2011年08月06日
第15章 思いがけない贈り物
ねえねえ、あおいちゃん、これなんだかわかる?つくしだよ。向こうの土手のところにね、つくしの子が、にょきにょきにょきって生えていたんだよ。つくしの子たちも、「もうすぐ春ですよ~」って教えてくれているんだね。暖かくなるまで、もう少しの辛抱だね。
あおいちゃん、つくしは、食べられるって知ってた?天ぷらにしたり、炒めて卵とじにしたりすると、結構美味しいんだよ。食べてみたい?じゃあ、いっぱい採ってこなきゃいけないね。明日、おばちゃんと採りに行こうね。それでは、今日のお話しの、はじまりはじまり。
次の日、ひかりちゃんが目を覚ましたのは、昼近い時間でした。深い谷底にも、お日様の光が細く差し込んできて、ひかりちゃんのまぶたをチクチクと射しました。ひかりちゃんは、最初、自分の部屋に寝ていると思っていました。
ところが、目をあけると、ひかりちゃんの家の、寝る部屋の天井のかわりに、空の海と、秋冬の谷の黒々とした森と、遠くからひかりちゃんの様子をうかがっている、小さな小さなエメラルド色のカエルと、レモン色のカエルが、見えました。
ひかりちゃんは、最初は寝ぼけていて、ここがどこなのかわからなかったけれど、やがて、いままでのことを全部思い出しました。そういえば、ひかりちゃんはタラターナ国にいて、秋冬の谷に来て、人間の子どもの大きさに戻って、一晩のうちに、がんばって一ヒロゲのベールを編み上げたのでした。
ひかりちゃんは、そこまで思い出すと、日の王子と穂の姫を驚かさないように、ゆっくりと身体を起しました。ひかりちゃんのすぐ隣では、鬼のお母さんが大の字になって、大きないびきを立てて眠っていました。鬼のお母さんの獣くさいにおいに、ひかりちゃんは、思わず、ちょっとだけ、眉をひそめました。
日の王子と穂の姫が、そろりそろりと近づいてきました。日の王子の小さな小さな声が、聞こえました。
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫、お目覚めになりましたか?僕の声が聞こえますか?」
ひかりちゃんは、昨日まで一緒に遊んだり、ケンカをしたり、冒険をしたりしていた日の王子が、まるで知らない人に話すような、かしこまった言い方をするので、少し悲しい気持ちになりました。
ひかりちゃんは、だまって、ゆっくりとうなずきました。すると、日の王子と穂の姫の顔が、ぱっと嬉しそうに輝きました。そしてね、ふたりは、腰から小さな短剣をはずすと、それを足元に置いて、右足を前に、左足を後ろに、右手を右足のひざに、左足を腰の後ろに当てて、深々とお辞儀をしたそうです。これはね、タラターナ国の人が、他の国の王族の人にだけする、いちばん礼儀正しいお辞儀のしかたなんだよ。
日の王子はね、深いお辞儀をしたまま、こんなことを言いました。
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫が人間の子どもでいらっしゃるとは露知らず、これまでの数々の失礼、どうぞお許しください」
ひかりちゃんは、ゆっくり首を横に振りました。人間の子どもだということを隠していたのは、ひかりちゃんの方だからです。ひかりちゃんは、王子様を驚かさないように、できるだけ小さな声で、
「ウソをついていたのは、私のほうです。こちらこそごめんなさい。ふたりとも、どうぞ、お立ちください」
と、言いました。それで、日の王子と穂の姫は、立ち上がって、改めて、まじまじと、ひかりちゃんを見つめました。あんまりふたりが、ひかりちゃんを一生懸命見るものだから、ひかりちゃんは、なんだか恥ずかしくなりました。
穂の姫が、思いきったように、
「あの、私たち、伝説では聞いたことがあったのですが、人間の子どもを見るのは、初めてなんです」
と、言いました。そして、
「人間の子どもは、とても恐ろしくて、乱暴だと聞いていました」
とも、言いました。王子様が、我慢しきれないように、くすくすと笑いだすと、
「空を飛ぶとか、火を吹くという伝説だってあったんだ!」
と、言いました。
「だけど、大きいだけで、私たちとおんなじなんですね!」
「大きいだけで、僕たちとおんなじだ!」
ふたりは、そういうと、嬉しくてたまらないように、けらけらと笑い出しました。どうやら、ひかりちゃんのことを怖がってはいないようです。
ひかりちゃんも、嬉しくなって、
「そうですよ。人間の子どもは怖くないですよ」
って、にっこりしました。日の王子と穂の姫は、
「ああ、よかった」
「本当に、鬼のお母さんが言うとおりだったね」
と、口々に言い合うと、「ちょっと待っててね!」と言って、森の中に入っていきました。
そして、次に森から出てきたときには、大きな大きなお皿、といっても、ひかりちゃんにとっては、カレーのお皿くらいの大きさだったんだけどね、を、よいしょよいしょと引っ張ってきました。お皿の上には、ひかりちゃんにちょうどいいくらいの海苔巻きおにぎりが山盛りと、それから切れ目を入れたウインナーを炒めたのがたくさんと、塩茹でしたスナップエンドウがたくさんのっていました。
昨夜、ひかりちゃんが編み上げた一ヒロゲのベールを鬼の国に持って帰った鬼のお母さんが、鬼の国のお料理上手なママ友に作ってもらって、もってきてくれたのだそうです。
「テントウ虫姫、いえ、エジマヒカリ姫、お腹がすいたでしょう。どうぞお召し上がりください」
と、穂の姫が言うと、ひかりちゃんのお腹が、キュルキュルキューと鳴りました。
日の王子と穂の姫は、びっくりして飛び上がりましたが、それがひかりちゃんのお腹の音だとわかると、また、お互いの肩をたたきあって、笑いました。
鬼のお母さんのママ友が作ってくれたごはんは、愛情たっぷりで、とっても美味しかったんだって。そしてね、たくさんたくさんあったので、ひかりちゃんは、ちょっとお行儀が悪かったけど、おにぎりやウインナーやスナップエンドウをつまみながら、ベールを編むことにしたんだって。だって、少しでも早く編み上げたいでしょう?鬼のお母さんのママ友は、そこまで考えて、片手でつまめるようなごはんにしてくれていたんだね。
もちろん、おにぎりやウインナーやスナップエンドウをつまんだその手のままで編み物をすると、ベールが油でベタベタになったり、ごはん粒がついちゃったりするから、ひかりちゃんは、つまむたびに、しっかり手をふいたそうです。そうだね、お手ふきまで用意してくれるなんて、鬼のお母さんのママ友は、ずいぶん気がきいてるよね。
ひかりちゃんがベールを編んでいる間に、日の王子と穂の姫は、ひねくれモグラを使って材料を集めたり、ベール糸をつくったりしました。
3人がとっても頑張ったおかげで、秋冬の谷に日が落ちて、真っ暗になる頃には、ベールの糸が2ヒロゲ分と、ベールが1ヒロゲできあがっていました。これで、糸は全部揃ったし、ベールもあと2ヒロゲを残すだけとなりました。きっと、明日にはそれも出来上がるでしょう。
3人は、黙って、焚火を見つめていました。あんまり疲れてしまって、口をきくのもおっくうだったということもありましたが、明日にはこの冒険が終わってしまうと思うと、ちょっと寂しくもあったからです。そんな3人を、森から薪を運んできた鬼のお母さんが、やさしく見つめていました。
昼間中働いたひかりちゃんと日の王子と穂の姫は、夕食が終わると、あっという間に眠ってしまいました。3人が寝ている間に、また鬼のお母さんは、出来上がった一ヒロゲのベールを鬼の国に持って帰り、ひかりちゃんのごはんを持って帰ってきてくれました。
夜、早く寝たので、次の日は、3人とも、朝日が射しこんでくるとすぐに、目を覚ますことができました。ベール糸の準備はすべてできていたので、その日は、日の王子と穂の姫も、ベール編みに参加しました。鬼のお母さんだって、眠い目をこすりながら、参加しました。
もっとも、鬼のお母さんは、しょっちゅう糸をこんがらせては大騒ぎしたり、居眠りをしたりで、ほとんど役には立ちませんでしたけどね。鬼にとっては、昼間は、本当は寝ている時間なのですから、眠くてもしょうがありません。だけど、鬼の赤ちゃんたちのために、みんなが一生懸命ベールを編んでくれているのですから、鬼のお母さんだって眠いのを我慢して、編むのを手伝おうと思ったのです。
そんなふうに、みんなが頑張ったおかげで、その日の夕方には、最後の2ヒロゲのベールが出来上がりました。ひかりちゃんと、日の王子と穂の姫は、ハイタッチをして喜び合いました。鬼のお母さんは、眠っていたので、残念ながら、ハイタッチには参加できませんでした。
ハイタッチってね、こうすることだよ。「イエーイ!」。はい、なつきちゃんとも、「イエーイ!」。
やがて、日が暮れようとしていました。みんなが家に帰る時間が近づいていました。だけど、なんだか帰りたくなくて、みんなそれを言い出せないでいました。
お日様がだんだん傾いていって、秋冬の谷がひんやりと薄暗くなってきました。日の王子が、思いきったように、
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫、長い間、タラターナ国のために、本当にありがとうございました。きっと、お家の方が心配していることでしょう。すぐに、家まで、ひねくれモグラに送らせましょう」
と、言いました。
そう言われて、ひかりちゃんは、急にお父さんや、お母さんや、妹のみどりちゃんに会いたくなったんだって。
ところがね、ひねくれモグラときたら、どんなふうに誘い出してみても、姿を見せようとはしませんでした。
しかたなく、あたりの湿った葉っぱを順番にめくっていくと、6番目にめくった葉っぱの下で、ひねくれモグラが丸くなって、小さな前足に鼻の頭を突っ込んで、ぐっすりと眠りこけているのが見つかりました。日の王子が、小枝を持ってきて、ひねくれモグラの小さな耳の穴を、コショコショとくすぐりましたが、ひねくれモグラは「うるさいなあ」というように、後ろ足で、耳の先をぽりぽり掻くと、またぐっすりと眠りこんでしまいました。どうやら、ここ数日、穂の姫にこき使われたので、相当疲れているようです。
「まったく、しょうがないやつだなあ。かといって、ミチアンナイは、見えないところには、来られないしなあ」
と、日の王子は、困ったように言いました。秋冬の谷は、とてもとても深いので、ミチアンナイがどんなに高く飛んでも、王子様たちを見つけることはできないからです。
そのときです。居眠りをしていた鬼のお母さんが、夜になると動き出す小さな動物にでも噛まれたのでしょうか、びくんと身体をひと揺らしして、目を覚ましました。そして、ベールが2ヒロゲ出来上がっていることに気がつくと、大きな身体を丸めるようにして、3人に何度も何度もお辞儀をして、「ありがとう、ありがとう」って、言ってくれました。 日の王子が、照れて「ちぇっ、ちぇっ」と言いました。
鬼のお母さんは、ミチアンナイが呼べなくて困っているという話を聞くと、
「それは、私にまかせてください」
と言いました。そして、日の王子と穂の姫を、そっと頭に乗せると、
「しっかりつかまって」
と言いながら、ゆっくり立ち上がりました。鬼のお母さんが立ち上がると、日の王子と穂の姫の身体が、ちょうど秋の山のてっぺんの上に出ました。
「やあ、これなら、ミチアンナイが呼べるぞ」
日の王子は、そう叫ぶと、ピーッと指笛を鳴らしました。
「なんとなんと!王子様、姫様、お探ししておりましたぞ!」
ミチアンナイが、大喜びしながら、飛んできました。
「うむ、心配かけたな」
日の王子が、とても王子様らしく言いました。
「王子様、姫様、すぐにお城にご案内いたします」
「いや、僕たちは、帰り道はわかるからいいんだ」
「では、どなたを?」
日の王子と、穂の姫は、「ちょっと待って」と言って、ヨイショと、鬼の母さんの頭から、秋の山のてっぺんに移りました。鬼のお母さんが、一回しゃがみこむと、ひかりちゃんを抱き上げて、秋の山のてっぺんに座らせてくれました。鬼のお母さんは、だいぶ気をつけて、そーっとおろしたつもりでしたが、それでもドシーンと地鳴りがしました。
秋の山のてっぺんのその向こうから、突然毛むくじゃらの腕が出てきたかと思うと、人間の子どもがそこに座っていたものですから、ミチアンナイはもう大騒ぎ。
「大変だ!大変だ!鬼だ!いや、人間の子どもだ!人間の子どもがいる!長老に知らせないと!王様に知らせないと!いますぐ逃げないと!いや、やっぱり、いますぐやっつけないと!」
と、慌てふためいて、秋の山のてっぺんの木にぶつかったりしています。
「落ち着きなさい!」
穂の姫が、凛とした声で言うと、ミチアンナイは、ようやく我に返って、静かに地面に降り立ちました。そして、ブルブル震えながら、ひかりちゃんを見上げていましたが、
「ややっ!これは!」
と、叫びました。
「これはこれは、テントウ虫姫ではありませんか!どうして、こんなに大きくなったのですか?悪い鬼に魔法をかけられたのですか?大変だ!大変だ!悪い魔法使いの鬼がいるぞ!」
ミチアンナイが、また騒ぎ始めたので、
「静かに!」
と、穂の姫が言いました。
「こちらは、エジマヒカリ姫。私を助けてくれた恩人です」
穂の姫が、言うと、ミチアンナイはぽかんとした顔をして、ひかりちゃんを見ました。ひかりちゃんは、ミチアンナイに、にっこりして見せました。
「そして、こちらは・・・」
と、穂の姫が、鬼のお母さんを振り返って、
「私の・・・お友だちです」
と言いました。鬼のお母さんは、恥ずかしそうに、もじもじしました。
「なんと、まあ」
ミチアンナイは、びっくりして、ふらふらと意味もなく飛び回りました。
穂の姫が、すばやくひかりちゃんの身体をよじのぼりました。そして、ひかりちゃんの肩に立つと、
「エジマヒカリ姫、助けてくれて、本当にありがとう」
と、ひかりちゃんのほっぺに、小さくキスをしました。そして、頭から小さな王冠を外すと、ひかりちゃんに向かって差し出しました。
「何も差し上げられるものがありませんので、せめてこれを受け取ってください。友だちの印です」
と、言いました。ひかりちゃんは、人さし指と親指で、そっと王冠を受け取りました。小さな小さな王冠は、金でできていて、まわりには、ぐるりと、小さなダイヤモンドの粒が散りばめられていました。そして、正面には、穂の姫の王冠であることをしめす、稲穂の絵が彫ってありました。
「こんな大切なものを、いただくわけには・・・」
と、ひかりちゃんは返そうとしましたが、
「いえ、どうしても受け取っていただかなければ気が済みません」
と、穂の姫が言うので、ひかりちゃんは、この思いがけない贈り物を、自分の人さし指にはめました。ちょうど、指輪にぴったりの大きさでした。
そうだね、あおいちゃんのママが、いつも小指にしている指輪があるでしょう。あれが、実は、穂の姫の王冠なんだよ。知らなかったでしょう。
それでね、ひかりちゃんは、何か自分もプレゼントできるものはないかと思って、ポケットを探りました。そしたら、左のポケットから、ピンク色をしたプラスチック製のリリアン編みの道具と、赤や黄色や青や緑のリリアン編み用の糸の切れ端が出てきました。前の日に学校に行くときに、こっそりポケットに入れていって、そのまま忘れていたものでした。
あおいちゃん、リリアン編みって、知ってる?おばちゃんたちが小学校のときに流行った、とっても簡単な編み物でね、長い紐を編んだり、上手に編める人は、マフラーだって編めるんだよ。まだ、あの道具って、駄菓子屋さんとかで売ってるのかなあ。もし、見つけたら、あおいちゃんにも教えてあげるね。
ひかりちゃんは、リリアン編みの道具と糸を、穂の姫に渡しました。そして、
「では、私からは、これを友だちの印に、受け取ってください。ベールは編めないけど、みなさんの洋服や絨毯を編んだりするのに、使えると思います」
と、言いました。
「まあ、これは珍しいものを、ありがとう」
穂の姫が、にっこりしました。
「それに、これがあれば、もしガラガラヘビの抜け殻が見つからなくても、長い長い紐を編んで、崖を登っていったり、谷を降りていったりすることができます」
ひかりちゃんは、そう言うと、日の王子の方をちらりと見ました。だけど、日の王子は、聞こえなかったみたいに、知らん顔をして、秋の木のてっぺんの方を見ていました。
ひかりちゃんは、鬼のお母さんの方を振り向くと、
「やっと、赤ちゃんのところに帰れますね。よかったね」
と言って、穂の姫の真似をして、鬼のお母さんのおでこに小さくキスをしました。鬼のお母さんが、とってもとっても嬉しそうに、にっこりしました。
そして、ひかりちゃんが、
「ママ友に、ごはん美味しかったですって、伝えてくださいね」
と言うと、「わかった」というように、右手でオッケーマークを作りました。きっと、声を出すと、ミチアンナイがびっくりするだろうと思って、気をつかっているのでしょう。
ひかりちゃんは、肩に乗っていた穂の姫を、そっと下におろすと、鬼のお母さん、穂の姫、日の王子の顔を順番に見て、
「そろそろ、人間の国に帰るときが来たようです」
と、静かに言いました。
鬼のお母さんが、何度もパチパチとまばたきをしました。そうだね、きっと涙が出そうになったんだね。
穂の姫の目にも、涙が浮かんでいました。日の王子は、相変わらず、知らんぷりをしています。ひかりちゃんは、最後に日の王子と話をしたかったけど、あきらめて、
「では、ミチアンナイさん、私を、家の庭まで案内してください」
と、言いました。
ミチアンナイは、
「は、はい。テントウ・・・じゃなくて、え~と、エジマヒカリ姫」
と返事をすると、高く高く飛び上がりました。そして、3回、秋の山のてっぺんの木の上を回ると、
「こちらでございます」
と、少し先を飛んで、ひかりちゃんを振り返りました。
ひかりちゃんが、ゆっくりと立ち上がろうとしたときです。
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫!」
と、日の王子の声が、聞こえました。
日の王子は、ひかりちゃんに、なんて言ったんだろうねえ。続きは、また明日ね。明日は、つくしを採りに行けるといいね。タンポポも咲いてるかなあ。タンポポだって、ちょっと苦いけど、食べられるんだよ。タンポポにしたりね、根っこのところなんて、コーヒーになるんだよ。ホント、ホント。明日探してみようね。楽しみだね。
それじゃあ、おやすみなさい、あおいちゃん。おやすみなさい、なつきちゃん。
あおいちゃん、つくしは、食べられるって知ってた?天ぷらにしたり、炒めて卵とじにしたりすると、結構美味しいんだよ。食べてみたい?じゃあ、いっぱい採ってこなきゃいけないね。明日、おばちゃんと採りに行こうね。それでは、今日のお話しの、はじまりはじまり。
次の日、ひかりちゃんが目を覚ましたのは、昼近い時間でした。深い谷底にも、お日様の光が細く差し込んできて、ひかりちゃんのまぶたをチクチクと射しました。ひかりちゃんは、最初、自分の部屋に寝ていると思っていました。
ところが、目をあけると、ひかりちゃんの家の、寝る部屋の天井のかわりに、空の海と、秋冬の谷の黒々とした森と、遠くからひかりちゃんの様子をうかがっている、小さな小さなエメラルド色のカエルと、レモン色のカエルが、見えました。
ひかりちゃんは、最初は寝ぼけていて、ここがどこなのかわからなかったけれど、やがて、いままでのことを全部思い出しました。そういえば、ひかりちゃんはタラターナ国にいて、秋冬の谷に来て、人間の子どもの大きさに戻って、一晩のうちに、がんばって一ヒロゲのベールを編み上げたのでした。
ひかりちゃんは、そこまで思い出すと、日の王子と穂の姫を驚かさないように、ゆっくりと身体を起しました。ひかりちゃんのすぐ隣では、鬼のお母さんが大の字になって、大きないびきを立てて眠っていました。鬼のお母さんの獣くさいにおいに、ひかりちゃんは、思わず、ちょっとだけ、眉をひそめました。
日の王子と穂の姫が、そろりそろりと近づいてきました。日の王子の小さな小さな声が、聞こえました。
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫、お目覚めになりましたか?僕の声が聞こえますか?」
ひかりちゃんは、昨日まで一緒に遊んだり、ケンカをしたり、冒険をしたりしていた日の王子が、まるで知らない人に話すような、かしこまった言い方をするので、少し悲しい気持ちになりました。
ひかりちゃんは、だまって、ゆっくりとうなずきました。すると、日の王子と穂の姫の顔が、ぱっと嬉しそうに輝きました。そしてね、ふたりは、腰から小さな短剣をはずすと、それを足元に置いて、右足を前に、左足を後ろに、右手を右足のひざに、左足を腰の後ろに当てて、深々とお辞儀をしたそうです。これはね、タラターナ国の人が、他の国の王族の人にだけする、いちばん礼儀正しいお辞儀のしかたなんだよ。
日の王子はね、深いお辞儀をしたまま、こんなことを言いました。
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫が人間の子どもでいらっしゃるとは露知らず、これまでの数々の失礼、どうぞお許しください」
ひかりちゃんは、ゆっくり首を横に振りました。人間の子どもだということを隠していたのは、ひかりちゃんの方だからです。ひかりちゃんは、王子様を驚かさないように、できるだけ小さな声で、
「ウソをついていたのは、私のほうです。こちらこそごめんなさい。ふたりとも、どうぞ、お立ちください」
と、言いました。それで、日の王子と穂の姫は、立ち上がって、改めて、まじまじと、ひかりちゃんを見つめました。あんまりふたりが、ひかりちゃんを一生懸命見るものだから、ひかりちゃんは、なんだか恥ずかしくなりました。
穂の姫が、思いきったように、
「あの、私たち、伝説では聞いたことがあったのですが、人間の子どもを見るのは、初めてなんです」
と、言いました。そして、
「人間の子どもは、とても恐ろしくて、乱暴だと聞いていました」
とも、言いました。王子様が、我慢しきれないように、くすくすと笑いだすと、
「空を飛ぶとか、火を吹くという伝説だってあったんだ!」
と、言いました。
「だけど、大きいだけで、私たちとおんなじなんですね!」
「大きいだけで、僕たちとおんなじだ!」
ふたりは、そういうと、嬉しくてたまらないように、けらけらと笑い出しました。どうやら、ひかりちゃんのことを怖がってはいないようです。
ひかりちゃんも、嬉しくなって、
「そうですよ。人間の子どもは怖くないですよ」
って、にっこりしました。日の王子と穂の姫は、
「ああ、よかった」
「本当に、鬼のお母さんが言うとおりだったね」
と、口々に言い合うと、「ちょっと待っててね!」と言って、森の中に入っていきました。
そして、次に森から出てきたときには、大きな大きなお皿、といっても、ひかりちゃんにとっては、カレーのお皿くらいの大きさだったんだけどね、を、よいしょよいしょと引っ張ってきました。お皿の上には、ひかりちゃんにちょうどいいくらいの海苔巻きおにぎりが山盛りと、それから切れ目を入れたウインナーを炒めたのがたくさんと、塩茹でしたスナップエンドウがたくさんのっていました。
昨夜、ひかりちゃんが編み上げた一ヒロゲのベールを鬼の国に持って帰った鬼のお母さんが、鬼の国のお料理上手なママ友に作ってもらって、もってきてくれたのだそうです。
「テントウ虫姫、いえ、エジマヒカリ姫、お腹がすいたでしょう。どうぞお召し上がりください」
と、穂の姫が言うと、ひかりちゃんのお腹が、キュルキュルキューと鳴りました。
日の王子と穂の姫は、びっくりして飛び上がりましたが、それがひかりちゃんのお腹の音だとわかると、また、お互いの肩をたたきあって、笑いました。
鬼のお母さんのママ友が作ってくれたごはんは、愛情たっぷりで、とっても美味しかったんだって。そしてね、たくさんたくさんあったので、ひかりちゃんは、ちょっとお行儀が悪かったけど、おにぎりやウインナーやスナップエンドウをつまみながら、ベールを編むことにしたんだって。だって、少しでも早く編み上げたいでしょう?鬼のお母さんのママ友は、そこまで考えて、片手でつまめるようなごはんにしてくれていたんだね。
もちろん、おにぎりやウインナーやスナップエンドウをつまんだその手のままで編み物をすると、ベールが油でベタベタになったり、ごはん粒がついちゃったりするから、ひかりちゃんは、つまむたびに、しっかり手をふいたそうです。そうだね、お手ふきまで用意してくれるなんて、鬼のお母さんのママ友は、ずいぶん気がきいてるよね。
ひかりちゃんがベールを編んでいる間に、日の王子と穂の姫は、ひねくれモグラを使って材料を集めたり、ベール糸をつくったりしました。
3人がとっても頑張ったおかげで、秋冬の谷に日が落ちて、真っ暗になる頃には、ベールの糸が2ヒロゲ分と、ベールが1ヒロゲできあがっていました。これで、糸は全部揃ったし、ベールもあと2ヒロゲを残すだけとなりました。きっと、明日にはそれも出来上がるでしょう。
3人は、黙って、焚火を見つめていました。あんまり疲れてしまって、口をきくのもおっくうだったということもありましたが、明日にはこの冒険が終わってしまうと思うと、ちょっと寂しくもあったからです。そんな3人を、森から薪を運んできた鬼のお母さんが、やさしく見つめていました。
昼間中働いたひかりちゃんと日の王子と穂の姫は、夕食が終わると、あっという間に眠ってしまいました。3人が寝ている間に、また鬼のお母さんは、出来上がった一ヒロゲのベールを鬼の国に持って帰り、ひかりちゃんのごはんを持って帰ってきてくれました。
夜、早く寝たので、次の日は、3人とも、朝日が射しこんでくるとすぐに、目を覚ますことができました。ベール糸の準備はすべてできていたので、その日は、日の王子と穂の姫も、ベール編みに参加しました。鬼のお母さんだって、眠い目をこすりながら、参加しました。
もっとも、鬼のお母さんは、しょっちゅう糸をこんがらせては大騒ぎしたり、居眠りをしたりで、ほとんど役には立ちませんでしたけどね。鬼にとっては、昼間は、本当は寝ている時間なのですから、眠くてもしょうがありません。だけど、鬼の赤ちゃんたちのために、みんなが一生懸命ベールを編んでくれているのですから、鬼のお母さんだって眠いのを我慢して、編むのを手伝おうと思ったのです。
そんなふうに、みんなが頑張ったおかげで、その日の夕方には、最後の2ヒロゲのベールが出来上がりました。ひかりちゃんと、日の王子と穂の姫は、ハイタッチをして喜び合いました。鬼のお母さんは、眠っていたので、残念ながら、ハイタッチには参加できませんでした。
ハイタッチってね、こうすることだよ。「イエーイ!」。はい、なつきちゃんとも、「イエーイ!」。
やがて、日が暮れようとしていました。みんなが家に帰る時間が近づいていました。だけど、なんだか帰りたくなくて、みんなそれを言い出せないでいました。
お日様がだんだん傾いていって、秋冬の谷がひんやりと薄暗くなってきました。日の王子が、思いきったように、
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫、長い間、タラターナ国のために、本当にありがとうございました。きっと、お家の方が心配していることでしょう。すぐに、家まで、ひねくれモグラに送らせましょう」
と、言いました。
そう言われて、ひかりちゃんは、急にお父さんや、お母さんや、妹のみどりちゃんに会いたくなったんだって。
ところがね、ひねくれモグラときたら、どんなふうに誘い出してみても、姿を見せようとはしませんでした。
しかたなく、あたりの湿った葉っぱを順番にめくっていくと、6番目にめくった葉っぱの下で、ひねくれモグラが丸くなって、小さな前足に鼻の頭を突っ込んで、ぐっすりと眠りこけているのが見つかりました。日の王子が、小枝を持ってきて、ひねくれモグラの小さな耳の穴を、コショコショとくすぐりましたが、ひねくれモグラは「うるさいなあ」というように、後ろ足で、耳の先をぽりぽり掻くと、またぐっすりと眠りこんでしまいました。どうやら、ここ数日、穂の姫にこき使われたので、相当疲れているようです。
「まったく、しょうがないやつだなあ。かといって、ミチアンナイは、見えないところには、来られないしなあ」
と、日の王子は、困ったように言いました。秋冬の谷は、とてもとても深いので、ミチアンナイがどんなに高く飛んでも、王子様たちを見つけることはできないからです。
そのときです。居眠りをしていた鬼のお母さんが、夜になると動き出す小さな動物にでも噛まれたのでしょうか、びくんと身体をひと揺らしして、目を覚ましました。そして、ベールが2ヒロゲ出来上がっていることに気がつくと、大きな身体を丸めるようにして、3人に何度も何度もお辞儀をして、「ありがとう、ありがとう」って、言ってくれました。 日の王子が、照れて「ちぇっ、ちぇっ」と言いました。
鬼のお母さんは、ミチアンナイが呼べなくて困っているという話を聞くと、
「それは、私にまかせてください」
と言いました。そして、日の王子と穂の姫を、そっと頭に乗せると、
「しっかりつかまって」
と言いながら、ゆっくり立ち上がりました。鬼のお母さんが立ち上がると、日の王子と穂の姫の身体が、ちょうど秋の山のてっぺんの上に出ました。
「やあ、これなら、ミチアンナイが呼べるぞ」
日の王子は、そう叫ぶと、ピーッと指笛を鳴らしました。
「なんとなんと!王子様、姫様、お探ししておりましたぞ!」
ミチアンナイが、大喜びしながら、飛んできました。
「うむ、心配かけたな」
日の王子が、とても王子様らしく言いました。
「王子様、姫様、すぐにお城にご案内いたします」
「いや、僕たちは、帰り道はわかるからいいんだ」
「では、どなたを?」
日の王子と、穂の姫は、「ちょっと待って」と言って、ヨイショと、鬼の母さんの頭から、秋の山のてっぺんに移りました。鬼のお母さんが、一回しゃがみこむと、ひかりちゃんを抱き上げて、秋の山のてっぺんに座らせてくれました。鬼のお母さんは、だいぶ気をつけて、そーっとおろしたつもりでしたが、それでもドシーンと地鳴りがしました。
秋の山のてっぺんのその向こうから、突然毛むくじゃらの腕が出てきたかと思うと、人間の子どもがそこに座っていたものですから、ミチアンナイはもう大騒ぎ。
「大変だ!大変だ!鬼だ!いや、人間の子どもだ!人間の子どもがいる!長老に知らせないと!王様に知らせないと!いますぐ逃げないと!いや、やっぱり、いますぐやっつけないと!」
と、慌てふためいて、秋の山のてっぺんの木にぶつかったりしています。
「落ち着きなさい!」
穂の姫が、凛とした声で言うと、ミチアンナイは、ようやく我に返って、静かに地面に降り立ちました。そして、ブルブル震えながら、ひかりちゃんを見上げていましたが、
「ややっ!これは!」
と、叫びました。
「これはこれは、テントウ虫姫ではありませんか!どうして、こんなに大きくなったのですか?悪い鬼に魔法をかけられたのですか?大変だ!大変だ!悪い魔法使いの鬼がいるぞ!」
ミチアンナイが、また騒ぎ始めたので、
「静かに!」
と、穂の姫が言いました。
「こちらは、エジマヒカリ姫。私を助けてくれた恩人です」
穂の姫が、言うと、ミチアンナイはぽかんとした顔をして、ひかりちゃんを見ました。ひかりちゃんは、ミチアンナイに、にっこりして見せました。
「そして、こちらは・・・」
と、穂の姫が、鬼のお母さんを振り返って、
「私の・・・お友だちです」
と言いました。鬼のお母さんは、恥ずかしそうに、もじもじしました。
「なんと、まあ」
ミチアンナイは、びっくりして、ふらふらと意味もなく飛び回りました。
穂の姫が、すばやくひかりちゃんの身体をよじのぼりました。そして、ひかりちゃんの肩に立つと、
「エジマヒカリ姫、助けてくれて、本当にありがとう」
と、ひかりちゃんのほっぺに、小さくキスをしました。そして、頭から小さな王冠を外すと、ひかりちゃんに向かって差し出しました。
「何も差し上げられるものがありませんので、せめてこれを受け取ってください。友だちの印です」
と、言いました。ひかりちゃんは、人さし指と親指で、そっと王冠を受け取りました。小さな小さな王冠は、金でできていて、まわりには、ぐるりと、小さなダイヤモンドの粒が散りばめられていました。そして、正面には、穂の姫の王冠であることをしめす、稲穂の絵が彫ってありました。
「こんな大切なものを、いただくわけには・・・」
と、ひかりちゃんは返そうとしましたが、
「いえ、どうしても受け取っていただかなければ気が済みません」
と、穂の姫が言うので、ひかりちゃんは、この思いがけない贈り物を、自分の人さし指にはめました。ちょうど、指輪にぴったりの大きさでした。
そうだね、あおいちゃんのママが、いつも小指にしている指輪があるでしょう。あれが、実は、穂の姫の王冠なんだよ。知らなかったでしょう。
それでね、ひかりちゃんは、何か自分もプレゼントできるものはないかと思って、ポケットを探りました。そしたら、左のポケットから、ピンク色をしたプラスチック製のリリアン編みの道具と、赤や黄色や青や緑のリリアン編み用の糸の切れ端が出てきました。前の日に学校に行くときに、こっそりポケットに入れていって、そのまま忘れていたものでした。
あおいちゃん、リリアン編みって、知ってる?おばちゃんたちが小学校のときに流行った、とっても簡単な編み物でね、長い紐を編んだり、上手に編める人は、マフラーだって編めるんだよ。まだ、あの道具って、駄菓子屋さんとかで売ってるのかなあ。もし、見つけたら、あおいちゃんにも教えてあげるね。
ひかりちゃんは、リリアン編みの道具と糸を、穂の姫に渡しました。そして、
「では、私からは、これを友だちの印に、受け取ってください。ベールは編めないけど、みなさんの洋服や絨毯を編んだりするのに、使えると思います」
と、言いました。
「まあ、これは珍しいものを、ありがとう」
穂の姫が、にっこりしました。
「それに、これがあれば、もしガラガラヘビの抜け殻が見つからなくても、長い長い紐を編んで、崖を登っていったり、谷を降りていったりすることができます」
ひかりちゃんは、そう言うと、日の王子の方をちらりと見ました。だけど、日の王子は、聞こえなかったみたいに、知らん顔をして、秋の木のてっぺんの方を見ていました。
ひかりちゃんは、鬼のお母さんの方を振り向くと、
「やっと、赤ちゃんのところに帰れますね。よかったね」
と言って、穂の姫の真似をして、鬼のお母さんのおでこに小さくキスをしました。鬼のお母さんが、とってもとっても嬉しそうに、にっこりしました。
そして、ひかりちゃんが、
「ママ友に、ごはん美味しかったですって、伝えてくださいね」
と言うと、「わかった」というように、右手でオッケーマークを作りました。きっと、声を出すと、ミチアンナイがびっくりするだろうと思って、気をつかっているのでしょう。
ひかりちゃんは、肩に乗っていた穂の姫を、そっと下におろすと、鬼のお母さん、穂の姫、日の王子の顔を順番に見て、
「そろそろ、人間の国に帰るときが来たようです」
と、静かに言いました。
鬼のお母さんが、何度もパチパチとまばたきをしました。そうだね、きっと涙が出そうになったんだね。
穂の姫の目にも、涙が浮かんでいました。日の王子は、相変わらず、知らんぷりをしています。ひかりちゃんは、最後に日の王子と話をしたかったけど、あきらめて、
「では、ミチアンナイさん、私を、家の庭まで案内してください」
と、言いました。
ミチアンナイは、
「は、はい。テントウ・・・じゃなくて、え~と、エジマヒカリ姫」
と返事をすると、高く高く飛び上がりました。そして、3回、秋の山のてっぺんの木の上を回ると、
「こちらでございます」
と、少し先を飛んで、ひかりちゃんを振り返りました。
ひかりちゃんが、ゆっくりと立ち上がろうとしたときです。
「テントウ虫姫、いや、エジマヒカリ姫!」
と、日の王子の声が、聞こえました。
日の王子は、ひかりちゃんに、なんて言ったんだろうねえ。続きは、また明日ね。明日は、つくしを採りに行けるといいね。タンポポも咲いてるかなあ。タンポポだって、ちょっと苦いけど、食べられるんだよ。タンポポにしたりね、根っこのところなんて、コーヒーになるんだよ。ホント、ホント。明日探してみようね。楽しみだね。
それじゃあ、おやすみなさい、あおいちゃん。おやすみなさい、なつきちゃん。
Posted by tammy at 17:34│Comments(0)
│タラターナ 第1話