋冬の谷の生き物が、どんな姿をしているかは、確かめることができませんでした。
下に降りていくにつれて、獣の臭いがどんどん強くなっていきました。
どこからか、グオォ、グオォ、といううなり声のようなものも聞こえました。
やがって、ひかりちゃんのお尻に、ガツンと固いものがぶつかりました。
「痛ってー!」
「痛ったーい!」
日の王子と、ひかりちゃんが、同時に叫びました。なんと、ひかりちゃんは、日の王子の頭の上に降りてきてしまったのです。日の王子の目と、ひかりちゃんのお尻の両方から、青白い星が飛び散りました。そのくらい激しい衝突でした。
「まったく、自分がやってることの結末を、少しは考えてみたらどうなんだ」
王子様が、頭を抱えながら、プリプリ怒っていいました。
「上から降りてくるのはわかってるんだから、少しはよけたらどうなんです」
ひかりちゃんも、お尻をさすりながら、プリプリ怒っていいました。
そのとき、谷底のどこかで、また、何かがチカリと光りました。
「シッ!」
ふたりは、光った方に目をこらしました。
チカリ。黒々とした大きな岩の向こうで、また何かが光りました。グオォ、グオォ。グオォ、グオォ。光が見えた方向から、また、あのうなり声が聞こえました。
ふたりは、顔を見合わせました。
「よ、よし、行ってみよう」
王子様が、震える声で言いました。ひかりちゃんと日の王子は、さっきまでケンカしていたのも忘れて、どちらからともなく手を握り合うと、そーっと足音を忍ばせて、何かが光った方に歩いていきました。
地面には、何かナメクジのようなものがいっぱいに歩き回っていて、ぬるぬる、ぬめぬめしていたので、ゆっくりゆっくりしか歩けませんでした。
一歩二歩三歩・・・ようやく少しずつ、大きな岩が近づいてきました。そして、あと十歩というところで、ふたりは息を合わせて駆け出すと、さっと岩の影に身体を隠しました。そして、しばらく息をころして、耳を澄ませていました。誰かに気づかれた様子は、ありません。
チカリ。何かが、また光りました。そっと岩影から顔を出した日の王子が、突然、
「穂の姫!」
と、叫んで走り出しました。大きなカゴを運んでいた穂の姫が、はっと顔を上げました。金色の髪の長さが肩まであるのをのぞけば、日の王子にそっくりな女の子でした。日の王子と同じく、カエルの格好をして、カエル頭のフードだけ外していました。身体の色は、日の王子とは違って、きれいなレモン色でした。
「お兄様!」
穂の姫が駆け寄ると、ふたりはしっかりと抱き合いました。そうだね、とっても仲良しなんだね。
「お兄様、来てくださったんですね!」
「うむ、この方が案内してくれたのだ」
日の王子は、ひかりちゃんを紹介してくれました。ひかりちゃんは、スカートのはじをちょんとつまんで、礼儀正しくお辞儀をしました。
穂の姫は、
「まあ、テントウ虫姫、あなたが!」
と言うと、今度は、ひかりちゃんのところに駆け寄ってきて、ひかりちゃんをぎゅっと抱きしめると、
「ありがとう」
って、言ってくれました。ひかりちゃんは、いままで大変だったことも忘れて、心の中が、お風呂に入ったみたいに、ぽかぽかに暖かくなりました。
そうだね、あおいちゃんとなつきちゃんも、明日大きいお風呂に行くんだよね。明日、元気にお出かけできるように、今日は早く寝ましょうか。風邪がぶりかえしたら、行けなくなっちゃうもんね。
明日は、いよいよベール泥棒の正体がわかるから、楽しみにしていてね。おやすみなさい、あおいちゃん。おやすみなさい、なつきちゃん。
あおいちゃん、今日は温泉楽しかった?そう、よかったねえ。おばちゃんも、とっても気持ちよかったよ。
なつきちゃんには、ちょっと熱いかなと思ったけど、ちゃんと入れてよかったね。なつきちゃんが、いっぱい遊んでお風呂から上がってきたら、先に上がってたおばあちゃんたちが、「ほっかほかのおまんじゅうの出来上がり」って言いながら、みんなしてなつきちゃんの身体をふいたり、お洋服を着せたりしてくれたんだよね。面白かったね。また、行けるといいね。さあ、それでは、今日は、いよいよ、ベール泥棒の正体がわかりますよ。
はじまりはじまり。
秋冬の谷底で、王子様やひかりちゃんと出会った穂の姫は、大きな岩に腰を下ろすと、それまでの話をしてくれました。
あおいちゃん、穂の姫が、「私が怪物と会って、話をしてみます」って言って、長老の家を飛び出しちゃったことは、覚えてるかな?
そのあと、穂の姫は、広場に行くと、夜になるまで物陰に隠れて、怪物が来るのを待ちました。月のない、暗い暗い夜が来ました。どのくらい待ったでしょうか。穂の姫が、待ちくたびれて、うとうとしかかったときに、山の方からドシンドシンという足音が聞こえてきました。穂の姫は、怖くてぶるぶる震えました。でも、ベールを守るためだと思って、逃げ出したい気持ちをぐっと我慢して、じーっと隠れていました。勇敢なお姫様だね。
ドシンドシンという足音がだんだん近づいてきました。なんだか、いままでに嗅いだことのないような、獣くさいにおいが、あたり一面に広がりました。怪物が、もうすぐそこまで来ているのです。
穂の姫さまは、あまりにもぶるぶる震えていたものだから、身体が震える音が怪物に聞こえてしまうのではないかと思って、身体を両手でぎゅっと押さえて我慢していました。
広場で、黒い大きな影が動き回っているのが見えました。カサカサ、カサカサという音が聞こえました。怪物が、村の人たちがせっかく作ったベールを盗もうとしているのです。
穂の姫さまは、「いまだ!」と思って走り出ると、全速力で走って、バン!バン!バン!と広場中の電気をつけて回りました。
大きなスポットライトが、いっせいに広場を照らしました。そこにいたのは・・・なんと、恐ろしい怪物ではなくて、ハート柄の毛糸のパンツをはいた、気の弱そうな鬼のお母さんでした。鬼のお母さんは、びっくりして逃げ出そうとしました。そのとき、
「待ちなさい!ベール泥棒!」
という、小さな穂の姫の凛とした声が、どこからか聞こえてきました。
鬼のお母さんは、びくっとすると、へっぴり腰になって、きょろきょろと声の主を探しました。穂の姫は、ベールが干してあった物干し台にするすると登ると、その上に仁王立ちになって、
「我こそは、タラターナ国 穂の姫なり。ただいま、王の兵 3千人を引き連れて、ベール泥棒を成敗するためにやってきた!」
と、言いました。
お母さん鬼は、「ひっ」と言って、どこに3千人の兵が隠れているのだろうと、大きな目玉をぎょろぎょろ回して、あたりを探しました。そうだね、本当は、そんなものいないのにね。でもね、穂の姫は、いかにもたくさんの兵を率いる指揮官のように、堂々と、
「いくぞ!銃を構えよ!」
と、号令をかけました。
「攻撃5秒前、4秒前、3秒前・・・」
穂の姫が秒読みを始めたらね、お母さん鬼は、腰を抜かしたようにぺたんと座り込んで、
「ウォーン、ウォーン、ごめんなさい、ごめんなさい」
って、泣きだしちゃったんだって。なんだか、かわいそうだよね。
穂の姫もね、なんだかかわいそうになって、
「打ち方、やめい!」
と、本当はいない兵隊に命令すると、物干し台から、お母さん鬼の肩にぴょんと飛び乗りました。そして、
「あなたは、悪い鬼ではなさそうだ。どうして、こんなことをしたのか、話してごらんなさい」
と言いました。
お母さん鬼は、どうして泥棒なんてしたんだろうねえ。あのね、それには、こんなわけがありました。
お母さん鬼は、鬼の国に住んでいます。
鬼の国は、秋の山のいちばんてっぺんと、冬の山のいちばんてっぺんの間にある、「秋冬の谷」の向こうにあります。鬼の国は、とても寒くてね、タラターナの国の人が行ったら凍りついちゃうくらい寒いんだけど、鬼は暑がりだから、みんなとっても薄着で暮らしています。
そうだね、だから、鬼さんは、人間の国に来るときは、みんな裸なんだね。
それでね、少し前に、お母さん鬼に、10人の赤ちゃんが生まれました。お母さん鬼から見ると、それはそれはかわいらしい子鬼たちだったんだって。だけどね、不思議なことに、この子鬼たち、鬼のくせにとっても寒がりで、毎晩毎晩、
「ママー、寒いよー、寒くて眠れないよー」
って、泣くんだって。でも、鬼たちはみんな暑がりだから、暖かい布団なんか持っていません。お母さん鬼が、どうしよう、どうしようって困っていたら、鬼の国の誰かが、「タラターナ国の秋の村で作っているベールは、軽くてとても暖かいらしい」って教えてくれたんだって。
それで、お母さん鬼は、本当はとっても気が弱い、やさしい鬼なんだけど、赤ちゃんのために勇気を出して、月のない夜になると、ベールを盗みに来てたんだって。
穂の姫様は、お母さん鬼がかわいそうになったので、
「お前の赤ちゃんを思う気持ちに免じて、今回だけは許してやろう。もう二度とこんなことをするんじゃないぞ」
って言ったんだって。
そしたらね、お母さん鬼は、いままでよりもっと大きな声で「ウォーン、ウォーン」って、大粒の涙を流して、泣き出したんだって。
どうしてだと思う?
あのね、赤ちゃんは、10人いるでしょう。でも、お母さん鬼が盗み出したベールは、いまのところ、6ヒロゲだけだったんだって。
ヒロゲっていうのは、タラターナ国の単位でね、一ヒロゲは、人間の国の単位でいうと、90センチ×100センチ。ちょうど鬼の赤ちゃんの毛布にぴったりな大きさなんだって。
赤ちゃんが10人いて、盗み出したベールが6ヒロゲということは・・・
「10ひく6だから、あと4ヒロゲ足りない!」
と、ひかりちゃんが元気よく言いました。もうすぐ、3年生なんですから、このくらいの引き算はなんでもありません。
ところが、日の王子と穂の姫が、大変感心したように、「ほほぉ」「さすが、算数大臣の家系だけある」と口々にほめてくれたので、ひかりちゃんは、とってもいい気分になりました。
それでね、穂の姫は、ここで何をしていたかっていうと、足りない4ヒロゲを、お母さん鬼と一緒に作っていたんだって。鬼は、昼間は寝ているので、その間に、穂の姫が材料を集めて糸を作ってね、夜になると、お母さん鬼が編むんだって。
そうだね。グオォ、グオォ、といううなり声は、お母さん鬼のいびきだったんだね。そう言われてあたりを見回してみると、すぐ近くで、小山が、グオォ、グオォといううなり声に合わせて、高くなったり低くなったりしているのに気づきました。小山は、鬼のお母さんのお腹でした。あたりは薄暗かったし、鬼のお母さんが、あまりにも大きかったので、最初は気づかなかったのでした。
え?あおいちゃん、ベールの作り方を知りたいの?そうだなあ、これは、本当はタラターナ国の秘密だから、誰にも教えちゃいけないんだけど、あおいちゃん、ナイショにできる?じゃあ、ここだけの話にしてね。
《ベールの作り方(タラターナ国外への持ち出し厳禁)》
○材料(一ヒロゲ分)
①赤とんぼの羽 3かご
ただし、無理にむしりとったものは不可。成長するときに生え変わって自然に落ちたものだけを、使うものとする。
②朝露で濡れた蜘蛛の巣 7まき
③山芋 3本
ただし、タラターナ国産のものに限る。人間の国のものは、ベールづくりには向いていない。
④人間の国の綿菓子のフワフワ ボウルに5杯
冷めてベタベタに固まったものを使うと、ベールが編みにくくなるので要注意。出来立てのものを、拝借してくるべし。
⑤秋の山の水源の水 バケツ10杯
⑥オリーブオイル 少々
○作り方
①下ごしらえ
・山芋は、すりおろして、裏ごししておくこと
・蜘蛛の糸は、くっつかないように、オリーブオイルとあえておくこと
②秋の山の水源の水を、大なべでぐらぐら煮立てる。煮立ったら、火を弱める。
③赤とんぼの羽を、固まらないように、少しずつお湯の中に入れて、完全に透明になるまで、弱火でコトコト煮こむ。焦げつかないように、そばについていて、ときどきかきまぜること。
④下ごしらえした山芋と蜘蛛の糸を少しずつ加えて、さらにコトコト煮こむ。だんだん泡立ってきて、泡が大なべからあふれそうになったら、さっと火をとめて、綿菓子のフワフワを入れて、よくかきまぜる。
⑤泡がきれいなピンク色になったら、火からおろして、大なべの中身をボウルに移して、冷たい水か氷でよく冷やす。
⑥よく冷えたら、糸つくり器にゆっくりと流し込む。糸つくり器から、薄ピンク色にキラキラ光る細い糸が出てきたら、ベール糸の出来上がり。
・・・ねえ、糸を作るだけでも、とっても大変でしょ。これを穂の姫がひとりでやってたんだって。本当は、お城に戻って、みんなに手助けを頼みたかったんだけど、「お城に戻ったら、王様の兵が自分を捕まえに来るから、絶対嫌だ」って、お母さん鬼がオンオン泣くものだから、そこから離れることができなかったんだって。
だけど、穂の姫は、とっても小さいから、なかなか材料も集められないし、糸もたくさんは作れないし、お母さん鬼は、とってもぶきっちょで、ふたりで一生懸命作っても、ベールがちっとも大きくならないので、お母さん鬼は悲しくなって、ベールを編みながら、「ウォーン、ウォーン、早く帰ってあげないと、赤ちゃんたちが心配だよ~」って、夜になるたびに、泣いてたんだって。
ぶきっちょっていうのはねえ、え~っと、手を使って細かいことをするのが、あんまり上手じゃないってこと。そうそう、折り紙で鶴を折ったり、ビーズを糸に通したりね、そういうのが苦手なんだって。
穂の姫がいなくなってから、毎晩聞こえてくるようになった恐ろしい声は、お母さん鬼の泣き声だったんだね。
それでね、穂の姫も、「早くお城に帰りたいよ~、誰か助けに来てよ~」って、ひとりでこっそり泣いていたんだって。その声が、ひかりちゃんに聞こえたんだね。
穂の姫の話を聞いたひかりちゃんと日の王子は、さっそくベールづくりを手伝うことにしました。どんなふうにして手伝ったかは、また明日お話しするね。
今日は、温泉に入って疲れたから、そろそろ寝ましょうね。
明日、起きたら、春が来てるといいねえ。おやすみなさい、あおいちゃん、なつきちゃん。
なつきちゃんには、ちょっと熱いかなと思ったけど、ちゃんと入れてよかったね。なつきちゃんが、いっぱい遊んでお風呂から上がってきたら、先に上がってたおばあちゃんたちが、「ほっかほかのおまんじゅうの出来上がり」って言いながら、みんなしてなつきちゃんの身体をふいたり、お洋服を着せたりしてくれたんだよね。面白かったね。また、行けるといいね。さあ、それでは、今日は、いよいよ、ベール泥棒の正体がわかりますよ。
はじまりはじまり。
秋冬の谷底で、王子様やひかりちゃんと出会った穂の姫は、大きな岩に腰を下ろすと、それまでの話をしてくれました。
あおいちゃん、穂の姫が、「私が怪物と会って、話をしてみます」って言って、長老の家を飛び出しちゃったことは、覚えてるかな?
そのあと、穂の姫は、広場に行くと、夜になるまで物陰に隠れて、怪物が来るのを待ちました。月のない、暗い暗い夜が来ました。どのくらい待ったでしょうか。穂の姫が、待ちくたびれて、うとうとしかかったときに、山の方からドシンドシンという足音が聞こえてきました。穂の姫は、怖くてぶるぶる震えました。でも、ベールを守るためだと思って、逃げ出したい気持ちをぐっと我慢して、じーっと隠れていました。勇敢なお姫様だね。
ドシンドシンという足音がだんだん近づいてきました。なんだか、いままでに嗅いだことのないような、獣くさいにおいが、あたり一面に広がりました。怪物が、もうすぐそこまで来ているのです。
穂の姫さまは、あまりにもぶるぶる震えていたものだから、身体が震える音が怪物に聞こえてしまうのではないかと思って、身体を両手でぎゅっと押さえて我慢していました。
広場で、黒い大きな影が動き回っているのが見えました。カサカサ、カサカサという音が聞こえました。怪物が、村の人たちがせっかく作ったベールを盗もうとしているのです。
穂の姫さまは、「いまだ!」と思って走り出ると、全速力で走って、バン!バン!バン!と広場中の電気をつけて回りました。
大きなスポットライトが、いっせいに広場を照らしました。そこにいたのは・・・なんと、恐ろしい怪物ではなくて、ハート柄の毛糸のパンツをはいた、気の弱そうな鬼のお母さんでした。鬼のお母さんは、びっくりして逃げ出そうとしました。そのとき、
「待ちなさい!ベール泥棒!」
という、小さな穂の姫の凛とした声が、どこからか聞こえてきました。
鬼のお母さんは、びくっとすると、へっぴり腰になって、きょろきょろと声の主を探しました。穂の姫は、ベールが干してあった物干し台にするすると登ると、その上に仁王立ちになって、
「我こそは、タラターナ国 穂の姫なり。ただいま、王の兵 3千人を引き連れて、ベール泥棒を成敗するためにやってきた!」
と、言いました。
お母さん鬼は、「ひっ」と言って、どこに3千人の兵が隠れているのだろうと、大きな目玉をぎょろぎょろ回して、あたりを探しました。そうだね、本当は、そんなものいないのにね。でもね、穂の姫は、いかにもたくさんの兵を率いる指揮官のように、堂々と、
「いくぞ!銃を構えよ!」
と、号令をかけました。
「攻撃5秒前、4秒前、3秒前・・・」
穂の姫が秒読みを始めたらね、お母さん鬼は、腰を抜かしたようにぺたんと座り込んで、
「ウォーン、ウォーン、ごめんなさい、ごめんなさい」
って、泣きだしちゃったんだって。なんだか、かわいそうだよね。
穂の姫もね、なんだかかわいそうになって、
「打ち方、やめい!」
と、本当はいない兵隊に命令すると、物干し台から、お母さん鬼の肩にぴょんと飛び乗りました。そして、
「あなたは、悪い鬼ではなさそうだ。どうして、こんなことをしたのか、話してごらんなさい」
と言いました。
お母さん鬼は、どうして泥棒なんてしたんだろうねえ。あのね、それには、こんなわけがありました。
お母さん鬼は、鬼の国に住んでいます。
鬼の国は、秋の山のいちばんてっぺんと、冬の山のいちばんてっぺんの間にある、「秋冬の谷」の向こうにあります。鬼の国は、とても寒くてね、タラターナの国の人が行ったら凍りついちゃうくらい寒いんだけど、鬼は暑がりだから、みんなとっても薄着で暮らしています。
そうだね、だから、鬼さんは、人間の国に来るときは、みんな裸なんだね。
それでね、少し前に、お母さん鬼に、10人の赤ちゃんが生まれました。お母さん鬼から見ると、それはそれはかわいらしい子鬼たちだったんだって。だけどね、不思議なことに、この子鬼たち、鬼のくせにとっても寒がりで、毎晩毎晩、
「ママー、寒いよー、寒くて眠れないよー」
って、泣くんだって。でも、鬼たちはみんな暑がりだから、暖かい布団なんか持っていません。お母さん鬼が、どうしよう、どうしようって困っていたら、鬼の国の誰かが、「タラターナ国の秋の村で作っているベールは、軽くてとても暖かいらしい」って教えてくれたんだって。
それで、お母さん鬼は、本当はとっても気が弱い、やさしい鬼なんだけど、赤ちゃんのために勇気を出して、月のない夜になると、ベールを盗みに来てたんだって。
穂の姫様は、お母さん鬼がかわいそうになったので、
「お前の赤ちゃんを思う気持ちに免じて、今回だけは許してやろう。もう二度とこんなことをするんじゃないぞ」
って言ったんだって。
そしたらね、お母さん鬼は、いままでよりもっと大きな声で「ウォーン、ウォーン」って、大粒の涙を流して、泣き出したんだって。
どうしてだと思う?
あのね、赤ちゃんは、10人いるでしょう。でも、お母さん鬼が盗み出したベールは、いまのところ、6ヒロゲだけだったんだって。
ヒロゲっていうのは、タラターナ国の単位でね、一ヒロゲは、人間の国の単位でいうと、90センチ×100センチ。ちょうど鬼の赤ちゃんの毛布にぴったりな大きさなんだって。
赤ちゃんが10人いて、盗み出したベールが6ヒロゲということは・・・
「10ひく6だから、あと4ヒロゲ足りない!」
と、ひかりちゃんが元気よく言いました。もうすぐ、3年生なんですから、このくらいの引き算はなんでもありません。
ところが、日の王子と穂の姫が、大変感心したように、「ほほぉ」「さすが、算数大臣の家系だけある」と口々にほめてくれたので、ひかりちゃんは、とってもいい気分になりました。
それでね、穂の姫は、ここで何をしていたかっていうと、足りない4ヒロゲを、お母さん鬼と一緒に作っていたんだって。鬼は、昼間は寝ているので、その間に、穂の姫が材料を集めて糸を作ってね、夜になると、お母さん鬼が編むんだって。
そうだね。グオォ、グオォ、といううなり声は、お母さん鬼のいびきだったんだね。そう言われてあたりを見回してみると、すぐ近くで、小山が、グオォ、グオォといううなり声に合わせて、高くなったり低くなったりしているのに気づきました。小山は、鬼のお母さんのお腹でした。あたりは薄暗かったし、鬼のお母さんが、あまりにも大きかったので、最初は気づかなかったのでした。
え?あおいちゃん、ベールの作り方を知りたいの?そうだなあ、これは、本当はタラターナ国の秘密だから、誰にも教えちゃいけないんだけど、あおいちゃん、ナイショにできる?じゃあ、ここだけの話にしてね。
《ベールの作り方(タラターナ国外への持ち出し厳禁)》
○材料(一ヒロゲ分)
①赤とんぼの羽 3かご
ただし、無理にむしりとったものは不可。成長するときに生え変わって自然に落ちたものだけを、使うものとする。
②朝露で濡れた蜘蛛の巣 7まき
③山芋 3本
ただし、タラターナ国産のものに限る。人間の国のものは、ベールづくりには向いていない。
④人間の国の綿菓子のフワフワ ボウルに5杯
冷めてベタベタに固まったものを使うと、ベールが編みにくくなるので要注意。出来立てのものを、拝借してくるべし。
⑤秋の山の水源の水 バケツ10杯
⑥オリーブオイル 少々
○作り方
①下ごしらえ
・山芋は、すりおろして、裏ごししておくこと
・蜘蛛の糸は、くっつかないように、オリーブオイルとあえておくこと
②秋の山の水源の水を、大なべでぐらぐら煮立てる。煮立ったら、火を弱める。
③赤とんぼの羽を、固まらないように、少しずつお湯の中に入れて、完全に透明になるまで、弱火でコトコト煮こむ。焦げつかないように、そばについていて、ときどきかきまぜること。
④下ごしらえした山芋と蜘蛛の糸を少しずつ加えて、さらにコトコト煮こむ。だんだん泡立ってきて、泡が大なべからあふれそうになったら、さっと火をとめて、綿菓子のフワフワを入れて、よくかきまぜる。
⑤泡がきれいなピンク色になったら、火からおろして、大なべの中身をボウルに移して、冷たい水か氷でよく冷やす。
⑥よく冷えたら、糸つくり器にゆっくりと流し込む。糸つくり器から、薄ピンク色にキラキラ光る細い糸が出てきたら、ベール糸の出来上がり。
・・・ねえ、糸を作るだけでも、とっても大変でしょ。これを穂の姫がひとりでやってたんだって。本当は、お城に戻って、みんなに手助けを頼みたかったんだけど、「お城に戻ったら、王様の兵が自分を捕まえに来るから、絶対嫌だ」って、お母さん鬼がオンオン泣くものだから、そこから離れることができなかったんだって。
だけど、穂の姫は、とっても小さいから、なかなか材料も集められないし、糸もたくさんは作れないし、お母さん鬼は、とってもぶきっちょで、ふたりで一生懸命作っても、ベールがちっとも大きくならないので、お母さん鬼は悲しくなって、ベールを編みながら、「ウォーン、ウォーン、早く帰ってあげないと、赤ちゃんたちが心配だよ~」って、夜になるたびに、泣いてたんだって。
ぶきっちょっていうのはねえ、え~っと、手を使って細かいことをするのが、あんまり上手じゃないってこと。そうそう、折り紙で鶴を折ったり、ビーズを糸に通したりね、そういうのが苦手なんだって。
穂の姫がいなくなってから、毎晩聞こえてくるようになった恐ろしい声は、お母さん鬼の泣き声だったんだね。
それでね、穂の姫も、「早くお城に帰りたいよ~、誰か助けに来てよ~」って、ひとりでこっそり泣いていたんだって。その声が、ひかりちゃんに聞こえたんだね。
穂の姫の話を聞いたひかりちゃんと日の王子は、さっそくベールづくりを手伝うことにしました。どんなふうにして手伝ったかは、また明日お話しするね。
今日は、温泉に入って疲れたから、そろそろ寝ましょうね。
明日、起きたら、春が来てるといいねえ。おやすみなさい、あおいちゃん、なつきちゃん。
ねえ、あおいちゃん、知ってる?今日、お外に出てみたら、きれいな梅の花が咲いていたよ。
梅の花が咲いたっていうことは、もうすぐ春が来るっていうことだよ。あなたたちのママや、おばちゃんが生まれ育った熊本では、2月の終わりくらいに梅の花が咲いていたけど、このへんでは3月の終わりになってやっと咲くんだねえ。きっと、梅の花を咲かせるタラターナ人が、順番に咲かせていくんだね。幼稚園が始まる頃には、桜も咲き始めるかなあ。春になるのが、待ち遠しいね。
さあ、それじゃあ、今日も、お話しの続きをしましょうね。
穂の姫の話を聞いたひかりちゃんと日の王子は、さっそくベールづくりを手伝うことにしました。まずは、材料集めからです。
ベールづくりに使う赤とんぼの羽は、どこにあると思う?ひかりちゃんと日の王子が、秋の村に行くときに、赤とんぼがいっぱい飛んでる湖のところを通ったでしょう。あの湖の上には、いつも東から西に風が吹いていて、抜け落ちた赤とんぼの羽は、全部西の吹き溜まりのところに集まっているんだって。吹き溜まりっていうのはね、羽とか落ち葉とかが、風に吹かれて集まっている場所のことだよ。だから、そこに拾いに行かなければならないんだって。
それから、朝露で濡れた蜘蛛の巣、これはね、長老の家に行く階段の両側に森があったでしょ。あそこでとれるんだって。
それから、山芋。これはねえ、秋の村の人たちが畑で作っているものをもらってくるそうです。
人間の国の綿菓子は、人間の国から拝借してきます。でも、どこにでもあるわけじゃなくて、お祭りをやっているところでしか見つからないから、探すのが大変です。
そして、秋の山の水源の水。これは、ひかりちゃんと日の王子が、お弁当休憩をしたところの水だよね。
つまり、どれも、秋冬の谷からは、とってもとっても遠いところまで行かないと、手に入らないものばかりです。それなのに、穂の姫は、もう2ヒロゲ分の材料は集め終わって、きれいな糸に仕立て上げていました。穂の姫が作ったベール糸は、ほんの一瞬だけ谷に差し込む夕日を受けて、チカリ、チカリと薄ピンク色に光りました。この糸の光が、秋の山のてっぺんから見えていたんだね。
だけど、穂の姫は、どうやって、たった一人で、これだけの材料を集めることができたのでしょう?どうやって、こんな谷底で、糸つくり器を手に入れることができたのでしょう?
「それは、ひねくれモグラのおかげだなんてことは、まったくありませんのよ」
突然、穂の姫が、変なことを言い出しました。
「ひね・・・なんだって?」
王子様が、びっくりして聞きました。
「ひねくれモグラが、材料集めの邪魔ばかりするものだから、ちっとも仕事がはかどらなくて、困っていますの」
と、穂の姫が言いました。日の王子は、
「なに?穂の姫の邪魔をするなんて、けしからんやつだ。その、ひねくれモグラとやらは、どこにいるんだ?僕が、とっちめてやろう」
と、怒っていいました。
穂の姫は、くるりと秋の山に背を向けると、
「どこにいるかはわかりませんが、秋の山の斜面のしめった葉の下にいるなんてことだけは、絶対ありませんわ」
と、澄まして言いました。
そのとき、秋の山の斜面のしめった葉の下から、「くすくす」という小さな笑い声が聞こえました。日の王子と、ひかりちゃんは、思わず顔を見合わせました。
穂の姫は、続けて、
「ひねくれモグラは、とても恐ろしい牙と爪を持っていて、タラターナ人の前には、絶対姿をあらわしませんの」
と、言いました。
秋の山の斜面のしめった葉がカサコソと動いて、べったりと黒く濡れた毛皮を着た、小さな生き物が、おどおどと這い出してきました。
日の王子とひかりちゃんは、もっとよく見たかったけど、我慢して、全然違うところを見ているフリをしながら、横目で、ひねくらモグラを観察しました。
穂の姫が、
「ひねくれモグラは、姿は恐ろしいくせに、とても臆病なので、タラターナ人に近づくなんてことは、絶対にしませんのよ」
と言うと、ひねくれモグラは、小さな目でキョトキョトとあたりをうかがいながら、よたよたと日の王子に近づいてきて、王子のエメラルド色の足を、ぺろりと舐めました。
「ひゃ~~~、いま、何かが僕の足を舐めた!怪物だ!怪物に違いない!」
王子様が、おおげさに騒ぐと、ひねくれモグラは、急いで秋の山の斜面のしめった葉の下に逃げ戻って、また小さく「くすくす」と笑いました。
ひかりちゃんは、ひねくれモグラの性質がわかってきたので、わざと、
「穂の姫様、ひねくれモグラが、ベールの材料集めの役に立つなんてことは、絶対にありませんよね?」
と聞きました。
穂の姫も、それに合わせて、
「もちろんですわ。秋の山の水源に行く近道なんて、ひねくれモグラが知ってるわけがありませんわよ」
と答えました。
すると、ひねくれモグラが、また、カサコソと葉の下から這い出してきました。そして、フンフンとあたりを嗅ぎまわっていたかと思うと、急に毬のように駆け出しました。
「追いかけて!」
と、穂の姫が、小さな声で言いました。3人は、ひねくれモグラを追いかけて、走りました。
穂の姫は、走りながら、バケツを、ひかりちゃんと日の王子にそれぞれ2つずつ渡しました。もちろん、自分も2つ持っています。まったく、このお姫様は、いつの間にか、こんな谷底に、必要なものはすべて揃えてしまったようです。
ひねくれモグラは、秋の山の斜面をぐるりと駆け回ると、ほんの少し水がしみ出しているところを見つけて、急ブレーキをかけました。そして、その上の土をすごいスピードで掘り始めました。あっという間に、秋の山の斜面に小さなトンネルができました。
トンネルがきれいにできあがると、ひねくれモグラは気が済んだように、近くの葉っぱの下に、コソコソと隠れてしまいました。
ひねくれモグラが、すっかり姿を隠したのを見届けると、穂の姫は、
「ついてきて」
と言って、トンネルの中に入っていきました。
トンネルの中は、外より暖かく、湿った空気が流れていました。出口から見える光が、小さく小さく見えました。穂の姫は、トンネルを歩きながら、ひねくれモグラのことを、話してくれました。
秋冬の谷に住んでいるひねくれモグラはね、ミチアンナイと違って、見えないところをにおいで探し当てて、道を作ってくれるんだって。それともうひとつ、これが一番ミチアンナイと違うところなんだけど、「連れていって」って言うと絶対に連れていってくれないのだそうです。だから、ひねくれモグラに仕事をさせるのは、とても難しいのです。
だけど、穂の姫は、大変賢いので、秋冬の谷で出会ってすぐに、ひねくれモグラの性質を見破って、ベールの材料集めに協力させていたのです。もちろん、ひねくれモグラは、協力しているのではなく、邪魔をしているつもりだったんですけどね。
そんなことを話しているうちに、だんだん出口の光が大きくなってきました。そして、ぽんっと3人が飛び出したところは、なんと、あの水源のある祠でした。ひかりちゃんたちは、ここからゴロゴロ道を超えて、高い高い崖を登って、秋の山のてっぺんの木のところまで行って、それから深い深い秋冬の谷まで斜面を降りて、大変な苦労をして穂の姫のところにたどり着いたのに、トンネルを抜けると、あっという間に戻ることができてしまったのです。
「なんと、まあ、これは便利なものだ」
と、王子様が、つくづく感心したように言いました。
すると、穂の姫が、
「あっ、いけないっ!」
と叫んで、いま出てきたばかりのトンネルを振り返りました。
突然、トンネルの上から、大きな土のかたまりがバラバラと落ちてきて、出口をふさぎ始めました。このままでは、帰れなくなってしまいます。
穂の姫は、大きな声で、
「ああ、なんて役立たずのトンネルでしょう」
と、言いました。そして、日の王子とひかりちゃんにも、「早く!」と、小さな声で言いました。日の王子と、ひかりちゃんは、慌てて、
「まったく、行きたいところになんて、行けやしない」
「おまけに、すぐに出口がふさがってしまうし」
と、トンネルの悪口を一生懸命言いました。
やがて、ばらばらと落ちてきていた土のかたまりが、少しずつ少なくなっていきました。どうやら、ひねくれモグラが掘ったトンネルなので、トンネルまでもひねくれているようです。ほめたりしたら、何をしでかすかわかりません。
「お兄様、くれぐれも気をつけてくださいね」
と、穂の姫が言いました。日の王子が、
「ごめん、ごめん」
と、頭をかきました。
ひねくれトンネルがひねくれるのは、ほめられたときだけではありませんでした。一回掘ったトンネルは、そのままにしておけば何回でも使えて都合がいいのに、どういうわけか、毎日毎日、お日様の最後の一筋が消えるとき、すべてのトンネルがふさがってしまうのだそうです。ですから、毎日、朝になるたびに、ひねくれモグラを見つけ出して、またトンネルを掘らせなければならないのです。やれやれ、面倒なことですね。
ところで、いまは何時くらいだったかというと・・・そうです、そろそろ、タラターナの国に、ひかりちゃんが迷い込んでから2回目の夜が訪れようとしていました。お日様は、もうだいぶ姿を隠していました。3人は、慌ててそれぞれのバケツに水を汲んで、急ぎ足でトンネルを戻りました。3人が、秋冬の谷に戻って、やれやれとバケツを置いたとき、お日様の最後の一筋が消えて、あたりが夕焼けで赤く染まりました。
ふと振り返って見ると、いま出てきたばかりのトンネルは、いつの間にか土でふさがれて、山の斜面の他の部分と区別がつかなくなっていました。ひかりちゃんは、トンネルの中でぐずぐずしているうちに、お日様が沈んでしまったら、一体どうなっていたんだろうと、ドキドキしました。
でも、ひとりで何度もトンネルを往復したことがある穂の姫は、トンネルが消えてなくなったことなんて、まったく気にしないふうで、
「1,2,3,4,5,6」
と、水を汲んできたバケツの数を数えました。
「ベール糸を1ヒロゲ分作るのに、必要な水は、バケツに10杯。作らなければならないベール糸は、あと2ヒロゲ分。ということは、あと何杯バケツの水があればいいかというと・・・」
穂の姫と、日の王子が、う~んと眉をしかめて、考え込みました。
「2ヒロゲ分作るのに必要な水は、10たす10で、20杯。
いまここに、6杯分の水があるから、20ひく6で、あと14杯あればいい!」
ひかりちゃんがスラスラと答えると、日の王子と穂の姫が、大変感心したように、「やはり、テントウ虫姫は違うな」「テントウ虫姫がいてくれて助かった」と口々にほめてくれました。ひかりちゃんは、またまた、とってもいい気分になりました。
「あと14杯ですって!いまだって、あっという間に6杯持ってこれたのですから、14杯だって、きっとあっという間ですわ。
湖の西の吹き溜まりに行くトンネルも、長老の森に行くトンネルも、山芋の畑に行くトンネルも、人間の国のお祭りをやっているところにつながるトンネルだって、毎日、ひねくれモグラが作ってくれます。ですから、お兄様と私で集めれば、明日にでも材料が揃って、あと2ヒロゲ分のベール糸を作ることができるはずですわ」
と、穂の姫が、嬉しそうに言いました。
でも、日の王子と穂の姫が、材料集めをしたり、糸を作ったりするのなら、ひかりちゃんは、何をすればいいのでしょう。ひかりちゃんは、まだ小さいから、何の役にも立たないのでしょうか。そうだよね。ひかりちゃんだって、いま一生懸命バケツ2杯の水を汲んできたのにね。どうして、仲間に入れてくれないんだろうね。
もしかして、穂の姫を見つけたことで、「人間のこどもの仕事」は終わったのかもしれないな。だったら、ひねくれモグラにうまく頼んで、家に帰るトンネルを掘ってもらっちゃおうかな・・・ひかりちゃんが、そんなことを考えていたときです。
穂の姫が、くるりとひかりちゃんの方を向いて、
「テントウ虫姫には、とても大切な仕事を頼みたいのです」
と、言いました。
どんな仕事だと思う?あのね。日の王子と、穂の姫が作った糸を使って、ベールを編む仕事なんだって。
本当は、それはお母さん鬼の仕事なんだけど、お母さん鬼は、とってもぶきっちょなものだから、ちっとも進まなくて困ってるんだって。
だけど、あと4ヒロゲ、ベールを編まないと、お母さん鬼も赤ちゃんのところに帰れないし、日の王子や穂の姫もお城に帰れないでしょ。だから、ひかりちゃんにも手伝ってほしいんだって。でも、どうやって編めばいいんだろうね。
おや、お日様が沈んだら、あのグオォ、グオォといういびきが聞こえなくなったよ。どうやら、お母さん鬼が目を覚ましたようです。
お母さん鬼が起きる時間は、あおいちゃんとなつきちゃんが眠る時間だね。ああ、なつきちゃん、大あくびだね。日の王子と穂の姫とひかりちゃんも、暗くなったら急に眠くなってきたんだって。だから、続きは明日お話ししようね。はい、おやすみなさい。
梅の花が咲いたっていうことは、もうすぐ春が来るっていうことだよ。あなたたちのママや、おばちゃんが生まれ育った熊本では、2月の終わりくらいに梅の花が咲いていたけど、このへんでは3月の終わりになってやっと咲くんだねえ。きっと、梅の花を咲かせるタラターナ人が、順番に咲かせていくんだね。幼稚園が始まる頃には、桜も咲き始めるかなあ。春になるのが、待ち遠しいね。
さあ、それじゃあ、今日も、お話しの続きをしましょうね。
穂の姫の話を聞いたひかりちゃんと日の王子は、さっそくベールづくりを手伝うことにしました。まずは、材料集めからです。
ベールづくりに使う赤とんぼの羽は、どこにあると思う?ひかりちゃんと日の王子が、秋の村に行くときに、赤とんぼがいっぱい飛んでる湖のところを通ったでしょう。あの湖の上には、いつも東から西に風が吹いていて、抜け落ちた赤とんぼの羽は、全部西の吹き溜まりのところに集まっているんだって。吹き溜まりっていうのはね、羽とか落ち葉とかが、風に吹かれて集まっている場所のことだよ。だから、そこに拾いに行かなければならないんだって。
それから、朝露で濡れた蜘蛛の巣、これはね、長老の家に行く階段の両側に森があったでしょ。あそこでとれるんだって。
それから、山芋。これはねえ、秋の村の人たちが畑で作っているものをもらってくるそうです。
人間の国の綿菓子は、人間の国から拝借してきます。でも、どこにでもあるわけじゃなくて、お祭りをやっているところでしか見つからないから、探すのが大変です。
そして、秋の山の水源の水。これは、ひかりちゃんと日の王子が、お弁当休憩をしたところの水だよね。
つまり、どれも、秋冬の谷からは、とってもとっても遠いところまで行かないと、手に入らないものばかりです。それなのに、穂の姫は、もう2ヒロゲ分の材料は集め終わって、きれいな糸に仕立て上げていました。穂の姫が作ったベール糸は、ほんの一瞬だけ谷に差し込む夕日を受けて、チカリ、チカリと薄ピンク色に光りました。この糸の光が、秋の山のてっぺんから見えていたんだね。
だけど、穂の姫は、どうやって、たった一人で、これだけの材料を集めることができたのでしょう?どうやって、こんな谷底で、糸つくり器を手に入れることができたのでしょう?
「それは、ひねくれモグラのおかげだなんてことは、まったくありませんのよ」
突然、穂の姫が、変なことを言い出しました。
「ひね・・・なんだって?」
王子様が、びっくりして聞きました。
「ひねくれモグラが、材料集めの邪魔ばかりするものだから、ちっとも仕事がはかどらなくて、困っていますの」
と、穂の姫が言いました。日の王子は、
「なに?穂の姫の邪魔をするなんて、けしからんやつだ。その、ひねくれモグラとやらは、どこにいるんだ?僕が、とっちめてやろう」
と、怒っていいました。
穂の姫は、くるりと秋の山に背を向けると、
「どこにいるかはわかりませんが、秋の山の斜面のしめった葉の下にいるなんてことだけは、絶対ありませんわ」
と、澄まして言いました。
そのとき、秋の山の斜面のしめった葉の下から、「くすくす」という小さな笑い声が聞こえました。日の王子と、ひかりちゃんは、思わず顔を見合わせました。
穂の姫は、続けて、
「ひねくれモグラは、とても恐ろしい牙と爪を持っていて、タラターナ人の前には、絶対姿をあらわしませんの」
と、言いました。
秋の山の斜面のしめった葉がカサコソと動いて、べったりと黒く濡れた毛皮を着た、小さな生き物が、おどおどと這い出してきました。
日の王子とひかりちゃんは、もっとよく見たかったけど、我慢して、全然違うところを見ているフリをしながら、横目で、ひねくらモグラを観察しました。
穂の姫が、
「ひねくれモグラは、姿は恐ろしいくせに、とても臆病なので、タラターナ人に近づくなんてことは、絶対にしませんのよ」
と言うと、ひねくれモグラは、小さな目でキョトキョトとあたりをうかがいながら、よたよたと日の王子に近づいてきて、王子のエメラルド色の足を、ぺろりと舐めました。
「ひゃ~~~、いま、何かが僕の足を舐めた!怪物だ!怪物に違いない!」
王子様が、おおげさに騒ぐと、ひねくれモグラは、急いで秋の山の斜面のしめった葉の下に逃げ戻って、また小さく「くすくす」と笑いました。
ひかりちゃんは、ひねくれモグラの性質がわかってきたので、わざと、
「穂の姫様、ひねくれモグラが、ベールの材料集めの役に立つなんてことは、絶対にありませんよね?」
と聞きました。
穂の姫も、それに合わせて、
「もちろんですわ。秋の山の水源に行く近道なんて、ひねくれモグラが知ってるわけがありませんわよ」
と答えました。
すると、ひねくれモグラが、また、カサコソと葉の下から這い出してきました。そして、フンフンとあたりを嗅ぎまわっていたかと思うと、急に毬のように駆け出しました。
「追いかけて!」
と、穂の姫が、小さな声で言いました。3人は、ひねくれモグラを追いかけて、走りました。
穂の姫は、走りながら、バケツを、ひかりちゃんと日の王子にそれぞれ2つずつ渡しました。もちろん、自分も2つ持っています。まったく、このお姫様は、いつの間にか、こんな谷底に、必要なものはすべて揃えてしまったようです。
ひねくれモグラは、秋の山の斜面をぐるりと駆け回ると、ほんの少し水がしみ出しているところを見つけて、急ブレーキをかけました。そして、その上の土をすごいスピードで掘り始めました。あっという間に、秋の山の斜面に小さなトンネルができました。
トンネルがきれいにできあがると、ひねくれモグラは気が済んだように、近くの葉っぱの下に、コソコソと隠れてしまいました。
ひねくれモグラが、すっかり姿を隠したのを見届けると、穂の姫は、
「ついてきて」
と言って、トンネルの中に入っていきました。
トンネルの中は、外より暖かく、湿った空気が流れていました。出口から見える光が、小さく小さく見えました。穂の姫は、トンネルを歩きながら、ひねくれモグラのことを、話してくれました。
秋冬の谷に住んでいるひねくれモグラはね、ミチアンナイと違って、見えないところをにおいで探し当てて、道を作ってくれるんだって。それともうひとつ、これが一番ミチアンナイと違うところなんだけど、「連れていって」って言うと絶対に連れていってくれないのだそうです。だから、ひねくれモグラに仕事をさせるのは、とても難しいのです。
だけど、穂の姫は、大変賢いので、秋冬の谷で出会ってすぐに、ひねくれモグラの性質を見破って、ベールの材料集めに協力させていたのです。もちろん、ひねくれモグラは、協力しているのではなく、邪魔をしているつもりだったんですけどね。
そんなことを話しているうちに、だんだん出口の光が大きくなってきました。そして、ぽんっと3人が飛び出したところは、なんと、あの水源のある祠でした。ひかりちゃんたちは、ここからゴロゴロ道を超えて、高い高い崖を登って、秋の山のてっぺんの木のところまで行って、それから深い深い秋冬の谷まで斜面を降りて、大変な苦労をして穂の姫のところにたどり着いたのに、トンネルを抜けると、あっという間に戻ることができてしまったのです。
「なんと、まあ、これは便利なものだ」
と、王子様が、つくづく感心したように言いました。
すると、穂の姫が、
「あっ、いけないっ!」
と叫んで、いま出てきたばかりのトンネルを振り返りました。
突然、トンネルの上から、大きな土のかたまりがバラバラと落ちてきて、出口をふさぎ始めました。このままでは、帰れなくなってしまいます。
穂の姫は、大きな声で、
「ああ、なんて役立たずのトンネルでしょう」
と、言いました。そして、日の王子とひかりちゃんにも、「早く!」と、小さな声で言いました。日の王子と、ひかりちゃんは、慌てて、
「まったく、行きたいところになんて、行けやしない」
「おまけに、すぐに出口がふさがってしまうし」
と、トンネルの悪口を一生懸命言いました。
やがて、ばらばらと落ちてきていた土のかたまりが、少しずつ少なくなっていきました。どうやら、ひねくれモグラが掘ったトンネルなので、トンネルまでもひねくれているようです。ほめたりしたら、何をしでかすかわかりません。
「お兄様、くれぐれも気をつけてくださいね」
と、穂の姫が言いました。日の王子が、
「ごめん、ごめん」
と、頭をかきました。
ひねくれトンネルがひねくれるのは、ほめられたときだけではありませんでした。一回掘ったトンネルは、そのままにしておけば何回でも使えて都合がいいのに、どういうわけか、毎日毎日、お日様の最後の一筋が消えるとき、すべてのトンネルがふさがってしまうのだそうです。ですから、毎日、朝になるたびに、ひねくれモグラを見つけ出して、またトンネルを掘らせなければならないのです。やれやれ、面倒なことですね。
ところで、いまは何時くらいだったかというと・・・そうです、そろそろ、タラターナの国に、ひかりちゃんが迷い込んでから2回目の夜が訪れようとしていました。お日様は、もうだいぶ姿を隠していました。3人は、慌ててそれぞれのバケツに水を汲んで、急ぎ足でトンネルを戻りました。3人が、秋冬の谷に戻って、やれやれとバケツを置いたとき、お日様の最後の一筋が消えて、あたりが夕焼けで赤く染まりました。
ふと振り返って見ると、いま出てきたばかりのトンネルは、いつの間にか土でふさがれて、山の斜面の他の部分と区別がつかなくなっていました。ひかりちゃんは、トンネルの中でぐずぐずしているうちに、お日様が沈んでしまったら、一体どうなっていたんだろうと、ドキドキしました。
でも、ひとりで何度もトンネルを往復したことがある穂の姫は、トンネルが消えてなくなったことなんて、まったく気にしないふうで、
「1,2,3,4,5,6」
と、水を汲んできたバケツの数を数えました。
「ベール糸を1ヒロゲ分作るのに、必要な水は、バケツに10杯。作らなければならないベール糸は、あと2ヒロゲ分。ということは、あと何杯バケツの水があればいいかというと・・・」
穂の姫と、日の王子が、う~んと眉をしかめて、考え込みました。
「2ヒロゲ分作るのに必要な水は、10たす10で、20杯。
いまここに、6杯分の水があるから、20ひく6で、あと14杯あればいい!」
ひかりちゃんがスラスラと答えると、日の王子と穂の姫が、大変感心したように、「やはり、テントウ虫姫は違うな」「テントウ虫姫がいてくれて助かった」と口々にほめてくれました。ひかりちゃんは、またまた、とってもいい気分になりました。
「あと14杯ですって!いまだって、あっという間に6杯持ってこれたのですから、14杯だって、きっとあっという間ですわ。
湖の西の吹き溜まりに行くトンネルも、長老の森に行くトンネルも、山芋の畑に行くトンネルも、人間の国のお祭りをやっているところにつながるトンネルだって、毎日、ひねくれモグラが作ってくれます。ですから、お兄様と私で集めれば、明日にでも材料が揃って、あと2ヒロゲ分のベール糸を作ることができるはずですわ」
と、穂の姫が、嬉しそうに言いました。
でも、日の王子と穂の姫が、材料集めをしたり、糸を作ったりするのなら、ひかりちゃんは、何をすればいいのでしょう。ひかりちゃんは、まだ小さいから、何の役にも立たないのでしょうか。そうだよね。ひかりちゃんだって、いま一生懸命バケツ2杯の水を汲んできたのにね。どうして、仲間に入れてくれないんだろうね。
もしかして、穂の姫を見つけたことで、「人間のこどもの仕事」は終わったのかもしれないな。だったら、ひねくれモグラにうまく頼んで、家に帰るトンネルを掘ってもらっちゃおうかな・・・ひかりちゃんが、そんなことを考えていたときです。
穂の姫が、くるりとひかりちゃんの方を向いて、
「テントウ虫姫には、とても大切な仕事を頼みたいのです」
と、言いました。
どんな仕事だと思う?あのね。日の王子と、穂の姫が作った糸を使って、ベールを編む仕事なんだって。
本当は、それはお母さん鬼の仕事なんだけど、お母さん鬼は、とってもぶきっちょなものだから、ちっとも進まなくて困ってるんだって。
だけど、あと4ヒロゲ、ベールを編まないと、お母さん鬼も赤ちゃんのところに帰れないし、日の王子や穂の姫もお城に帰れないでしょ。だから、ひかりちゃんにも手伝ってほしいんだって。でも、どうやって編めばいいんだろうね。
おや、お日様が沈んだら、あのグオォ、グオォといういびきが聞こえなくなったよ。どうやら、お母さん鬼が目を覚ましたようです。
お母さん鬼が起きる時間は、あおいちゃんとなつきちゃんが眠る時間だね。ああ、なつきちゃん、大あくびだね。日の王子と穂の姫とひかりちゃんも、暗くなったら急に眠くなってきたんだって。だから、続きは明日お話ししようね。はい、おやすみなさい。
あおいちゃん、今日は、大きいお兄さんやお姉さんたちが来てくれて、いっぱい遊んでくれたね。楽しかった?そう、それはよかったね。
お菓子もいっぱいもらってたね。何をもらったの?ポッキーと、えびせんと、じゃがりこと、ハッピーターン?それは、すごいね。大事に食べようね。
え?なつきちゃんも、同じだけもらったの?なつきちゃんは、見ると我慢できなくなって全部食べちゃうから、あとでおばちゃんがこっそり隠しとくね。なつきちゃんが食べ過ぎてお腹壊しちゃったら、大変だもんね。
歯磨きは終わりましたか?じゃあ、おばちゃんが仕上げ磨きをしましょうね。
はい、ふたりとも、ぴかぴかのきれいな歯になりました。それでは、今日もおやすみの前のお話しの、はじまりはじまり。
普段から日の射さない秋冬の谷は、日が暮れると、真っ暗になって、ますます温度が下がっていきました。ひかりちゃんたちは、手分けをして薪を集めると、火をおこしました。
今夜のメニューは、いろんな野菜やお肉、それにご飯を全部まぜまぜにしたチャーハンでした。ごはんの材料も、昼のうちに、穂の姫が集めてきたのです。
晩ごはんを作ってくれたのは、鬼のお母さんです。といっても、なにせぶきっちょな鬼のお母さんが、小さな小さなタラターナ人のごはんを作るのですから、なかなかうまくはいきません。
鬼のお母さんが作ったチャーハンは、焦げているところと、あんまり火が通ってないところがありました。ジャバラのようにつながっているキャベツや、丸ごとの半分の大きさの玉ねぎが入っていました。すごくしょっぱいところと、全然味がないところがありました。それでも、みんなで焚火を囲んで食べるチャーハンは、とても美味しいものでした。鬼のお母さんは、日の王子と穂の姫とひかりちゃんが食べているところを、嬉しそうに眺めていました。
え?鬼のお母さんは、食べないのかって?あのねえ、鬼のお母さんはね、みんなが寝ているうちに、そっと出かけていっては、秋冬の谷の獣たちを食べているんだけど、小さい人たちが怖がらないように、その姿は決してタラターナ人には見せなかったんだって。
夕食が終わると、4人は、シリトリをして遊びました。
「シリトリ」
「リス」
「スイカ」
「カバン」
鬼のお母さんが、あっという間に「ん」のつく言葉を言ってしまいました。
「それじゃあ、カからもう一回ね。カリントウ」
「ウチ」
「チリトリ」
「リボン」
「あ~あ」
また、鬼のお母さんが、「ん」のつく言葉を言ってしまいました。
「鬼のお母さん、今度は気をつけてね。じゃあ、リからもう一回ね。リカシツ」
「ツメ」
「メダカ」
「カダン」
「あ~っ!」
何回やっても、鬼のお母さんが、失敗してしまうので、4人は、お腹が痛くなるくらい、大笑いしました。真っ暗で恐ろしいはずの秋冬の谷に、楽しげな笑い声がこだましました。ひねくれモグラなどの秋冬の谷の生き物たちが、ナニゴトかと、光る目をキョトキョトさせて、巣穴から様子をうかがっていましたが、もちろん4人は、そのことを知りませんでした。
ひとしきりシリトリ遊びが終わると、穂の姫が、編み物講座を開いてくれました。タラターナ国のベールの編み方は、とっても特殊です。それはそうだよね。人間の国の空に浮かべるベールを作るんだものね。
タラターナ国の編み物は、長い編み棒を2本と、短い編み棒2本の、合計4本を使って作ります。その4本をどういうふうに使うかというと、まず、長い方の編み棒を、右足と左足の親指と人さし指の間に、それぞれはさみます。次に、短い方の編み棒を、右手と左手の親指と人さし指の間に、それぞれはさみます。そして、両手両足を交差させるようにして、編んでいくのです。すると、不思議なことに、きめこまやかな、蝶の羽の模様のような編み目が出来ていくのです。
上手に編むコツは、
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
と、リズムをとりながら、歌うように編み上げていくことです。難しく考えると、わけがわからなくなって、こんがらがってしまうからです。
あおいちゃんも一緒にやってみる?せーの、
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
もっと、楽しそうに、
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
もっと踊るように、
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
そうそう、だんだん上手になってきたねえ。ひかりちゃんもコツがつかめてくると、面白いように編めるようになっていったんだって。
ところが、鬼のお母さんと来たら、リズムに乗るってことができなくて、
「え~っと、右手の次は左足、左足の次は左手で、左手の次は右手・・・じゃなくて右足で」
とやっているうちに、いつの間にか糸が自分にぐるぐる巻きになってしまって、とうとうひっくり返る始末でした。
これでは、鬼のお母さんの分まで、ひかりちゃんががんばるしかなさそうです。ところが、どんなに上手になっても、ひかりちゃんの小さな手足では、1時間一生懸命編んだところで、1センチ四方くらいの大きさにするのが精いっぱいです。
1センチ四方っていうのはねえ、切手の半分か、それよりもっと小さいくらいかなあ。
ひかりちゃんはね、
「ああ、私が鬼のお母さんくらいに大きかったらなあ」
って思いました。そうすれば、1日で一ヒロゲくらいは編むことができるような気がしました。もしかしたら、がんばれば、二ヒロゲくらい編めるかもしれません。そしたら、あと2日か3日で、みんなお家に帰ることができるでしょう。
「ああ、本当に、私が鬼のお母さんくらいに大きかったらなあ」
もう一度、そう思ったとき、ひかりちゃんは、はっとお母さんの言葉を思い出しました。
あおいちゃん、ずっと前に、タラターナ人は、とってもとっても小さくて、大人でも、あおいちゃんやなつきちゃんのお母さん指くらいの大きさしかないんだよっていうお話しをしたの、覚えてるかな?ひかりちゃんはね、それを、思い出したんだって。
でも、日の王子や穂の姫と、ひかりちゃんは、同じくらいの大きさだったよね。ということは、ひかりちゃんは、いつの間にかタラターナ人と同じくらい小さくなっていたということです。
「だとしたら、もし私が、人間の子に戻れれば、鬼のお母さんと同じか、せめてその半分くらいの大きさになれるんじゃないかな?」
と、ひかりちゃんは思いました。そのくらいに大きくなれれば、うんと早く4ヒロゲのベールを編んであげられるのに。
だけど、ひかりちゃんは、自分がどうすれば、人間の子の大きさに戻れるのか、わかりませんでした。
それにね、ひかりちゃんは、お母さんのこんな言葉も思い出したのです。
「タラターナの国ではね、人間はとっても怖がられているの。だから、人間だってわかると、誰もお話してくれないし、みんな逃げてしまうんだよ。だから、タラターナの国に行くときは、虫になりきらなきゃいけないんだよ」
そうです。ひかりちゃんは、いつの間にかテントウ虫姫になりきっていたから、タラターナ人と同じ大きさになっていたに違いありません。
でも、人間の子に戻るということは、せっかく仲良くなった日の王子や、穂の姫に怖がられてしまうということです。日の王子や穂の姫と話ができなくなったり、日の王子や、穂の姫がひかりちゃんを見て逃げ出してしまうことを想像すると、ひかりちゃんは、とても悲しい気持ちになりました。
でも・・・だけど・・・。
鬼のお母さんは、自分で編んだ糸でぐるぐる巻きになって、ひっくり返ったまま、「ウォーン、ウォーン、早く帰ってあげないと、赤ちゃんたちが心配だよ~」って泣いてるし、穂の姫は一日中働いて疲れ切っているのでしょう、日の王子にもたれるようにして、いつの間にか眠ってしまっていました。そして、泥で汚れた頬には、涙のあとがありました。
そうだね、あおいちゃんやなつきちゃんと一緒で、寝るときになったら、ママを思い出して寂しくなっちゃったのかもしれないね。
日の王子は、難しい顔をして、ひかりちゃんが編んでいる1センチ四方のベールを眺めていました。
ひかりちゃんは、思いました。
「王子様も、どうぞ寝てください。そうしたら、日の王子と穂の姫が寝ている間に、人間の子に戻って、大きなベールを編んでみせます」
だけどね、王子様は、とても責任感が強かったので、疲れているにもかかわらず、自分も編み棒を手に取ると、見よう見まねでベールを編み始めました。
王子様もなかなか上手に編んでいましたけれど、それでもやっぱり小さい小さいベールを編むのが精いっぱいでした。それはそうですよね。本当は、秋の村の人たちが総出で編むベールを、たった3人(と、鬼1人)だけで編もうというのですから、これはどうしたって、無理があるのです。
ひかりちゃんは、日の王子を、じっと見つめると、決心を固めました。たとえ、口をきいてくれなくなっても、逃げ出されてしまっても、やっぱりひかりちゃんが人間の子どもに戻ることが、いちばんみんなの役に立てると思ったからです。
ひかりちゃんは、右のポケットを探ると、あの呪文の紙を取り出しました。
あおいちゃん、なんて書いてあったか覚えてる?一緒に言ってみようか。
『カエルピョコピョコ、ミピョコピョコ。
あわせてピョコピョコ、ムピョコピョコ』
最初は、穂の姫を起こさないように、小さな声で言いました。でも、何の変化も起こらなかったので、今度は思いきって、大きな声で言いました。
『カエルピョコピョコ、ミピョコピョコ。
あわせてピョコピョコ、ムピョコピョコ』
王子様と、鬼のお母さんが、ナニゴトかという顔で、ひかりちゃんを見ました。だけどね、せっかく勇気をふりしぼって、大きな声で呪文を唱えたのに、ひかりちゃんは、小さいままでした。
次に、ひかりちゃんは、どうしたと思う?
あのね、まずは、テントウ虫のレインコートを脱ぎました。そして、すーーーーっと深く息を吸い込むと、ぎゅっと目をつぶって、
「私の名前は、エジマヒカリです。若葉第一小学校 2年2組です。もうすぐ、3年生になります。に・・・人間の子どもです!人間の子どもです!」
って、大きな大きな声で、空に向かって叫んだんだって。
王子様が、びっくりして立ち上がりました。穂の姫も、ひかりちゃんの声に驚いて、目を覚ましました。鬼のお母さんは、ひっくり返ったまま、目をぱちくりさせました。秋冬の谷の生き物たちが、おびえて「キーッ」「キーッ」と暗闇の中で騒ぎ立てました。空の海で、大イルカが高くジャンプしました。
そのときです。ひかりちゃんの身体が、ムクッムクッムクッと大きくなり始めました。焚火の高さを超えて、ひっくり返っている鬼のお母さんのお腹の高さを超えて、真っ黒にそびえ立つ秋冬の谷の杉の木を超えて。
そして、秋の山のてっぺんに、背伸びすれば手が届きそうな大きさになったとき、ようやく大きくなるのがとまりました。
ひかりちゃんは、まず最初に、鬼のお母さんに巻きついていた糸を、歯で切ってあげました。鬼のお母さんが、よっこらしょと立ち上がってみると、ひかりちゃんは、鬼のお母さんの腰くらいの背丈だということがわかりました。
ひかりちゃんは、日の王子と、穂の姫の方を見ないようにして、鬼のお母さんに
「編み棒を、貸してください」
と、お願いしました。
鬼のお母さんは、悲しいような、申し訳ないような、なんとも言えない顔をして、おでこがひざにくっつきそうなくらいに、ひかりちゃんに向かって、何度も何度もおじぎをしました。そして、編み棒を4本、ひかりちゃんにそっと渡してくれました。
ひかりちゃんは、
「ありがとう」
と言って受け取ると、猛烈な勢いで、ベールを編み始めました。
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
最初は騒いでいた秋冬の谷の生き物たちも、これ以上何も起こらないことがわかると、静かに巣穴に戻っていきました。
ひかりちゃんが人間の子だということを知ってしまった日の王子と穂の姫は、なにやら小声で話し合っていました。何を話しているのかなあ。
どうやって人間の子どもから逃げ出そうかと、相談しているのでしょうか。それとも、どうやって人間の子どもをやっつけようかと、相談しているのでしょうか。どちらにしても、ベールを編むのに一生懸命なひかりちゃんの耳には、届きませんでした。
日の王子と穂の姫は、ひとしきり話し終えると、そのうちに眠ってしまったようでした。
鬼のお母さんは、ひかりちゃんが寒くないように、夜の谷を歩き回っては、薪を集めてきて、火をたやさないようにしてくれました。
それから、何時間くらい経ったのでしょうか。夜空を泳ぐ夜行性の魚たちが眠りにつくころ、ひかりちゃんは、とうとう一ヒロゲのベールを編み上げました。そして、地面に倒れ込むようにして眠ってしまいました。
あら、どうしたの?あおいちゃん。どうして、泣いてるの?そう、ひかりちゃんがかわいそうで、泣いてるの。やさしい子だねえ。ひかりちゃんが、人間の子になっちゃったから、日の王子や穂の姫に、嫌われちゃうと思ったんだよね。
でも、おばちゃんは、きっと大丈夫だと思うなあ。きっと、日の王子と穂の姫も、ひかりちゃんに、「ありがとう」って言ってくれるんじゃないかな?
じゃあ、ひかりちゃんが、日の王子や穂の姫と仲良しでいられますようにって、お願いして寝ようか。
「カミサマ、ひかりちゃんが、日の王子や穂の姫と仲良しでいられますように、よろしくお願いいたします」
それじゃあ、今日のお話しは、ここまでね。おやすみなさい、あおいちゃん。おやすみなさい、なつきちゃん。
お菓子もいっぱいもらってたね。何をもらったの?ポッキーと、えびせんと、じゃがりこと、ハッピーターン?それは、すごいね。大事に食べようね。
え?なつきちゃんも、同じだけもらったの?なつきちゃんは、見ると我慢できなくなって全部食べちゃうから、あとでおばちゃんがこっそり隠しとくね。なつきちゃんが食べ過ぎてお腹壊しちゃったら、大変だもんね。
歯磨きは終わりましたか?じゃあ、おばちゃんが仕上げ磨きをしましょうね。
はい、ふたりとも、ぴかぴかのきれいな歯になりました。それでは、今日もおやすみの前のお話しの、はじまりはじまり。
普段から日の射さない秋冬の谷は、日が暮れると、真っ暗になって、ますます温度が下がっていきました。ひかりちゃんたちは、手分けをして薪を集めると、火をおこしました。
今夜のメニューは、いろんな野菜やお肉、それにご飯を全部まぜまぜにしたチャーハンでした。ごはんの材料も、昼のうちに、穂の姫が集めてきたのです。
晩ごはんを作ってくれたのは、鬼のお母さんです。といっても、なにせぶきっちょな鬼のお母さんが、小さな小さなタラターナ人のごはんを作るのですから、なかなかうまくはいきません。
鬼のお母さんが作ったチャーハンは、焦げているところと、あんまり火が通ってないところがありました。ジャバラのようにつながっているキャベツや、丸ごとの半分の大きさの玉ねぎが入っていました。すごくしょっぱいところと、全然味がないところがありました。それでも、みんなで焚火を囲んで食べるチャーハンは、とても美味しいものでした。鬼のお母さんは、日の王子と穂の姫とひかりちゃんが食べているところを、嬉しそうに眺めていました。
え?鬼のお母さんは、食べないのかって?あのねえ、鬼のお母さんはね、みんなが寝ているうちに、そっと出かけていっては、秋冬の谷の獣たちを食べているんだけど、小さい人たちが怖がらないように、その姿は決してタラターナ人には見せなかったんだって。
夕食が終わると、4人は、シリトリをして遊びました。
「シリトリ」
「リス」
「スイカ」
「カバン」
鬼のお母さんが、あっという間に「ん」のつく言葉を言ってしまいました。
「それじゃあ、カからもう一回ね。カリントウ」
「ウチ」
「チリトリ」
「リボン」
「あ~あ」
また、鬼のお母さんが、「ん」のつく言葉を言ってしまいました。
「鬼のお母さん、今度は気をつけてね。じゃあ、リからもう一回ね。リカシツ」
「ツメ」
「メダカ」
「カダン」
「あ~っ!」
何回やっても、鬼のお母さんが、失敗してしまうので、4人は、お腹が痛くなるくらい、大笑いしました。真っ暗で恐ろしいはずの秋冬の谷に、楽しげな笑い声がこだましました。ひねくれモグラなどの秋冬の谷の生き物たちが、ナニゴトかと、光る目をキョトキョトさせて、巣穴から様子をうかがっていましたが、もちろん4人は、そのことを知りませんでした。
ひとしきりシリトリ遊びが終わると、穂の姫が、編み物講座を開いてくれました。タラターナ国のベールの編み方は、とっても特殊です。それはそうだよね。人間の国の空に浮かべるベールを作るんだものね。
タラターナ国の編み物は、長い編み棒を2本と、短い編み棒2本の、合計4本を使って作ります。その4本をどういうふうに使うかというと、まず、長い方の編み棒を、右足と左足の親指と人さし指の間に、それぞれはさみます。次に、短い方の編み棒を、右手と左手の親指と人さし指の間に、それぞれはさみます。そして、両手両足を交差させるようにして、編んでいくのです。すると、不思議なことに、きめこまやかな、蝶の羽の模様のような編み目が出来ていくのです。
上手に編むコツは、
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
と、リズムをとりながら、歌うように編み上げていくことです。難しく考えると、わけがわからなくなって、こんがらがってしまうからです。
あおいちゃんも一緒にやってみる?せーの、
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
もっと、楽しそうに、
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
もっと踊るように、
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
そうそう、だんだん上手になってきたねえ。ひかりちゃんもコツがつかめてくると、面白いように編めるようになっていったんだって。
ところが、鬼のお母さんと来たら、リズムに乗るってことができなくて、
「え~っと、右手の次は左足、左足の次は左手で、左手の次は右手・・・じゃなくて右足で」
とやっているうちに、いつの間にか糸が自分にぐるぐる巻きになってしまって、とうとうひっくり返る始末でした。
これでは、鬼のお母さんの分まで、ひかりちゃんががんばるしかなさそうです。ところが、どんなに上手になっても、ひかりちゃんの小さな手足では、1時間一生懸命編んだところで、1センチ四方くらいの大きさにするのが精いっぱいです。
1センチ四方っていうのはねえ、切手の半分か、それよりもっと小さいくらいかなあ。
ひかりちゃんはね、
「ああ、私が鬼のお母さんくらいに大きかったらなあ」
って思いました。そうすれば、1日で一ヒロゲくらいは編むことができるような気がしました。もしかしたら、がんばれば、二ヒロゲくらい編めるかもしれません。そしたら、あと2日か3日で、みんなお家に帰ることができるでしょう。
「ああ、本当に、私が鬼のお母さんくらいに大きかったらなあ」
もう一度、そう思ったとき、ひかりちゃんは、はっとお母さんの言葉を思い出しました。
あおいちゃん、ずっと前に、タラターナ人は、とってもとっても小さくて、大人でも、あおいちゃんやなつきちゃんのお母さん指くらいの大きさしかないんだよっていうお話しをしたの、覚えてるかな?ひかりちゃんはね、それを、思い出したんだって。
でも、日の王子や穂の姫と、ひかりちゃんは、同じくらいの大きさだったよね。ということは、ひかりちゃんは、いつの間にかタラターナ人と同じくらい小さくなっていたということです。
「だとしたら、もし私が、人間の子に戻れれば、鬼のお母さんと同じか、せめてその半分くらいの大きさになれるんじゃないかな?」
と、ひかりちゃんは思いました。そのくらいに大きくなれれば、うんと早く4ヒロゲのベールを編んであげられるのに。
だけど、ひかりちゃんは、自分がどうすれば、人間の子の大きさに戻れるのか、わかりませんでした。
それにね、ひかりちゃんは、お母さんのこんな言葉も思い出したのです。
「タラターナの国ではね、人間はとっても怖がられているの。だから、人間だってわかると、誰もお話してくれないし、みんな逃げてしまうんだよ。だから、タラターナの国に行くときは、虫になりきらなきゃいけないんだよ」
そうです。ひかりちゃんは、いつの間にかテントウ虫姫になりきっていたから、タラターナ人と同じ大きさになっていたに違いありません。
でも、人間の子に戻るということは、せっかく仲良くなった日の王子や、穂の姫に怖がられてしまうということです。日の王子や穂の姫と話ができなくなったり、日の王子や、穂の姫がひかりちゃんを見て逃げ出してしまうことを想像すると、ひかりちゃんは、とても悲しい気持ちになりました。
でも・・・だけど・・・。
鬼のお母さんは、自分で編んだ糸でぐるぐる巻きになって、ひっくり返ったまま、「ウォーン、ウォーン、早く帰ってあげないと、赤ちゃんたちが心配だよ~」って泣いてるし、穂の姫は一日中働いて疲れ切っているのでしょう、日の王子にもたれるようにして、いつの間にか眠ってしまっていました。そして、泥で汚れた頬には、涙のあとがありました。
そうだね、あおいちゃんやなつきちゃんと一緒で、寝るときになったら、ママを思い出して寂しくなっちゃったのかもしれないね。
日の王子は、難しい顔をして、ひかりちゃんが編んでいる1センチ四方のベールを眺めていました。
ひかりちゃんは、思いました。
「王子様も、どうぞ寝てください。そうしたら、日の王子と穂の姫が寝ている間に、人間の子に戻って、大きなベールを編んでみせます」
だけどね、王子様は、とても責任感が強かったので、疲れているにもかかわらず、自分も編み棒を手に取ると、見よう見まねでベールを編み始めました。
王子様もなかなか上手に編んでいましたけれど、それでもやっぱり小さい小さいベールを編むのが精いっぱいでした。それはそうですよね。本当は、秋の村の人たちが総出で編むベールを、たった3人(と、鬼1人)だけで編もうというのですから、これはどうしたって、無理があるのです。
ひかりちゃんは、日の王子を、じっと見つめると、決心を固めました。たとえ、口をきいてくれなくなっても、逃げ出されてしまっても、やっぱりひかりちゃんが人間の子どもに戻ることが、いちばんみんなの役に立てると思ったからです。
ひかりちゃんは、右のポケットを探ると、あの呪文の紙を取り出しました。
あおいちゃん、なんて書いてあったか覚えてる?一緒に言ってみようか。
『カエルピョコピョコ、ミピョコピョコ。
あわせてピョコピョコ、ムピョコピョコ』
最初は、穂の姫を起こさないように、小さな声で言いました。でも、何の変化も起こらなかったので、今度は思いきって、大きな声で言いました。
『カエルピョコピョコ、ミピョコピョコ。
あわせてピョコピョコ、ムピョコピョコ』
王子様と、鬼のお母さんが、ナニゴトかという顔で、ひかりちゃんを見ました。だけどね、せっかく勇気をふりしぼって、大きな声で呪文を唱えたのに、ひかりちゃんは、小さいままでした。
次に、ひかりちゃんは、どうしたと思う?
あのね、まずは、テントウ虫のレインコートを脱ぎました。そして、すーーーーっと深く息を吸い込むと、ぎゅっと目をつぶって、
「私の名前は、エジマヒカリです。若葉第一小学校 2年2組です。もうすぐ、3年生になります。に・・・人間の子どもです!人間の子どもです!」
って、大きな大きな声で、空に向かって叫んだんだって。
王子様が、びっくりして立ち上がりました。穂の姫も、ひかりちゃんの声に驚いて、目を覚ましました。鬼のお母さんは、ひっくり返ったまま、目をぱちくりさせました。秋冬の谷の生き物たちが、おびえて「キーッ」「キーッ」と暗闇の中で騒ぎ立てました。空の海で、大イルカが高くジャンプしました。
そのときです。ひかりちゃんの身体が、ムクッムクッムクッと大きくなり始めました。焚火の高さを超えて、ひっくり返っている鬼のお母さんのお腹の高さを超えて、真っ黒にそびえ立つ秋冬の谷の杉の木を超えて。
そして、秋の山のてっぺんに、背伸びすれば手が届きそうな大きさになったとき、ようやく大きくなるのがとまりました。
ひかりちゃんは、まず最初に、鬼のお母さんに巻きついていた糸を、歯で切ってあげました。鬼のお母さんが、よっこらしょと立ち上がってみると、ひかりちゃんは、鬼のお母さんの腰くらいの背丈だということがわかりました。
ひかりちゃんは、日の王子と、穂の姫の方を見ないようにして、鬼のお母さんに
「編み棒を、貸してください」
と、お願いしました。
鬼のお母さんは、悲しいような、申し訳ないような、なんとも言えない顔をして、おでこがひざにくっつきそうなくらいに、ひかりちゃんに向かって、何度も何度もおじぎをしました。そして、編み棒を4本、ひかりちゃんにそっと渡してくれました。
ひかりちゃんは、
「ありがとう」
と言って受け取ると、猛烈な勢いで、ベールを編み始めました。
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
最初は騒いでいた秋冬の谷の生き物たちも、これ以上何も起こらないことがわかると、静かに巣穴に戻っていきました。
ひかりちゃんが人間の子だということを知ってしまった日の王子と穂の姫は、なにやら小声で話し合っていました。何を話しているのかなあ。
どうやって人間の子どもから逃げ出そうかと、相談しているのでしょうか。それとも、どうやって人間の子どもをやっつけようかと、相談しているのでしょうか。どちらにしても、ベールを編むのに一生懸命なひかりちゃんの耳には、届きませんでした。
日の王子と穂の姫は、ひとしきり話し終えると、そのうちに眠ってしまったようでした。
鬼のお母さんは、ひかりちゃんが寒くないように、夜の谷を歩き回っては、薪を集めてきて、火をたやさないようにしてくれました。
それから、何時間くらい経ったのでしょうか。夜空を泳ぐ夜行性の魚たちが眠りにつくころ、ひかりちゃんは、とうとう一ヒロゲのベールを編み上げました。そして、地面に倒れ込むようにして眠ってしまいました。
あら、どうしたの?あおいちゃん。どうして、泣いてるの?そう、ひかりちゃんがかわいそうで、泣いてるの。やさしい子だねえ。ひかりちゃんが、人間の子になっちゃったから、日の王子や穂の姫に、嫌われちゃうと思ったんだよね。
でも、おばちゃんは、きっと大丈夫だと思うなあ。きっと、日の王子と穂の姫も、ひかりちゃんに、「ありがとう」って言ってくれるんじゃないかな?
じゃあ、ひかりちゃんが、日の王子や穂の姫と仲良しでいられますようにって、お願いして寝ようか。
「カミサマ、ひかりちゃんが、日の王子や穂の姫と仲良しでいられますように、よろしくお願いいたします」
それじゃあ、今日のお話しは、ここまでね。おやすみなさい、あおいちゃん。おやすみなさい、なつきちゃん。
ねえねえ、あおいちゃん、これなんだかわかる?つくしだよ。向こうの土手のところにね、つくしの子が、にょきにょきにょきって生えていたんだよ。つくしの子たちも、「もうすぐ春ですよ~」って教えてくれているんだね。暖かくなるまで、もう少しの辛抱だね。
あおいちゃん、つくしは、食べられるって知ってた?天ぷらにしたり、炒めて卵とじにしたりすると、結構美味しいんだよ。食べてみたい?じゃあ、いっぱい採ってこなきゃいけないね。明日、おばちゃんと採りに行こうね。それでは、今日のお話しの、はじまりはじまり。
次の日、ひかりちゃんが目を覚ましたのは、昼近い時間でした。深い谷底にも、お日様の光が細く差し込んできて、ひかりちゃんのまぶたをチクチクと射しました。ひかりちゃんは、最初、自分の部屋に寝ていると思っていました。
ところが、目をあけると、ひかりちゃんの家の、寝る部屋の天井のかわりに、空の海と、秋冬の谷の黒々とした森と、遠くからひかりちゃんの様子をうかがっている、小さな小さなエメラルド色のカエルと、レモン色のカエルが、見えました。
ひかりちゃんは、最初は寝ぼけていて、ここがどこなのかわからなかったけれど、やがて、いままでのことを全部思い出しました。そういえば、ひかりちゃんはタラターナ国にいて、秋冬の谷に来て、人間の子どもの大きさに戻って、一晩のうちに、がんばって一ヒロゲのベールを編み上げたのでした。
ひかりちゃんは、そこまで思い出すと、日の王子と穂の姫を驚かさないように、ゆっくりと身体を起しました。ひかりちゃんのすぐ隣では、鬼のお母さんが大の字になって、大きないびきを立てて眠っていました。鬼のお母さんの獣くさいにおいに、ひかりちゃんは、思わず、ちょっとだけ、眉をひそめました。
日の王子と穂の姫が、そろりそろりと近づいてきました。日の王子の小さな小さな声が、聞こえました。
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫、お目覚めになりましたか?僕の声が聞こえますか?」
ひかりちゃんは、昨日まで一緒に遊んだり、ケンカをしたり、冒険をしたりしていた日の王子が、まるで知らない人に話すような、かしこまった言い方をするので、少し悲しい気持ちになりました。
ひかりちゃんは、だまって、ゆっくりとうなずきました。すると、日の王子と穂の姫の顔が、ぱっと嬉しそうに輝きました。そしてね、ふたりは、腰から小さな短剣をはずすと、それを足元に置いて、右足を前に、左足を後ろに、右手を右足のひざに、左足を腰の後ろに当てて、深々とお辞儀をしたそうです。これはね、タラターナ国の人が、他の国の王族の人にだけする、いちばん礼儀正しいお辞儀のしかたなんだよ。
日の王子はね、深いお辞儀をしたまま、こんなことを言いました。
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫が人間の子どもでいらっしゃるとは露知らず、これまでの数々の失礼、どうぞお許しください」
ひかりちゃんは、ゆっくり首を横に振りました。人間の子どもだということを隠していたのは、ひかりちゃんの方だからです。ひかりちゃんは、王子様を驚かさないように、できるだけ小さな声で、
「ウソをついていたのは、私のほうです。こちらこそごめんなさい。ふたりとも、どうぞ、お立ちください」
と、言いました。それで、日の王子と穂の姫は、立ち上がって、改めて、まじまじと、ひかりちゃんを見つめました。あんまりふたりが、ひかりちゃんを一生懸命見るものだから、ひかりちゃんは、なんだか恥ずかしくなりました。
穂の姫が、思いきったように、
「あの、私たち、伝説では聞いたことがあったのですが、人間の子どもを見るのは、初めてなんです」
と、言いました。そして、
「人間の子どもは、とても恐ろしくて、乱暴だと聞いていました」
とも、言いました。王子様が、我慢しきれないように、くすくすと笑いだすと、
「空を飛ぶとか、火を吹くという伝説だってあったんだ!」
と、言いました。
「だけど、大きいだけで、私たちとおんなじなんですね!」
「大きいだけで、僕たちとおんなじだ!」
ふたりは、そういうと、嬉しくてたまらないように、けらけらと笑い出しました。どうやら、ひかりちゃんのことを怖がってはいないようです。
ひかりちゃんも、嬉しくなって、
「そうですよ。人間の子どもは怖くないですよ」
って、にっこりしました。日の王子と穂の姫は、
「ああ、よかった」
「本当に、鬼のお母さんが言うとおりだったね」
と、口々に言い合うと、「ちょっと待っててね!」と言って、森の中に入っていきました。
そして、次に森から出てきたときには、大きな大きなお皿、といっても、ひかりちゃんにとっては、カレーのお皿くらいの大きさだったんだけどね、を、よいしょよいしょと引っ張ってきました。お皿の上には、ひかりちゃんにちょうどいいくらいの海苔巻きおにぎりが山盛りと、それから切れ目を入れたウインナーを炒めたのがたくさんと、塩茹でしたスナップエンドウがたくさんのっていました。
昨夜、ひかりちゃんが編み上げた一ヒロゲのベールを鬼の国に持って帰った鬼のお母さんが、鬼の国のお料理上手なママ友に作ってもらって、もってきてくれたのだそうです。
「テントウ虫姫、いえ、エジマヒカリ姫、お腹がすいたでしょう。どうぞお召し上がりください」
と、穂の姫が言うと、ひかりちゃんのお腹が、キュルキュルキューと鳴りました。
日の王子と穂の姫は、びっくりして飛び上がりましたが、それがひかりちゃんのお腹の音だとわかると、また、お互いの肩をたたきあって、笑いました。
鬼のお母さんのママ友が作ってくれたごはんは、愛情たっぷりで、とっても美味しかったんだって。そしてね、たくさんたくさんあったので、ひかりちゃんは、ちょっとお行儀が悪かったけど、おにぎりやウインナーやスナップエンドウをつまみながら、ベールを編むことにしたんだって。だって、少しでも早く編み上げたいでしょう?鬼のお母さんのママ友は、そこまで考えて、片手でつまめるようなごはんにしてくれていたんだね。
もちろん、おにぎりやウインナーやスナップエンドウをつまんだその手のままで編み物をすると、ベールが油でベタベタになったり、ごはん粒がついちゃったりするから、ひかりちゃんは、つまむたびに、しっかり手をふいたそうです。そうだね、お手ふきまで用意してくれるなんて、鬼のお母さんのママ友は、ずいぶん気がきいてるよね。
ひかりちゃんがベールを編んでいる間に、日の王子と穂の姫は、ひねくれモグラを使って材料を集めたり、ベール糸をつくったりしました。
3人がとっても頑張ったおかげで、秋冬の谷に日が落ちて、真っ暗になる頃には、ベールの糸が2ヒロゲ分と、ベールが1ヒロゲできあがっていました。これで、糸は全部揃ったし、ベールもあと2ヒロゲを残すだけとなりました。きっと、明日にはそれも出来上がるでしょう。
3人は、黙って、焚火を見つめていました。あんまり疲れてしまって、口をきくのもおっくうだったということもありましたが、明日にはこの冒険が終わってしまうと思うと、ちょっと寂しくもあったからです。そんな3人を、森から薪を運んできた鬼のお母さんが、やさしく見つめていました。
昼間中働いたひかりちゃんと日の王子と穂の姫は、夕食が終わると、あっという間に眠ってしまいました。3人が寝ている間に、また鬼のお母さんは、出来上がった一ヒロゲのベールを鬼の国に持って帰り、ひかりちゃんのごはんを持って帰ってきてくれました。
夜、早く寝たので、次の日は、3人とも、朝日が射しこんでくるとすぐに、目を覚ますことができました。ベール糸の準備はすべてできていたので、その日は、日の王子と穂の姫も、ベール編みに参加しました。鬼のお母さんだって、眠い目をこすりながら、参加しました。
もっとも、鬼のお母さんは、しょっちゅう糸をこんがらせては大騒ぎしたり、居眠りをしたりで、ほとんど役には立ちませんでしたけどね。鬼にとっては、昼間は、本当は寝ている時間なのですから、眠くてもしょうがありません。だけど、鬼の赤ちゃんたちのために、みんなが一生懸命ベールを編んでくれているのですから、鬼のお母さんだって眠いのを我慢して、編むのを手伝おうと思ったのです。
そんなふうに、みんなが頑張ったおかげで、その日の夕方には、最後の2ヒロゲのベールが出来上がりました。ひかりちゃんと、日の王子と穂の姫は、ハイタッチをして喜び合いました。鬼のお母さんは、眠っていたので、残念ながら、ハイタッチには参加できませんでした。
ハイタッチってね、こうすることだよ。「イエーイ!」。はい、なつきちゃんとも、「イエーイ!」。
やがて、日が暮れようとしていました。みんなが家に帰る時間が近づいていました。だけど、なんだか帰りたくなくて、みんなそれを言い出せないでいました。
お日様がだんだん傾いていって、秋冬の谷がひんやりと薄暗くなってきました。日の王子が、思いきったように、
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫、長い間、タラターナ国のために、本当にありがとうございました。きっと、お家の方が心配していることでしょう。すぐに、家まで、ひねくれモグラに送らせましょう」
と、言いました。
そう言われて、ひかりちゃんは、急にお父さんや、お母さんや、妹のみどりちゃんに会いたくなったんだって。
ところがね、ひねくれモグラときたら、どんなふうに誘い出してみても、姿を見せようとはしませんでした。
しかたなく、あたりの湿った葉っぱを順番にめくっていくと、6番目にめくった葉っぱの下で、ひねくれモグラが丸くなって、小さな前足に鼻の頭を突っ込んで、ぐっすりと眠りこけているのが見つかりました。日の王子が、小枝を持ってきて、ひねくれモグラの小さな耳の穴を、コショコショとくすぐりましたが、ひねくれモグラは「うるさいなあ」というように、後ろ足で、耳の先をぽりぽり掻くと、またぐっすりと眠りこんでしまいました。どうやら、ここ数日、穂の姫にこき使われたので、相当疲れているようです。
「まったく、しょうがないやつだなあ。かといって、ミチアンナイは、見えないところには、来られないしなあ」
と、日の王子は、困ったように言いました。秋冬の谷は、とてもとても深いので、ミチアンナイがどんなに高く飛んでも、王子様たちを見つけることはできないからです。
そのときです。居眠りをしていた鬼のお母さんが、夜になると動き出す小さな動物にでも噛まれたのでしょうか、びくんと身体をひと揺らしして、目を覚ましました。そして、ベールが2ヒロゲ出来上がっていることに気がつくと、大きな身体を丸めるようにして、3人に何度も何度もお辞儀をして、「ありがとう、ありがとう」って、言ってくれました。 日の王子が、照れて「ちぇっ、ちぇっ」と言いました。
鬼のお母さんは、ミチアンナイが呼べなくて困っているという話を聞くと、
「それは、私にまかせてください」
と言いました。そして、日の王子と穂の姫を、そっと頭に乗せると、
「しっかりつかまって」
と言いながら、ゆっくり立ち上がりました。鬼のお母さんが立ち上がると、日の王子と穂の姫の身体が、ちょうど秋の山のてっぺんの上に出ました。
「やあ、これなら、ミチアンナイが呼べるぞ」
日の王子は、そう叫ぶと、ピーッと指笛を鳴らしました。
「なんとなんと!王子様、姫様、お探ししておりましたぞ!」
ミチアンナイが、大喜びしながら、飛んできました。
「うむ、心配かけたな」
日の王子が、とても王子様らしく言いました。
「王子様、姫様、すぐにお城にご案内いたします」
「いや、僕たちは、帰り道はわかるからいいんだ」
「では、どなたを?」
日の王子と、穂の姫は、「ちょっと待って」と言って、ヨイショと、鬼の母さんの頭から、秋の山のてっぺんに移りました。鬼のお母さんが、一回しゃがみこむと、ひかりちゃんを抱き上げて、秋の山のてっぺんに座らせてくれました。鬼のお母さんは、だいぶ気をつけて、そーっとおろしたつもりでしたが、それでもドシーンと地鳴りがしました。
秋の山のてっぺんのその向こうから、突然毛むくじゃらの腕が出てきたかと思うと、人間の子どもがそこに座っていたものですから、ミチアンナイはもう大騒ぎ。
「大変だ!大変だ!鬼だ!いや、人間の子どもだ!人間の子どもがいる!長老に知らせないと!王様に知らせないと!いますぐ逃げないと!いや、やっぱり、いますぐやっつけないと!」
と、慌てふためいて、秋の山のてっぺんの木にぶつかったりしています。
「落ち着きなさい!」
穂の姫が、凛とした声で言うと、ミチアンナイは、ようやく我に返って、静かに地面に降り立ちました。そして、ブルブル震えながら、ひかりちゃんを見上げていましたが、
「ややっ!これは!」
と、叫びました。
「これはこれは、テントウ虫姫ではありませんか!どうして、こんなに大きくなったのですか?悪い鬼に魔法をかけられたのですか?大変だ!大変だ!悪い魔法使いの鬼がいるぞ!」
ミチアンナイが、また騒ぎ始めたので、
「静かに!」
と、穂の姫が言いました。
「こちらは、エジマヒカリ姫。私を助けてくれた恩人です」
穂の姫が、言うと、ミチアンナイはぽかんとした顔をして、ひかりちゃんを見ました。ひかりちゃんは、ミチアンナイに、にっこりして見せました。
「そして、こちらは・・・」
と、穂の姫が、鬼のお母さんを振り返って、
「私の・・・お友だちです」
と言いました。鬼のお母さんは、恥ずかしそうに、もじもじしました。
「なんと、まあ」
ミチアンナイは、びっくりして、ふらふらと意味もなく飛び回りました。
穂の姫が、すばやくひかりちゃんの身体をよじのぼりました。そして、ひかりちゃんの肩に立つと、
「エジマヒカリ姫、助けてくれて、本当にありがとう」
と、ひかりちゃんのほっぺに、小さくキスをしました。そして、頭から小さな王冠を外すと、ひかりちゃんに向かって差し出しました。
「何も差し上げられるものがありませんので、せめてこれを受け取ってください。友だちの印です」
と、言いました。ひかりちゃんは、人さし指と親指で、そっと王冠を受け取りました。小さな小さな王冠は、金でできていて、まわりには、ぐるりと、小さなダイヤモンドの粒が散りばめられていました。そして、正面には、穂の姫の王冠であることをしめす、稲穂の絵が彫ってありました。
「こんな大切なものを、いただくわけには・・・」
と、ひかりちゃんは返そうとしましたが、
「いえ、どうしても受け取っていただかなければ気が済みません」
と、穂の姫が言うので、ひかりちゃんは、この思いがけない贈り物を、自分の人さし指にはめました。ちょうど、指輪にぴったりの大きさでした。
そうだね、あおいちゃんのママが、いつも小指にしている指輪があるでしょう。あれが、実は、穂の姫の王冠なんだよ。知らなかったでしょう。
それでね、ひかりちゃんは、何か自分もプレゼントできるものはないかと思って、ポケットを探りました。そしたら、左のポケットから、ピンク色をしたプラスチック製のリリアン編みの道具と、赤や黄色や青や緑のリリアン編み用の糸の切れ端が出てきました。前の日に学校に行くときに、こっそりポケットに入れていって、そのまま忘れていたものでした。
あおいちゃん、リリアン編みって、知ってる?おばちゃんたちが小学校のときに流行った、とっても簡単な編み物でね、長い紐を編んだり、上手に編める人は、マフラーだって編めるんだよ。まだ、あの道具って、駄菓子屋さんとかで売ってるのかなあ。もし、見つけたら、あおいちゃんにも教えてあげるね。
ひかりちゃんは、リリアン編みの道具と糸を、穂の姫に渡しました。そして、
「では、私からは、これを友だちの印に、受け取ってください。ベールは編めないけど、みなさんの洋服や絨毯を編んだりするのに、使えると思います」
と、言いました。
「まあ、これは珍しいものを、ありがとう」
穂の姫が、にっこりしました。
「それに、これがあれば、もしガラガラヘビの抜け殻が見つからなくても、長い長い紐を編んで、崖を登っていったり、谷を降りていったりすることができます」
ひかりちゃんは、そう言うと、日の王子の方をちらりと見ました。だけど、日の王子は、聞こえなかったみたいに、知らん顔をして、秋の木のてっぺんの方を見ていました。
ひかりちゃんは、鬼のお母さんの方を振り向くと、
「やっと、赤ちゃんのところに帰れますね。よかったね」
と言って、穂の姫の真似をして、鬼のお母さんのおでこに小さくキスをしました。鬼のお母さんが、とってもとっても嬉しそうに、にっこりしました。
そして、ひかりちゃんが、
「ママ友に、ごはん美味しかったですって、伝えてくださいね」
と言うと、「わかった」というように、右手でオッケーマークを作りました。きっと、声を出すと、ミチアンナイがびっくりするだろうと思って、気をつかっているのでしょう。
ひかりちゃんは、肩に乗っていた穂の姫を、そっと下におろすと、鬼のお母さん、穂の姫、日の王子の顔を順番に見て、
「そろそろ、人間の国に帰るときが来たようです」
と、静かに言いました。
鬼のお母さんが、何度もパチパチとまばたきをしました。そうだね、きっと涙が出そうになったんだね。
穂の姫の目にも、涙が浮かんでいました。日の王子は、相変わらず、知らんぷりをしています。ひかりちゃんは、最後に日の王子と話をしたかったけど、あきらめて、
「では、ミチアンナイさん、私を、家の庭まで案内してください」
と、言いました。
ミチアンナイは、
「は、はい。テントウ・・・じゃなくて、え~と、エジマヒカリ姫」
と返事をすると、高く高く飛び上がりました。そして、3回、秋の山のてっぺんの木の上を回ると、
「こちらでございます」
と、少し先を飛んで、ひかりちゃんを振り返りました。
ひかりちゃんが、ゆっくりと立ち上がろうとしたときです。
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫!」
と、日の王子の声が、聞こえました。
日の王子は、ひかりちゃんに、なんて言ったんだろうねえ。続きは、また明日ね。明日は、つくしを採りに行けるといいね。タンポポも咲いてるかなあ。タンポポだって、ちょっと苦いけど、食べられるんだよ。タンポポにしたりね、根っこのところなんて、コーヒーになるんだよ。ホント、ホント。明日探してみようね。楽しみだね。
それじゃあ、おやすみなさい、あおいちゃん。おやすみなさい、なつきちゃん。
あおいちゃん、つくしは、食べられるって知ってた?天ぷらにしたり、炒めて卵とじにしたりすると、結構美味しいんだよ。食べてみたい?じゃあ、いっぱい採ってこなきゃいけないね。明日、おばちゃんと採りに行こうね。それでは、今日のお話しの、はじまりはじまり。
次の日、ひかりちゃんが目を覚ましたのは、昼近い時間でした。深い谷底にも、お日様の光が細く差し込んできて、ひかりちゃんのまぶたをチクチクと射しました。ひかりちゃんは、最初、自分の部屋に寝ていると思っていました。
ところが、目をあけると、ひかりちゃんの家の、寝る部屋の天井のかわりに、空の海と、秋冬の谷の黒々とした森と、遠くからひかりちゃんの様子をうかがっている、小さな小さなエメラルド色のカエルと、レモン色のカエルが、見えました。
ひかりちゃんは、最初は寝ぼけていて、ここがどこなのかわからなかったけれど、やがて、いままでのことを全部思い出しました。そういえば、ひかりちゃんはタラターナ国にいて、秋冬の谷に来て、人間の子どもの大きさに戻って、一晩のうちに、がんばって一ヒロゲのベールを編み上げたのでした。
ひかりちゃんは、そこまで思い出すと、日の王子と穂の姫を驚かさないように、ゆっくりと身体を起しました。ひかりちゃんのすぐ隣では、鬼のお母さんが大の字になって、大きないびきを立てて眠っていました。鬼のお母さんの獣くさいにおいに、ひかりちゃんは、思わず、ちょっとだけ、眉をひそめました。
日の王子と穂の姫が、そろりそろりと近づいてきました。日の王子の小さな小さな声が、聞こえました。
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫、お目覚めになりましたか?僕の声が聞こえますか?」
ひかりちゃんは、昨日まで一緒に遊んだり、ケンカをしたり、冒険をしたりしていた日の王子が、まるで知らない人に話すような、かしこまった言い方をするので、少し悲しい気持ちになりました。
ひかりちゃんは、だまって、ゆっくりとうなずきました。すると、日の王子と穂の姫の顔が、ぱっと嬉しそうに輝きました。そしてね、ふたりは、腰から小さな短剣をはずすと、それを足元に置いて、右足を前に、左足を後ろに、右手を右足のひざに、左足を腰の後ろに当てて、深々とお辞儀をしたそうです。これはね、タラターナ国の人が、他の国の王族の人にだけする、いちばん礼儀正しいお辞儀のしかたなんだよ。
日の王子はね、深いお辞儀をしたまま、こんなことを言いました。
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫が人間の子どもでいらっしゃるとは露知らず、これまでの数々の失礼、どうぞお許しください」
ひかりちゃんは、ゆっくり首を横に振りました。人間の子どもだということを隠していたのは、ひかりちゃんの方だからです。ひかりちゃんは、王子様を驚かさないように、できるだけ小さな声で、
「ウソをついていたのは、私のほうです。こちらこそごめんなさい。ふたりとも、どうぞ、お立ちください」
と、言いました。それで、日の王子と穂の姫は、立ち上がって、改めて、まじまじと、ひかりちゃんを見つめました。あんまりふたりが、ひかりちゃんを一生懸命見るものだから、ひかりちゃんは、なんだか恥ずかしくなりました。
穂の姫が、思いきったように、
「あの、私たち、伝説では聞いたことがあったのですが、人間の子どもを見るのは、初めてなんです」
と、言いました。そして、
「人間の子どもは、とても恐ろしくて、乱暴だと聞いていました」
とも、言いました。王子様が、我慢しきれないように、くすくすと笑いだすと、
「空を飛ぶとか、火を吹くという伝説だってあったんだ!」
と、言いました。
「だけど、大きいだけで、私たちとおんなじなんですね!」
「大きいだけで、僕たちとおんなじだ!」
ふたりは、そういうと、嬉しくてたまらないように、けらけらと笑い出しました。どうやら、ひかりちゃんのことを怖がってはいないようです。
ひかりちゃんも、嬉しくなって、
「そうですよ。人間の子どもは怖くないですよ」
って、にっこりしました。日の王子と穂の姫は、
「ああ、よかった」
「本当に、鬼のお母さんが言うとおりだったね」
と、口々に言い合うと、「ちょっと待っててね!」と言って、森の中に入っていきました。
そして、次に森から出てきたときには、大きな大きなお皿、といっても、ひかりちゃんにとっては、カレーのお皿くらいの大きさだったんだけどね、を、よいしょよいしょと引っ張ってきました。お皿の上には、ひかりちゃんにちょうどいいくらいの海苔巻きおにぎりが山盛りと、それから切れ目を入れたウインナーを炒めたのがたくさんと、塩茹でしたスナップエンドウがたくさんのっていました。
昨夜、ひかりちゃんが編み上げた一ヒロゲのベールを鬼の国に持って帰った鬼のお母さんが、鬼の国のお料理上手なママ友に作ってもらって、もってきてくれたのだそうです。
「テントウ虫姫、いえ、エジマヒカリ姫、お腹がすいたでしょう。どうぞお召し上がりください」
と、穂の姫が言うと、ひかりちゃんのお腹が、キュルキュルキューと鳴りました。
日の王子と穂の姫は、びっくりして飛び上がりましたが、それがひかりちゃんのお腹の音だとわかると、また、お互いの肩をたたきあって、笑いました。
鬼のお母さんのママ友が作ってくれたごはんは、愛情たっぷりで、とっても美味しかったんだって。そしてね、たくさんたくさんあったので、ひかりちゃんは、ちょっとお行儀が悪かったけど、おにぎりやウインナーやスナップエンドウをつまみながら、ベールを編むことにしたんだって。だって、少しでも早く編み上げたいでしょう?鬼のお母さんのママ友は、そこまで考えて、片手でつまめるようなごはんにしてくれていたんだね。
もちろん、おにぎりやウインナーやスナップエンドウをつまんだその手のままで編み物をすると、ベールが油でベタベタになったり、ごはん粒がついちゃったりするから、ひかりちゃんは、つまむたびに、しっかり手をふいたそうです。そうだね、お手ふきまで用意してくれるなんて、鬼のお母さんのママ友は、ずいぶん気がきいてるよね。
ひかりちゃんがベールを編んでいる間に、日の王子と穂の姫は、ひねくれモグラを使って材料を集めたり、ベール糸をつくったりしました。
3人がとっても頑張ったおかげで、秋冬の谷に日が落ちて、真っ暗になる頃には、ベールの糸が2ヒロゲ分と、ベールが1ヒロゲできあがっていました。これで、糸は全部揃ったし、ベールもあと2ヒロゲを残すだけとなりました。きっと、明日にはそれも出来上がるでしょう。
3人は、黙って、焚火を見つめていました。あんまり疲れてしまって、口をきくのもおっくうだったということもありましたが、明日にはこの冒険が終わってしまうと思うと、ちょっと寂しくもあったからです。そんな3人を、森から薪を運んできた鬼のお母さんが、やさしく見つめていました。
昼間中働いたひかりちゃんと日の王子と穂の姫は、夕食が終わると、あっという間に眠ってしまいました。3人が寝ている間に、また鬼のお母さんは、出来上がった一ヒロゲのベールを鬼の国に持って帰り、ひかりちゃんのごはんを持って帰ってきてくれました。
夜、早く寝たので、次の日は、3人とも、朝日が射しこんでくるとすぐに、目を覚ますことができました。ベール糸の準備はすべてできていたので、その日は、日の王子と穂の姫も、ベール編みに参加しました。鬼のお母さんだって、眠い目をこすりながら、参加しました。
もっとも、鬼のお母さんは、しょっちゅう糸をこんがらせては大騒ぎしたり、居眠りをしたりで、ほとんど役には立ちませんでしたけどね。鬼にとっては、昼間は、本当は寝ている時間なのですから、眠くてもしょうがありません。だけど、鬼の赤ちゃんたちのために、みんなが一生懸命ベールを編んでくれているのですから、鬼のお母さんだって眠いのを我慢して、編むのを手伝おうと思ったのです。
そんなふうに、みんなが頑張ったおかげで、その日の夕方には、最後の2ヒロゲのベールが出来上がりました。ひかりちゃんと、日の王子と穂の姫は、ハイタッチをして喜び合いました。鬼のお母さんは、眠っていたので、残念ながら、ハイタッチには参加できませんでした。
ハイタッチってね、こうすることだよ。「イエーイ!」。はい、なつきちゃんとも、「イエーイ!」。
やがて、日が暮れようとしていました。みんなが家に帰る時間が近づいていました。だけど、なんだか帰りたくなくて、みんなそれを言い出せないでいました。
お日様がだんだん傾いていって、秋冬の谷がひんやりと薄暗くなってきました。日の王子が、思いきったように、
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫、長い間、タラターナ国のために、本当にありがとうございました。きっと、お家の方が心配していることでしょう。すぐに、家まで、ひねくれモグラに送らせましょう」
と、言いました。
そう言われて、ひかりちゃんは、急にお父さんや、お母さんや、妹のみどりちゃんに会いたくなったんだって。
ところがね、ひねくれモグラときたら、どんなふうに誘い出してみても、姿を見せようとはしませんでした。
しかたなく、あたりの湿った葉っぱを順番にめくっていくと、6番目にめくった葉っぱの下で、ひねくれモグラが丸くなって、小さな前足に鼻の頭を突っ込んで、ぐっすりと眠りこけているのが見つかりました。日の王子が、小枝を持ってきて、ひねくれモグラの小さな耳の穴を、コショコショとくすぐりましたが、ひねくれモグラは「うるさいなあ」というように、後ろ足で、耳の先をぽりぽり掻くと、またぐっすりと眠りこんでしまいました。どうやら、ここ数日、穂の姫にこき使われたので、相当疲れているようです。
「まったく、しょうがないやつだなあ。かといって、ミチアンナイは、見えないところには、来られないしなあ」
と、日の王子は、困ったように言いました。秋冬の谷は、とてもとても深いので、ミチアンナイがどんなに高く飛んでも、王子様たちを見つけることはできないからです。
そのときです。居眠りをしていた鬼のお母さんが、夜になると動き出す小さな動物にでも噛まれたのでしょうか、びくんと身体をひと揺らしして、目を覚ましました。そして、ベールが2ヒロゲ出来上がっていることに気がつくと、大きな身体を丸めるようにして、3人に何度も何度もお辞儀をして、「ありがとう、ありがとう」って、言ってくれました。 日の王子が、照れて「ちぇっ、ちぇっ」と言いました。
鬼のお母さんは、ミチアンナイが呼べなくて困っているという話を聞くと、
「それは、私にまかせてください」
と言いました。そして、日の王子と穂の姫を、そっと頭に乗せると、
「しっかりつかまって」
と言いながら、ゆっくり立ち上がりました。鬼のお母さんが立ち上がると、日の王子と穂の姫の身体が、ちょうど秋の山のてっぺんの上に出ました。
「やあ、これなら、ミチアンナイが呼べるぞ」
日の王子は、そう叫ぶと、ピーッと指笛を鳴らしました。
「なんとなんと!王子様、姫様、お探ししておりましたぞ!」
ミチアンナイが、大喜びしながら、飛んできました。
「うむ、心配かけたな」
日の王子が、とても王子様らしく言いました。
「王子様、姫様、すぐにお城にご案内いたします」
「いや、僕たちは、帰り道はわかるからいいんだ」
「では、どなたを?」
日の王子と、穂の姫は、「ちょっと待って」と言って、ヨイショと、鬼の母さんの頭から、秋の山のてっぺんに移りました。鬼のお母さんが、一回しゃがみこむと、ひかりちゃんを抱き上げて、秋の山のてっぺんに座らせてくれました。鬼のお母さんは、だいぶ気をつけて、そーっとおろしたつもりでしたが、それでもドシーンと地鳴りがしました。
秋の山のてっぺんのその向こうから、突然毛むくじゃらの腕が出てきたかと思うと、人間の子どもがそこに座っていたものですから、ミチアンナイはもう大騒ぎ。
「大変だ!大変だ!鬼だ!いや、人間の子どもだ!人間の子どもがいる!長老に知らせないと!王様に知らせないと!いますぐ逃げないと!いや、やっぱり、いますぐやっつけないと!」
と、慌てふためいて、秋の山のてっぺんの木にぶつかったりしています。
「落ち着きなさい!」
穂の姫が、凛とした声で言うと、ミチアンナイは、ようやく我に返って、静かに地面に降り立ちました。そして、ブルブル震えながら、ひかりちゃんを見上げていましたが、
「ややっ!これは!」
と、叫びました。
「これはこれは、テントウ虫姫ではありませんか!どうして、こんなに大きくなったのですか?悪い鬼に魔法をかけられたのですか?大変だ!大変だ!悪い魔法使いの鬼がいるぞ!」
ミチアンナイが、また騒ぎ始めたので、
「静かに!」
と、穂の姫が言いました。
「こちらは、エジマヒカリ姫。私を助けてくれた恩人です」
穂の姫が、言うと、ミチアンナイはぽかんとした顔をして、ひかりちゃんを見ました。ひかりちゃんは、ミチアンナイに、にっこりして見せました。
「そして、こちらは・・・」
と、穂の姫が、鬼のお母さんを振り返って、
「私の・・・お友だちです」
と言いました。鬼のお母さんは、恥ずかしそうに、もじもじしました。
「なんと、まあ」
ミチアンナイは、びっくりして、ふらふらと意味もなく飛び回りました。
穂の姫が、すばやくひかりちゃんの身体をよじのぼりました。そして、ひかりちゃんの肩に立つと、
「エジマヒカリ姫、助けてくれて、本当にありがとう」
と、ひかりちゃんのほっぺに、小さくキスをしました。そして、頭から小さな王冠を外すと、ひかりちゃんに向かって差し出しました。
「何も差し上げられるものがありませんので、せめてこれを受け取ってください。友だちの印です」
と、言いました。ひかりちゃんは、人さし指と親指で、そっと王冠を受け取りました。小さな小さな王冠は、金でできていて、まわりには、ぐるりと、小さなダイヤモンドの粒が散りばめられていました。そして、正面には、穂の姫の王冠であることをしめす、稲穂の絵が彫ってありました。
「こんな大切なものを、いただくわけには・・・」
と、ひかりちゃんは返そうとしましたが、
「いえ、どうしても受け取っていただかなければ気が済みません」
と、穂の姫が言うので、ひかりちゃんは、この思いがけない贈り物を、自分の人さし指にはめました。ちょうど、指輪にぴったりの大きさでした。
そうだね、あおいちゃんのママが、いつも小指にしている指輪があるでしょう。あれが、実は、穂の姫の王冠なんだよ。知らなかったでしょう。
それでね、ひかりちゃんは、何か自分もプレゼントできるものはないかと思って、ポケットを探りました。そしたら、左のポケットから、ピンク色をしたプラスチック製のリリアン編みの道具と、赤や黄色や青や緑のリリアン編み用の糸の切れ端が出てきました。前の日に学校に行くときに、こっそりポケットに入れていって、そのまま忘れていたものでした。
あおいちゃん、リリアン編みって、知ってる?おばちゃんたちが小学校のときに流行った、とっても簡単な編み物でね、長い紐を編んだり、上手に編める人は、マフラーだって編めるんだよ。まだ、あの道具って、駄菓子屋さんとかで売ってるのかなあ。もし、見つけたら、あおいちゃんにも教えてあげるね。
ひかりちゃんは、リリアン編みの道具と糸を、穂の姫に渡しました。そして、
「では、私からは、これを友だちの印に、受け取ってください。ベールは編めないけど、みなさんの洋服や絨毯を編んだりするのに、使えると思います」
と、言いました。
「まあ、これは珍しいものを、ありがとう」
穂の姫が、にっこりしました。
「それに、これがあれば、もしガラガラヘビの抜け殻が見つからなくても、長い長い紐を編んで、崖を登っていったり、谷を降りていったりすることができます」
ひかりちゃんは、そう言うと、日の王子の方をちらりと見ました。だけど、日の王子は、聞こえなかったみたいに、知らん顔をして、秋の木のてっぺんの方を見ていました。
ひかりちゃんは、鬼のお母さんの方を振り向くと、
「やっと、赤ちゃんのところに帰れますね。よかったね」
と言って、穂の姫の真似をして、鬼のお母さんのおでこに小さくキスをしました。鬼のお母さんが、とってもとっても嬉しそうに、にっこりしました。
そして、ひかりちゃんが、
「ママ友に、ごはん美味しかったですって、伝えてくださいね」
と言うと、「わかった」というように、右手でオッケーマークを作りました。きっと、声を出すと、ミチアンナイがびっくりするだろうと思って、気をつかっているのでしょう。
ひかりちゃんは、肩に乗っていた穂の姫を、そっと下におろすと、鬼のお母さん、穂の姫、日の王子の顔を順番に見て、
「そろそろ、人間の国に帰るときが来たようです」
と、静かに言いました。
鬼のお母さんが、何度もパチパチとまばたきをしました。そうだね、きっと涙が出そうになったんだね。
穂の姫の目にも、涙が浮かんでいました。日の王子は、相変わらず、知らんぷりをしています。ひかりちゃんは、最後に日の王子と話をしたかったけど、あきらめて、
「では、ミチアンナイさん、私を、家の庭まで案内してください」
と、言いました。
ミチアンナイは、
「は、はい。テントウ・・・じゃなくて、え~と、エジマヒカリ姫」
と返事をすると、高く高く飛び上がりました。そして、3回、秋の山のてっぺんの木の上を回ると、
「こちらでございます」
と、少し先を飛んで、ひかりちゃんを振り返りました。
ひかりちゃんが、ゆっくりと立ち上がろうとしたときです。
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫!」
と、日の王子の声が、聞こえました。
日の王子は、ひかりちゃんに、なんて言ったんだろうねえ。続きは、また明日ね。明日は、つくしを採りに行けるといいね。タンポポも咲いてるかなあ。タンポポだって、ちょっと苦いけど、食べられるんだよ。タンポポにしたりね、根っこのところなんて、コーヒーになるんだよ。ホント、ホント。明日探してみようね。楽しみだね。
それじゃあ、おやすみなさい、あおいちゃん。おやすみなさい、なつきちゃん。
あおいちゃん、今日は、つくしやタンポポがいっぱい摘めてよかったね。あそこの土手に、あんなにたくさん生えてるなんて、おばちゃん全然知らなかったよ。
おばちゃんが小さいときにはね、おばちゃんの家の近くの田んぼにも、つくしやタンポポがいっぱい生えてたんだけど、もう田んぼはなくなって、そこには全部お家が建っちゃったんだよ。あおいちゃんのお家のそばには、まだ自然がいっぱいで、うらやましいなあ。
おばちゃんね、つくしやタンポポだけじゃなくて、せりも摘んできたんだよ。ほら、葉っぱみたいなのを摘んでいたでしょう。あれは、せりっていうんだよ。よく洗って、さっと熱いお湯をかけて、塩もみして、ごはんに混ぜて、おにぎりにして食べると、とっても香りがよくて美味しいんだよ。あおいちゃんには、ちょっと苦いかなあ。食べてみたい?じゃあ、明日、作ってあげようね。
今日のお話しは、ひかりちゃんが、お家に帰るところからだったね。それでは、お話しの続きのはじまり、はじまり。
ひかりちゃんが、ミチアンナイに案内されて山を下りようとしたとき、
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫!」
と、日の王子が声をかけました。ひかりちゃんは、嬉しくなって、さっと振り向きました。
日の王子は、ひかりちゃんが振り向くと、自分から声をかけたくせに、赤い顔をして、上を向いたり、下を向いたりしながら、
「え~っと、あの~、その~」
って、言いました。そして、
「あ、そうだ、今度タラターナに来たときは、僕に、帆船結びを教えてくれないか」
と、言いました。
「えっ、今度っていうことは、またタラターナに来ることができるんですか?」
ひかりちゃんの顔が、ぱあっと輝きました。もう二度と、ここに来ることはできないだろう、と思っていたからです。
「もちろんです。私たちが、本当に必要とするときには、いつでも」
と、穂の姫が言いました。
「わかりました。では、そのときには、必ず、帆船結びを王子様にお教えします」
ひかりちゃんは、そういうと、指切りげんまんの印に、そっと小指を差し出しました。王子様が、その小指の先を、両手でぎゅっと握りました。そして、
「では、またいつか」
と、言いました。
「また、きっと会いましょう」
と、穂の姫も言いました。
ひかりちゃんも、
「はい、またきっと」
と言って、日の王子と、穂の姫と、それから鬼のお母さんに手を振りました。
鬼のお母さんは、もう一度、おでこがひざにくっつきそうになるくらいお辞儀をすると、最後の2ヒロゲのベールを持って、ドシンドシンと鬼の国に帰っていきました。これで、今夜からは、鬼の赤ちゃん全員が、暖かいベールをかけて、ぐっすり眠れることでしょう。よかったねえ。
さて、ミチアンナイは、ひかりちゃんが秋の山の木をうっかり倒してしまわないように、山の外側をぐるりと大きく遠回りする道を、案内してくれました。それでも、ひかりちゃんの足ですから、ほんの数歩で、山を下りることができました。
山のふもとの長老の家の煙突から、今日も煙が立ちのぼっていました。そっと、窓から中をのぞきこんでみると、テーブルの上にワイングラスが2つ並んでいて、ちょうど、見えない手で、何杯目かの赤ワインが注がれようとしているところでした。
ひかりちゃんが、
「もうすぐ日の王子と穂の姫が、山を下りてきますよ」
と、小さな声で教えてあげると、やさしいゆうれいが、
「やあ、お帰りなさい。おとといの夜から、あの恐ろしい声が聞こえなくなっていたでしょう。だから、きっと何かいいことが起こったのに違いないと思って、ひとあし先に、長老と祝杯をあげているところでしたよ」
と、見えない手で、グラスをちょっとあげてくれました。
そして、ひかりちゃんからベール泥棒の正体を聞くと、お城で心配している王様とお妃様のために、コウモリ便を飛ばしてくれました。それには、こんなふうに書いてあったんですって。
「エジマヒカリ姫の働きのおかげで、王子様と姫様と秋の村が、救われました」
長老は、相変わらず、毛布に埋もれて座っていました。そして、ぶるぶる震える手をほんの少しだけ上げて、ひかりちゃんに手を振ってくれました。とても嬉しそうな顔をしていたそうですよ。
秋の村に入ると、ひかりちゃんは、村の人を驚かさないように、そっとつま先立ちで歩きました。それでも、空が急に暗くなったので、村の人たちが驚いて、家から飛び出してきました。そして、口々に、「なんだ、なんだ」と騒ぎながら、ひかりちゃんを指さしました。
あの小さな小さな郵便局長さんも、小さな小さな郵便局から転がり出てくると、空を見上げました。そして、ひかりちゃんの顔を見て、
「わ、わ、テントウ虫姫が!大変じゃ!大変じゃ!」
と、慌てふためきました。
ミチアンナイが、
「静かに!」
と、穂の姫の真似をして言いました。
郵便局長さんは、あんまりびっくりしたものだから、すってんころりと転んでしまいました。ひかりちゃんは、ひとさし指を差し出すと、そっと助け起こしてあげました。そして、郵便局長さんを驚かさないように、小さな声で、
「ベール泥棒は、いなくなりましたよ」
と、教えてあげました。
郵便局長さんは、
「それはそれは」
と喜んで、パンパンとお尻をはたくと、ひかりちゃんに大きく手を振ってくれました。
湖をひとまたぎで越えると、秋の門がありました。紳士のコオロギが2人、番をしていました。ひかりちゃんがのぞきこむと、驚いて「ヒロロロロ」「ヒロロロロ」と鳴きながら、あたりをめちゃくちゃに飛び回りました。
ミチアンナイが、また穂の姫の真似をして、
「落ち着きなさい!」
と言うので、ひかりちゃんはおかしくなって、くすくす笑いました。
お城では、コウモリ便を受け取った王様とお妃様が、いちばん上の階の部屋で待っていてくれました。そして、ひかりちゃんが通りがかると、窓から精いっぱいに身体を乗り出して、
「ありがとう、ありがとう」
と、手を振ってくれました。
ひかりちゃんは、右足を前に、左足を後ろに、右手を右足のひざに、左足を腰の後ろに当てて、タラターナ国の正式なお辞儀をしました。王様とお妃様は、顔を見合わせて、嬉しそうににっこり笑いました。
お城の外側を、大きくぐるりと回ると、今度は、春の門がありました。春の門のところには、そうだね、紳士のバッタが2人、番をしていました。そして、ひかりちゃんに気がつくと、
「人間だ!人間だ!」
と、長い剣を突き立てて、戦おうとしました。
「まったく、どいつもこいつも大騒ぎしよって。落ち着きなさいったら、落ち着きなさい!」
と、ミチアンナイが叱りました。
そうだよね。一番大騒ぎしたのは、ミチアンナイなのにね。ひかりちゃんもそう思って、おかしくなって、またくすくす笑いました。
春の門の先には、長い長いお花の道が続いていました。ひかりちゃんのまわりに、いつの間にか、白い霧が立ち込めていました。ひかりちゃんの足が、だんだん遅くなって、とうとう立ち止まってしまいました。
「ああ、これでタラターナ国ともお別れなんだ」
と思ったら、名残惜しくなったからです。
ひかりちゃんは、最後にひとめタラターナ国を見るために、振り返ろうとしました。
そのときです。
「振り返ってはだめです!」
ミチアンナイが、大声で叫ぶと、急いで引き返してきて、ひかりちゃんの肩にとまりました。
「振り返ったら、タラターナ国での出来事を、すべて忘れてしまいます。そうしたら、もう二度と、タラターナ国に来ることはできないのですよ」
と、ミチアンナイが教えてくれました。
ひかりちゃんは、見てはいけないと思うと、よけいに振り返りたくてたまらなくなりました。だけど、タラターナ国での出来事を忘れたくなかったし、もう一度、日の王子や穂の姫に会いたかったので、ぐっと我慢をして、振り返らずに、ゆっくりと歩き始めました。
ひかりちゃんのまわりに立ち込めていた霧が、お米を研いだときの水くらいの薄い色から、カルピスくらいの色に、カルピスくらいの色から牛乳に、そして、ついには濃いシチューのような真っ白なもやに変わっていきました。
もう、どこが前でどこが後ろなのか、どこが上でどこが下なのかもわかりません。
そのとき、ひかりちゃんの肩で、
「姫、いまこそ呪文を!」
という声が聞こえました。
ミチアンナイが、さっと飛び立つ羽音が聞こえました。
ひかりちゃんが、大きな声で呪文をとなえました。
『カエルピョコピョコ、ミピョコピョコ。
あわせてピョコピョコ、ムピョコピョコ』
ひかりちゃんを包み込んでいた白い霧が、みるみるうちに、さーっと晴れていきました。ひかりちゃんの目の前に、あの、春だというのに紫色に色づいたヨウシュヤマブドウの木がありました。
「お母さーん、お姉ちゃんがお使いから帰ってきたよー」
という、みどりちゃんの声が聞こえました。
おばちゃんが小さいときにはね、おばちゃんの家の近くの田んぼにも、つくしやタンポポがいっぱい生えてたんだけど、もう田んぼはなくなって、そこには全部お家が建っちゃったんだよ。あおいちゃんのお家のそばには、まだ自然がいっぱいで、うらやましいなあ。
おばちゃんね、つくしやタンポポだけじゃなくて、せりも摘んできたんだよ。ほら、葉っぱみたいなのを摘んでいたでしょう。あれは、せりっていうんだよ。よく洗って、さっと熱いお湯をかけて、塩もみして、ごはんに混ぜて、おにぎりにして食べると、とっても香りがよくて美味しいんだよ。あおいちゃんには、ちょっと苦いかなあ。食べてみたい?じゃあ、明日、作ってあげようね。
今日のお話しは、ひかりちゃんが、お家に帰るところからだったね。それでは、お話しの続きのはじまり、はじまり。
ひかりちゃんが、ミチアンナイに案内されて山を下りようとしたとき、
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫!」
と、日の王子が声をかけました。ひかりちゃんは、嬉しくなって、さっと振り向きました。
日の王子は、ひかりちゃんが振り向くと、自分から声をかけたくせに、赤い顔をして、上を向いたり、下を向いたりしながら、
「え~っと、あの~、その~」
って、言いました。そして、
「あ、そうだ、今度タラターナに来たときは、僕に、帆船結びを教えてくれないか」
と、言いました。
「えっ、今度っていうことは、またタラターナに来ることができるんですか?」
ひかりちゃんの顔が、ぱあっと輝きました。もう二度と、ここに来ることはできないだろう、と思っていたからです。
「もちろんです。私たちが、本当に必要とするときには、いつでも」
と、穂の姫が言いました。
「わかりました。では、そのときには、必ず、帆船結びを王子様にお教えします」
ひかりちゃんは、そういうと、指切りげんまんの印に、そっと小指を差し出しました。王子様が、その小指の先を、両手でぎゅっと握りました。そして、
「では、またいつか」
と、言いました。
「また、きっと会いましょう」
と、穂の姫も言いました。
ひかりちゃんも、
「はい、またきっと」
と言って、日の王子と、穂の姫と、それから鬼のお母さんに手を振りました。
鬼のお母さんは、もう一度、おでこがひざにくっつきそうになるくらいお辞儀をすると、最後の2ヒロゲのベールを持って、ドシンドシンと鬼の国に帰っていきました。これで、今夜からは、鬼の赤ちゃん全員が、暖かいベールをかけて、ぐっすり眠れることでしょう。よかったねえ。
さて、ミチアンナイは、ひかりちゃんが秋の山の木をうっかり倒してしまわないように、山の外側をぐるりと大きく遠回りする道を、案内してくれました。それでも、ひかりちゃんの足ですから、ほんの数歩で、山を下りることができました。
山のふもとの長老の家の煙突から、今日も煙が立ちのぼっていました。そっと、窓から中をのぞきこんでみると、テーブルの上にワイングラスが2つ並んでいて、ちょうど、見えない手で、何杯目かの赤ワインが注がれようとしているところでした。
ひかりちゃんが、
「もうすぐ日の王子と穂の姫が、山を下りてきますよ」
と、小さな声で教えてあげると、やさしいゆうれいが、
「やあ、お帰りなさい。おとといの夜から、あの恐ろしい声が聞こえなくなっていたでしょう。だから、きっと何かいいことが起こったのに違いないと思って、ひとあし先に、長老と祝杯をあげているところでしたよ」
と、見えない手で、グラスをちょっとあげてくれました。
そして、ひかりちゃんからベール泥棒の正体を聞くと、お城で心配している王様とお妃様のために、コウモリ便を飛ばしてくれました。それには、こんなふうに書いてあったんですって。
「エジマヒカリ姫の働きのおかげで、王子様と姫様と秋の村が、救われました」
長老は、相変わらず、毛布に埋もれて座っていました。そして、ぶるぶる震える手をほんの少しだけ上げて、ひかりちゃんに手を振ってくれました。とても嬉しそうな顔をしていたそうですよ。
秋の村に入ると、ひかりちゃんは、村の人を驚かさないように、そっとつま先立ちで歩きました。それでも、空が急に暗くなったので、村の人たちが驚いて、家から飛び出してきました。そして、口々に、「なんだ、なんだ」と騒ぎながら、ひかりちゃんを指さしました。
あの小さな小さな郵便局長さんも、小さな小さな郵便局から転がり出てくると、空を見上げました。そして、ひかりちゃんの顔を見て、
「わ、わ、テントウ虫姫が!大変じゃ!大変じゃ!」
と、慌てふためきました。
ミチアンナイが、
「静かに!」
と、穂の姫の真似をして言いました。
郵便局長さんは、あんまりびっくりしたものだから、すってんころりと転んでしまいました。ひかりちゃんは、ひとさし指を差し出すと、そっと助け起こしてあげました。そして、郵便局長さんを驚かさないように、小さな声で、
「ベール泥棒は、いなくなりましたよ」
と、教えてあげました。
郵便局長さんは、
「それはそれは」
と喜んで、パンパンとお尻をはたくと、ひかりちゃんに大きく手を振ってくれました。
湖をひとまたぎで越えると、秋の門がありました。紳士のコオロギが2人、番をしていました。ひかりちゃんがのぞきこむと、驚いて「ヒロロロロ」「ヒロロロロ」と鳴きながら、あたりをめちゃくちゃに飛び回りました。
ミチアンナイが、また穂の姫の真似をして、
「落ち着きなさい!」
と言うので、ひかりちゃんはおかしくなって、くすくす笑いました。
お城では、コウモリ便を受け取った王様とお妃様が、いちばん上の階の部屋で待っていてくれました。そして、ひかりちゃんが通りがかると、窓から精いっぱいに身体を乗り出して、
「ありがとう、ありがとう」
と、手を振ってくれました。
ひかりちゃんは、右足を前に、左足を後ろに、右手を右足のひざに、左足を腰の後ろに当てて、タラターナ国の正式なお辞儀をしました。王様とお妃様は、顔を見合わせて、嬉しそうににっこり笑いました。
お城の外側を、大きくぐるりと回ると、今度は、春の門がありました。春の門のところには、そうだね、紳士のバッタが2人、番をしていました。そして、ひかりちゃんに気がつくと、
「人間だ!人間だ!」
と、長い剣を突き立てて、戦おうとしました。
「まったく、どいつもこいつも大騒ぎしよって。落ち着きなさいったら、落ち着きなさい!」
と、ミチアンナイが叱りました。
そうだよね。一番大騒ぎしたのは、ミチアンナイなのにね。ひかりちゃんもそう思って、おかしくなって、またくすくす笑いました。
春の門の先には、長い長いお花の道が続いていました。ひかりちゃんのまわりに、いつの間にか、白い霧が立ち込めていました。ひかりちゃんの足が、だんだん遅くなって、とうとう立ち止まってしまいました。
「ああ、これでタラターナ国ともお別れなんだ」
と思ったら、名残惜しくなったからです。
ひかりちゃんは、最後にひとめタラターナ国を見るために、振り返ろうとしました。
そのときです。
「振り返ってはだめです!」
ミチアンナイが、大声で叫ぶと、急いで引き返してきて、ひかりちゃんの肩にとまりました。
「振り返ったら、タラターナ国での出来事を、すべて忘れてしまいます。そうしたら、もう二度と、タラターナ国に来ることはできないのですよ」
と、ミチアンナイが教えてくれました。
ひかりちゃんは、見てはいけないと思うと、よけいに振り返りたくてたまらなくなりました。だけど、タラターナ国での出来事を忘れたくなかったし、もう一度、日の王子や穂の姫に会いたかったので、ぐっと我慢をして、振り返らずに、ゆっくりと歩き始めました。
ひかりちゃんのまわりに立ち込めていた霧が、お米を研いだときの水くらいの薄い色から、カルピスくらいの色に、カルピスくらいの色から牛乳に、そして、ついには濃いシチューのような真っ白なもやに変わっていきました。
もう、どこが前でどこが後ろなのか、どこが上でどこが下なのかもわかりません。
そのとき、ひかりちゃんの肩で、
「姫、いまこそ呪文を!」
という声が聞こえました。
ミチアンナイが、さっと飛び立つ羽音が聞こえました。
ひかりちゃんが、大きな声で呪文をとなえました。
『カエルピョコピョコ、ミピョコピョコ。
あわせてピョコピョコ、ムピョコピョコ』
ひかりちゃんを包み込んでいた白い霧が、みるみるうちに、さーっと晴れていきました。ひかりちゃんの目の前に、あの、春だというのに紫色に色づいたヨウシュヤマブドウの木がありました。
「お母さーん、お姉ちゃんがお使いから帰ってきたよー」
という、みどりちゃんの声が聞こえました。
これで、この話はおしまいです。
ひかりちゃんはね、家に帰ると、おばちゃんを、奥の物置部屋に引っ張っていって、「絶対に、秘密だよ」って、この話をしてくれました。だからね、おばちゃんは、大人になるまで、ずっと誰にも言わなかったんだよ。ところがね、ある日こんなことが起こりました。
大人になった「えじまひかりちゃん」は、結婚して、「やのひかりさん」になりました。 そうだね、あおいちゃんとなつきちゃんのママだよね。
「やのひかりさん」は、北国で、ふたりのかわいい女の子を育てていました。タラターナ国のことは、もうほとんど思い出さなくなっていました。
そんなある日、熊本のおばあちゃんから、久しぶりに電話がかかってきました。
「もしもし、ひかりちゃんね?今日ね、庭ば掃除しよったらね、郵便受けの方でカタンて音がしたけん、見に行ってみたらね、不思議な手紙が入っとったとよ」
その手紙には、あて名のところに「エシマ ヒカリ サマ」とだけ書いてあって、住所も差出人も書いてなかったんだって。そして、その字は、小さい子が一生懸命に書いたみたいな字だったんだって。
おばあちゃんは、最初は子どものいたずらかなあと思いました。だけど、「やのひかりさん」は、何年も何年も前に熊本から引っ越していたので、近所の子は誰も、「えじまひかりちゃん」が昔ここに住んでいたことなんて、知らないはずでした。
それで、気味が悪くなって捨てようかとも思ったんだけど、なんだかコロンと固いものが封筒の中に入ってたので、一応電話してみたんだって。
「ふ~ん、なんだかよくわからないけど、とりあえず、こっちに送ってみて」
と、「やのひかりさん」は言いました。
それでね、この間、おばあちゃんが、おばあちゃん特製ベーコンを、あおいちゃんちに送ってくれたでしょ。あのときに、箱の中にその手紙を入れてくれたんだって。
「やのひかりさん」は、箱の中から、ベーコンのにおいがしみ込んだ手紙を取り出して、封を開けてみました。そこには、こんなことが書いてありました。
タラターナ テ タイヘン ナ コト カ オコタ
タスケ ニ キテ クタサイ
コノ テカミ カ ウソシャナイ ショウコ トウフウ スル
「やのひかりさん」は、びっくりして、封筒をサカサマに振ってみました。そしたら、何かがコロンと転がり出てきました。小さな小さな王冠でした。金でできていて、まわりには、ぐるりと、小さなダイヤモンドの粒が散りばめられていました。そして、正面には・・・日の王子の王冠であることをしめす、太陽の絵が彫ってありました。
「タラターナの人たちが、困っている。助けにいかなくちゃ」
こうして、「やのひかりさん」は、もう一度、タラターナ国に行くことになったのです。
「やのひかりさん」は、出発の前に、おばちゃんに電話をかけました。そして、
「ちょっと出かけてくるから、あおいちゃんとなつきちゃんをよろしくね」
って、言いました。
だから、ママが帰ってくるまで、おばちゃんとお留守番してようね。ママ、いつ頃帰ってくるかなあ。帰ってきたら、お土産話をいっぱいしてもらおうね。楽しみだね。
おやすみなさい、あおいちゃん。おやすみなさい、なつきちゃん。
ひかりちゃんはね、家に帰ると、おばちゃんを、奥の物置部屋に引っ張っていって、「絶対に、秘密だよ」って、この話をしてくれました。だからね、おばちゃんは、大人になるまで、ずっと誰にも言わなかったんだよ。ところがね、ある日こんなことが起こりました。
大人になった「えじまひかりちゃん」は、結婚して、「やのひかりさん」になりました。 そうだね、あおいちゃんとなつきちゃんのママだよね。
「やのひかりさん」は、北国で、ふたりのかわいい女の子を育てていました。タラターナ国のことは、もうほとんど思い出さなくなっていました。
そんなある日、熊本のおばあちゃんから、久しぶりに電話がかかってきました。
「もしもし、ひかりちゃんね?今日ね、庭ば掃除しよったらね、郵便受けの方でカタンて音がしたけん、見に行ってみたらね、不思議な手紙が入っとったとよ」
その手紙には、あて名のところに「エシマ ヒカリ サマ」とだけ書いてあって、住所も差出人も書いてなかったんだって。そして、その字は、小さい子が一生懸命に書いたみたいな字だったんだって。
おばあちゃんは、最初は子どものいたずらかなあと思いました。だけど、「やのひかりさん」は、何年も何年も前に熊本から引っ越していたので、近所の子は誰も、「えじまひかりちゃん」が昔ここに住んでいたことなんて、知らないはずでした。
それで、気味が悪くなって捨てようかとも思ったんだけど、なんだかコロンと固いものが封筒の中に入ってたので、一応電話してみたんだって。
「ふ~ん、なんだかよくわからないけど、とりあえず、こっちに送ってみて」
と、「やのひかりさん」は言いました。
それでね、この間、おばあちゃんが、おばあちゃん特製ベーコンを、あおいちゃんちに送ってくれたでしょ。あのときに、箱の中にその手紙を入れてくれたんだって。
「やのひかりさん」は、箱の中から、ベーコンのにおいがしみ込んだ手紙を取り出して、封を開けてみました。そこには、こんなことが書いてありました。
タラターナ テ タイヘン ナ コト カ オコタ
タスケ ニ キテ クタサイ
コノ テカミ カ ウソシャナイ ショウコ トウフウ スル
「やのひかりさん」は、びっくりして、封筒をサカサマに振ってみました。そしたら、何かがコロンと転がり出てきました。小さな小さな王冠でした。金でできていて、まわりには、ぐるりと、小さなダイヤモンドの粒が散りばめられていました。そして、正面には・・・日の王子の王冠であることをしめす、太陽の絵が彫ってありました。
「タラターナの人たちが、困っている。助けにいかなくちゃ」
こうして、「やのひかりさん」は、もう一度、タラターナ国に行くことになったのです。
「やのひかりさん」は、出発の前に、おばちゃんに電話をかけました。そして、
「ちょっと出かけてくるから、あおいちゃんとなつきちゃんをよろしくね」
って、言いました。
だから、ママが帰ってくるまで、おばちゃんとお留守番してようね。ママ、いつ頃帰ってくるかなあ。帰ってきたら、お土産話をいっぱいしてもらおうね。楽しみだね。
おやすみなさい、あおいちゃん。おやすみなさい、なつきちゃん。